東工大は合併して、東京科学大になる。東科大と呼ばれるのか。教育クオリティの発展と保全が叫ばれて久しいが、大学の価値って意外と慣れによって変わってくる気がする。都立大は首都大東京ではいかんだろう。俺の大学も今以上に努力しないと、世界から置いてかれるぜよ・・。
受験生に向けて、それ以外の人にも”学びになるように”とは書けない。余りにも恥ずかしくてそんな挨拶は無理。せいぜい自分のモノローグがクスッと笑ってもらえるなら、くらいだろう書けるのは。待ってろよ理科大、とも書けないね。落ちたら恥ずかしいとかではなく、個人的すぎるから。
インドの治安は悪い、と言っても差し支えないだろう。生ものも食べちゃいけないって言われる。空港は安全地帯というが、それでも道を教えにくる知らない人にはついていかないように、という動画もあるくらい不穏なようだ。モディ首相よ、もう少し国内の治安何とかならんかね・・。
アマプラでレジェバタを視聴するに、流血のシーンに気合を入れる大友啓史さんの拘りがサイコパスにしか見えない。信長の威厳もガタ落ちした本作も少しはキムタクさんの演技に期待できるかと思ったが、芯のない演技は相変わらずで。
大卒が大学なんて行く必要ないと言うのは、その人を本気で思ったからではない。大卒という既得権益を保持したいからだ。誰もが同じ条件になったら、競争に巻き込まれるともいえる。大卒は金ぴかのパスポートではなくなったが、地下足袋としては使える。冷静に考えるべきだ。
ジャニーズの風間俊介さんが激高。カレーライス食べるの下手そう、と言われてカチンときたらしい。風間さんが食事会でご飯をそのままに鍋を食べ続けた際言われたようだ。風間さんはその一言で先が読めない無計画な奴だという評価と察知、怒り心頭した。どんなに罵られても怒らないがそれだけは赦せぬと
暗記型科目のやり方は、朝起きて10分、昼に10分、夜寝る前に10分。沢山やるんじゃなく、少数精鋭で3個ずつ潰す。勉強するのに必要なのは、瞬発力。サッと取組むこのチカラ。闇雲でなく、逆算で覚える。ゾーニングで必要事項を押えましょう。
岸田総理御長男の秘書官辞任関連質疑はファミレスでやってくれというブラマヨ吉田さんの御意見に、思わず共鳴した。どうせまた立民がウンチャラ言うんだろ?とか限られた審議の時間を道徳の時間で済ますのか。自民を追い詰めたいなら、政策論で徹底的に討議し、ヤングケアラーや防衛予算をやるべし。
学校で教師と生徒の対立を見てきた身としては、強権的な指導者は学校教育において己の思想を貫徹しようとするケースは多かった。歴史の傍観者、とまでは言えないが、教育とは実は双方向ではなくワンサイドの制圧ゲームである事は厳然たる事実としてあるのではないか。実は学生こそ社会経験してるのでは
またY新聞がネット信者をあげつらっている。ネット信者の中学生が動画などで得た知識で教師を軽んじ、学級崩壊へと繋がる旨警告してるのだが、地の利は何処にあるかである。今でさえ内申書、というシステムで隷属関係を強いられる学生が自ら進学先にデジタルタトゥーを晒す真似はしない、出来ない。
読書するな、と嘗て書いたが一番言った事を未だに後悔してない発言の一つだな。活字読解は視神経の酷使であり、人の理屈を追うという作業は本来のフロンティアに足枷を付けるものだ。自由に、ただ、自由にというのは小中高と読解問題に挑んできた学生にとってのユートピアであり、卒業後に得られる果実
もしあのとき、ああしていたら運命は変わっていたろうとは、フローチャートの一部しか見ていない。はい・いいえは運命の仮初、大きく見れば流れとは一本の軸であろう。偉そうに語ったが、これは祖母が語っていた事。分岐点は分岐点、目的地は大きく一つ。それが判っていれば振り返って嘆息しない。
散々学問で言い争った友人も多い。でもそれは喧嘩、ではない。もっと広く言えば距離ある二つの意見の互いへの査定である。それを整理して、論争をもっと立体化させる。それは論者の務めであろう。大学時代、多くの友人とした議論は言うなれば今の自分にとっての経験としては濃密なものなのだろう。
インドに旅するにあたって、特に水と生ものに気を付けたい。狩野英孝さんによるとシャワーで目や口に入る水でも十分危険であるという。そしてサラダやジュース。これらも危ない。モディ首相はこれらの悪条件を改善する意思はあるのか。でもタージマハルは見たい。クアッド構想の一角でもあるしな。
高校物理の公式を暗記するという無謀な挑戦を嘗てはした。物理は面白さを味わう前にある壁が厳然たる高さであり、やろうにも一定のコストを払う。数学程厳密ではないが、一度沼るととことんやりがいのあるものに変わる。
諦めない心構えを作るには、色んな逆境を経験しなくてはいけないと言われた。ふむふむ、こんなピンチあったけど、最終的には何とかなったなあ、とかこれ余裕だったけど急にピンチになったなあとか思い出せばキリがないのが人という者。それ言った先生も凄まじいミスをしたから今があると言ってた。