ホッブスは、個人のエゴイズムに基づいた行動を何らかの手段で規制しない限り、「万人の万人に対する闘争」で全てが破綻すると説いた。 アダム・スミスは、個人のエゴイズムに基づいた行動の総和は、自然的調整機能によって何らかの秩序を形成すると訴えた。 現代を見る限りは前者が正しかった。
感染症が流行すれば「外出避けて」 電気が足りなくなれば「節電して」 物価高騰には「協力して」。 お願いだけなら猿でもできる(?) それが政府の仕事でしょうか。 経済学でも、「神の見えざる手」に任せきりではうまくいかないととっくの昔に説明されてますよね。何のための権限と予算ですか。
廃校になった小学校を見に行った 来月で閉じる保育園も見てきた 別に寂しくはない 元は野山だったのだ。 ただただ幽玄だった。 社会の都合で建てられ、 社会の都合で爪弾きにされる まだモノは悪くないのに。 遠からず私も「神の見えざる車」に轢かれるのだろう それが少し悔しい。
自由な競争で良いものが生まれるって考えの大元はアダムスミスの神の見えざる手から来てると思いますが、それが全てに適応されるなら、なぜもやしの価格は適正にならず生産者が割りを食う状態になっているんでしょうか?