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ざっくりと国富論-note限定記事

経済学という分野の起源とされているのは、経済学の父アダム・スミスの著書「国富論」とされています。

今回の記事では、全体をざっくりと解説しようと思います。

国富論は1776年に発行された本です。1776年といえば、イギリスで産業革命が起こったぐらいの年です。

なぜ、経済学という分野は18世紀まで、発展しなかったのでしょうか??

それは、それまで国政の基本は「王政」がだったからです。

王政というものが経済の発展を妨げていたことで、経済学という分野も発展しなかったのです。

そしたら、なぜ王政は経済の発展を妨げるのでしょうか??

これは、国富論のテーマと大きくかかわっています。

国富論のテーマ

国富論のテーマは、名前の通り「国が豊かになるにはどうすればよいか??」ということです。

国が豊かになるためには、「生産性」の向上と「分配」が適切に行われることが必要不可欠です。

生産性と分配に関しては経済学の10大原理でも紹介しているので、詳しくはこちらからどうぞ

人の意思決定-経済学の10大原理①

王政では「生産性」と「分配」が適切に行われないのです。

王政では、高い階級の人間が、低い階級の人間から富を吸い取るという構図です。

高い階級の人間は、低い階級の人間から富を吸い取るというシステムを維持できればそれでいいわけで、低い階級の人間は働いても高い階級の人間に吸い取られてしまうので賢明に働こうとは思いませんので生産性は、上がりませんし、分配も行われません。

なので、王政では経済は発展しないのです。

身近で、わかりやすい例で言えば北朝鮮でしょう。

こちらの

でも紹介したように、北朝鮮の経済力は、だいたい山形県と一緒くらいです。

北朝鮮の今の政治体制は「金一族の体制の維持」のための政治体制であり、実質的には王政なのでなかなか経済発展しないのです。

分業と交換は国を豊かにする

例えば、服を生産するとします。

もし、服を一からすべて自分で作ろうとすると、

蚕を飼って、糸を作って、布にして、・・・と、とんでもなく大変な苦労をした結果、粗末な服が、数枚できる

という結果になります。

しかし、これが、蚕を飼うプロがいて、蚕から糸を作るプロがいて、糸から布を作るプロがいて、裁縫のプロがいて、デザインのプロがいて~~~と、そしてそれらが合わさると、高品質な服を、大量に生産することができるのです。

分業は、人々が豊かになるために、重要な役割を果たします。

また、この分業が効率よく行われるには、市場で公正な交換が行われることが必要です。

自分が作る必要のないようなもの、あるいは自分が生産するのが得意でないものは他の人に任せ、交換によって手に入れることによって、自分は専門的な仕事に専念できるのです。

神の見えざる手

国富論といえば神の見えざる手というぐらい有名なフレーズですが、この言葉の意味は、「個人が、自分の利益を追求することは、結果的に社会を豊かにする」という意味があります。

例えば、現在ではタピオカがブームですが、「需要がすごい高いから今タピオカ屋をやれば確実に儲かる!」という状況では、いろんな人間がタピオカの需要を勝手に満たしていきます。

もし、タピオカブームがされば、タピオカの需要が下がり、「タピオカ屋やってももう儲からない」という状況では、どんどん撤退していき、結果的に、必要以上の供給はなくなっていきます。

これは、貿易にもいえることです。

当時の政府は、「輸入額よりも輸出額の方が高いほうがいい!」つまり貿易黒字のほうがよい、という考え方があり、輸入額の制限をしたりしていました。

この政策をアダムスミスが、批判しました。

例えば、国内のスマホ市場を守るために、海外から輸入するスマホに大きな関税をかけることは、国民が損をします。

本当は高品質なiPhoneや、安価なGalaxy、Huaweiを使いたいのに関税が高いせいで、結局国内のスマホしか使えないという状況は国民が不便になり、国民の豊かさが損なわれて、国内のスマホ製造業者が潤うだけになります。

最後に

今回紹介したのが、国富論のすべてではなく、ほんの一部にしかすぎません。

今後、より詳しい国富論についての記事をあげようと思います。

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