TomokoMaekawa

London School of Economics and Political Sc…

TomokoMaekawa

London School of Economics and Political Science Dept of Sociology PhD 中途にて帰国。子育て、日本での大学教員生活を経て 現在、博士論文執筆中

最近の記事

ソクラテス、プラトン、アリストテレスの違い:村田沙耶香「消滅世界」を通して簡単に!

ソクラテスは自分を観ろ、 プラトンは空(上)を観ろ。 アリストテレスは地を観ろと言う。 ソクラテスは誠実に内面に向き合え、対話を重んじる人、 プラトンは天を仰ぐ厳格な理想主義者。 アリストテレスは地に足ついた外界のリアリスト。兼、行動、実践の人  ソクラテス、プラトン、アリストテレス、この三人のうち、誰を愛し、誰を師としたいかと聞かれれば、ソクラテスを父に、アリストテレスを師にしたいと述べる。彼等の違いを1ページで述べ、我が答えの答えとしよう。  ソクラテスはできる子も

    • 人間が世界で最も殺している生きもの = 世界で最も人間を殺している生きもの ~宮沢賢治 「注文の多い料理店」

       蚊は人間にとって最も良心を痛めることなく殺害できる生きものであると同時にWHOの報告によると、蚊が世界で最も人間を殺している生きものなのである。(参考までに;2位は人間である)そして、生殖機能を持つ前に死亡する蚊を遺伝子組み換えを通して作出したことで殺虫剤が要らなくなる日が来るかもしれない…というニュースが流れるやいなや、イェール大学の研究チームがより強靭な抵抗力を持つ蚊の誕生を確認した。主体は客体で客体は主体だったのである。 宮沢賢治「注文の多い料理店」 「どなたもど

      • 「主観的なものと客観的なものという概念は、いつの間にか完全にさかさまになってしまった。」アドルノ「ミニマ・モラリア」

        「主観的なものと客観的なものという概念は、いつの間にか完全にさかさまになってしまった。」(アドルノ「ミニマ・モラリア」91-2)  主観から始めてみよう。主観とはある1つの個人主義的視点を重視するひとつのイデオロギー。「あなたは…」「私は…」相対主義に陥らざるを得ない。「マイノリティの立場に立って考えなさい」各々の主観が尊重され大切にされる。「他人の気持ちを考えなさい」個我をペンディングして「外部」から抽象的に別の「主体」を尊重=客観する視点においては「個我が解体」され「自

        • クリストファー・ノーランの「バットマン」

           アカデミー賞を総なめにしたクリストファー・ノーラン監督の「オッペンハイマー」。彼の作品に流れる通奏低音を「ダークナイト」トリロジー、「メメント」「インソンニア」「インターステラー」、そして渡辺謙が出演した「インセプション」等々から整理して列挙して行こうかと思う。今回は「ダークナイト」トリロジー。  目の前で強盗に両親を殺され、やりようのない怒りを「笑顔」という「仮面」で隠し成長したバットマン=ブルース・ウェインを子どものころから育てた父代わりでもある執事は彼がマスクを脱ぎ

        ソクラテス、プラトン、アリストテレスの違い:村田沙耶香「消滅世界」を通して簡単に!

        • 人間が世界で最も殺している生きもの = 世界で最も人間を殺している生きもの ~宮沢賢治 「注文の多い料理店」

        • 「主観的なものと客観的なものという概念は、いつの間にか完全にさかさまになってしまった。」アドルノ「ミニマ・モラリア」

        • クリストファー・ノーランの「バットマン」

          科学にはできないタイムトラベルを実現するのは「痛み」

           ハイデガーはひとをSubjectum= Sub(下に)、ject(投げ出された)被投された存在であるがゆえ平等を求め平準化しようと闘争を続けるという。主体の地位が上昇化すれば、社会が主体の地位を下に投げ出そうとする。より低い所に照準を合わせようとするのが主体性(Subject)の性質であるとハイデガーは分析する。(ハイデガー、存在と時間Ⅱ s.500-)  従って、ひとはひとを下げ自分を上げる。何かを創造したり、信用を築き上げるのには何年、何十年とかかるが、損なうのは一瞬

          科学にはできないタイムトラベルを実現するのは「痛み」

          メディアという葬送

           むかしむかし、来るべき季節に雨と日の光を願い、穀物の実りを期待し、ひとびとを守る者が必要とされた。それはわたしたちがここぞと言う時に神社仏閣で購入する「お守り」に相当する。そんな呪術的共感関係の場において、「自然」と「超自然」の媒介人として王=神がたてまつられた。 そして、ひとびとは、ある者を殺したいと思えば、その者の像を象ってそれを破壊した。神や像は人間の想いの代理物に過ぎないからだ。  王の生命には万人の幸福がかかっているのである。したがって、王=神が身体的に弱れば世

          メディアという葬送

          安部公房 S.カルマ氏の犯罪 抜粋

          パン屋のカウンターで働く少女は証言する。 毎日パン屋に来る客は「つけ」をごまかそうとする。 反対に、少女の眼には見えた。 カルマ氏は正直者で名前をどこかに落としてきて困っていることを。 しかし、裁判において裁判関係者が望む証言はカルマ氏が「犯人」であることを示す事実だ。真実を求めているのではない。カルマ氏を有罪にしたい法学者たちは証人としてパン屋の少女に質問をする。 被告はパンを食べました。 「盗んだのだな!」と法学者 「いいえ」 と少女。 「なんだ、つまらん」 法学

          安部公房 S.カルマ氏の犯罪 抜粋

          シャーロックホームズとマルクス

            一族の「呪い」?爆笑だ。シャーロック・ホームズ曰く、バスカヴィル家の呪いなど人間の想像力のなせる業。「理性の狡知」の飛翔に過ぎない。(ヘーゲル)何度も国内外で映画化されており子どもたちのロマンでもあった「バスカヴィル家の犬」。   サー・ヘンリーの慕うベリルは、ステイプルトンの妹ではなく妻。殺されたのはヘンリーでなく、ヘンリーの服を着たセルデン。犬にとっては、ヘンリーの匂いのついた服を着たセルデンも、ヘンリーの匂いを持つヘンリーもヘンリーだからだ。相対性とは視点によ

          シャーロックホームズとマルクス

          ジョン・ケージ「4分33秒」の沈黙?:沈黙を作る音

          音=精気 「ここに座って大人しく音を聴け」演奏会の椅子に縛り付けられて音を聴かねばならない「聴衆」の誕生はまだ歴史的には最近のこと。(「聴衆の誕生」)エリック・サティの「家具の音楽」のように「音」とは本来、家具と同様、そこら辺にあっても日常生活を邪魔しないもの。ジャズだって語源はJass ≠ Jasm(Jism)=精気、精液“を意味し、2人の「世界」に精気を吹き込みJass it up”(現在の“Fuck you”:「やっちまえ」や「さっさとやっちまいな」と盛り上げ、ロックン

          ジョン・ケージ「4分33秒」の沈黙?:沈黙を作る音

          レオナルド・ダ・ヴィンチと聖母の「穴」

           レオナルド・ダ・ヴィンチには聖女の微笑みを美しく描けても、悦楽する娼婦は生生しく描けない。彼は「女」を「聖的」に求めはしたが「性的」に抑圧したからだ。レオナルドによると「ひとはそのものの本質を徹底的に認識してしまわないかぎりは、あるものを愛したり憎んだりする権利をもたない」つまり彼は情熱的に愛することも憎むこともせず、代わりに、正しく愛すること、憎むことを探究し認識に徹底してしまったのである。したがって、レオナルドの情動は抑制されていた。レオナルド自身の言葉を借りると「無数

          レオナルド・ダ・ヴィンチと聖母の「穴」

          食事と情事と催眠と…

          「食事と情事の後には睡眠が来る」その共通性はどこにあるのか?数学者ルネ・トムによる著書「構造安定性と形態形成」によると、愛することと食べることは共に自己を喪失し他者を消化する自他融合の行為だから。厳密にいえば、生殖と捕食が生み出す主客の区別の喪失というカタストロフ(状態変化)にエネルギーが消費され催眠が引き起こされるのである。他者(牛、豚、愛する人…)を自分のものとするとき、自分が自分でなくなりそのカタストロフに眠くなる。鷹が小鳥を追う。小鳥は逃げる。小鳥はもう逃げきれないと

          食事と情事と催眠と…

          「これが松本人志だ!」スラヴォイ・ジジェク分析

           嘘つきがあいつは嘘つきだと言う。「声」は最もクリーンで透明な「完全犯罪」を完遂できる殺人兵器である。声は「声にならない声」をも奪い亡き声とする「口封じ」の媒体メディア。身体的口封じを殺人、そして「声」による心理的な口封じを「魂の殺人」という。松本人志さんに対するあまりに過熱した報道への「広島マツダ」松田哲也会長よりの批判に「吐きそう」「おそろしいものを読んだ」などの批判が浴びせられている。「声」さえ自由に「出せない時代」になったのだ。  「ダウンタウンのガキの使いやあら

          「これが松本人志だ!」スラヴォイ・ジジェク分析

          ショーペンハウアー「意志と表象としての世界」

          関係=現象 埃にまみれ床に転がるひよこを見て、病気で床に臥せている時に枕元に運んでくれた亡き犬や猫を想う。あのとき、美しい景色を一緒に見ようと何度も何度も誘ってくれたあの人はもう存在してはいない。何故あんなに嫌いだった人を好きになり、何故あんなに好きだった人が嫌いになり…と思ったことはなかろうか?あの人を愛した私も、あのとき愛した/愛してくれたその人も、あれ程感動したあの場所も…あの書物も…世界は私の表象、時間と空間における「関係」において存在するものにすぎない。時間の

          ショーペンハウアー「意志と表象としての世界」

          「トーキョートドージョートー」② 「この人を見よ」(ニーチェ)

          「おまえが何者か、私にはわかっている」 「あの者は絶え間なく私を視つめていた。」 「おまえはその者がおまえを見たことに我慢ならなかったのだ…お前のすべてを見通したことに耐えきれなかったのだ」「そういう目撃者に私は復讐しようとしたのだ。」                      その者は「私という謎のうちの最良な部分もまた最悪の部分も説き明かした。私が何者であるかも、また私がなにをしたかも見抜いた。」 「人間の奥底を、底の底を見たのだ。人間の隠された恥辱と醜さのすべてを見

          「トーキョートドージョートー」② 「この人を見よ」(ニーチェ)

          ドゥルーズ「ニーチェ」:力への意志

          ニーチェは何故、強い者を弱い者から守らねばならぬと言っているのだろうか?答えはひとつ。真の善と悪は見えず、可視的な善は偽善、吹聴され意図的に可視化される悪は冤罪であることが多いからである。真の善はアーレントが分析したように可視化した時点で善では既になく、それゆえ真の善人というのはキリストのようなある意味ニヒリスト、彼は罪なくして黙し十字架に架けられる者だからだ。これを昔は「口封じ」と呼んだ。口を封じられるのは「善」人、なぜなら弱い者は「嘘を必要として」おり、嘘とは「彼等

          ドゥルーズ「ニーチェ」:力への意志

          「トーキョートドージョートー」と「東京都同情塔」by 九段理江

          ラカンは日本人が精神分析やカウンセリングを受けても無駄だと言った。というのも日本人とは「いくら言葉を尽くしても言葉の先に行くことができないからだ。言葉とはいつまでもただの言葉にしかならない。」(87)日本人にとって言葉とは本音と建て前、ウチとソトを使い分けするため「最初から最後まで嘘を吐くため」のもの。(88)犯罪者は「ホモ・ミゼラビリス」、刑務所は「東京同情塔」、そして「トーキョートドージョートー」へと改名される。しかしながら海外メディアの報道はネガティブだ。外来語から新

          「トーキョートドージョートー」と「東京都同情塔」by 九段理江