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ミツバチのドローン化とカフカの「橋」

もしも、地球上からミツバチが消えたなら、
 人類は4年で滅亡するだろう

警鐘を鳴らしていたアルベルト・アインシュタイン。いま、そのミツバチのコロニーが年々30-40%平均で消滅していており、養蜂農家は店じまい…
ハチという媒介者がいなければ、他の昆虫への連鎖的絶滅も引き起こされ
世界中の農業は苦境に陥る。

果物、野菜の生産は
ハチ等による受粉に大きく依存しており、

ハチがいなければ、
ヨーグルトなど乳製品も食べれなくなるし
朝のコーヒー習慣もなくなり
肌触りの良いコットンの服も着れなくなる
形の良いストロベリーの並んだ
いちごのバースデーケーキも
ショーウィンドウに並ばなくなる
ハチにより受粉されたイチゴは、
風媒あるいは自家受粉のものよりも
身も詰まっており、赤く、変形したものが少ないことも欧州委員会による研究で明らかになっている

私は大学の講義で
「共同体」や「国家」「経済」「福祉」について学生と共に考える時、
いつも昆虫や動植物、海の世界の雑談やビデオから講義を始めていた。「資本主義の次に来る世界」の作者 LSE元教員でもあるヒッケルが昆虫の話から経済書を始めたのに同じだ。

これは生態系についての話であり、すべては相互につながっている。わたしたちにとって、この仕組みを理解するのは難しい。なぜなら、わたしたちは世界を複雑な全体としてではなく、部分として考えがちだからだ。自分についてもそのように──個人として──考えるよう導かれてきた。物事のつながりに注意を払うことをわたしたちは忘れている。昆虫は受粉に欠かせず、鳥は作物の害虫を食べてくれる。ミミズは土壌を肥沃にし、マングローブは水を浄化し、サンゴ礁は魚の群れを養う。これらの生きているシステムは、人類と切り離された「外」に存在するのではない。それどころか、このシステムは、わたしたちの運命と絡みあっている。ある意味で、わたしたちなのだ。

—『資本主義の次に来る世界』ジェイソン・ヒッケル著

講義室の外から見て どうして前川先生はコミュニティの話にミツバチや海の世界のビデオを見せておられるのだろうと奇怪に思われていたことだろう。
「今日の授業面白かった?何の授業だったの?」
「イチゴのショートケーキ!」
話し出すとイチゴのバースデーケーキと蜂の話で一講義が終わってしまっていたほどだ。

もうすぐ
形の整った赤いイチゴが消える
「あの」ショートケーキもバースデーケーキも消える
ミツバチが消えるから

イチゴは限りない贅沢品になり
一粒 何千円 何万円
高級百貨店でしか見られないものとなり
イチゴを知らない子どもも出てくる
時代も来るかも知れないのだ
だから
私は学生に講義始めにまず問う

イチゴのショートケーキを食べる前に
胸をつまらせるほどに物思う者がどれだけいるのかと。


蜂=見えない媒介者 
私達の見えないところで
意図なしに働き続け 
我々に美味しい食物を
届けてくれる
見えない媒介者
第3者的 見えない媒介者の存在こそが
共同体を見えない糸でつなぎ
成立させていることを我々は知らない。

ジラールの羨望の三角形こそが、
資本主義経済発展の基本でもあるが、
またラカンが双数=決闘的関係で描くのも
実は三角の苦悩。
関係は「3」で発展し、また苦悩する。
皆さんご存知の三角関係でも同じだ。
関係は「2」で安定し平和だが発展はない

封建社会から資本主義的社会への移行も
プロテスタンティズム倫理という見えない媒介者を経て、わからぬ間に移行していたように、

我々も見えない蜂の消滅と共に
次の世界へ移行
する。
食品類の価格は
その世界では恐ろしく高騰化していることだろう。
その時 人はやっと今まで何千年、何万年に渡る
我々の常識が常識ではなかったこと
蜂のただ働き、
自分たちのために働いてきてくれたわけではないが
どんなに蜂たちと我々が密接して生きてきたかを知るのだ。

最も遠い見えない存在が
近い存在であったことを

もうすでにAIによる養蜂管理は進んでいるが
人はきっと近未来に
ドローンでの受粉
AI蜂の製造を試みるであろう。
もうすでに実験は相当に進んでいるはずだ。
というか
進んでいなければ間に合わないだろう。
しかしカントも例に引いたような蜂の知能
AIに真似ができるわけがない
AIに蜂のような共同体的観念はないからだ

ミツバチのドローン化や
AI化が実現する時

ミツバチが失われた時

ミツバチの
その近さを
有り難さを
どれだけ
認識するだろうか
ミツバチとは見えない媒介者
ミツバチとは環境をつないできた「」なのだ。
カフカの「橋」のように認知の到来を待っている「橋」
その橋を越えると世界はガラッと一変する「橋」
ミツバチの作ってきてくれた我々の常識という共同幻想はそこで尽きる。
フレドリック・ジェイムソンのいう「消える媒介者」

アインシュタインの言うように
そこに世界はもう「ない」のかもしれない

スピノザも
そして上記ヒッケルも強調するが
ミツバチは 「わたしたち」だったのだ

遅ればせながらと言わねばならないが
2019年 国連は昆虫世界を監視するために特別なタスクフォース「生物多様性及び生態系サービスに関する政府間の科学‐政策プラットフォーム」( I P B E S)を立ち上げ、I P B E Sは最初の包括的な報告書を発表している。この流れを止めることができるのだろうかは未知数だ

カフカの「橋」は短編である
以下お読みください

橋  私は橋だった。冷たく硬直して深い谷にかかっていた。こちらの端につま先を、向こうの端に両手を突きたてて、ポロポロ崩れていく土にしがみついていた。風にあおられ裾がはためく。下では の棲む渓谷がとどろいていた。こんな山奥に、はたして誰が迷いこんでくるだろう。私はまだ地図にも記されていない橋なのだ だから待っていた。待つ以外に何ができる。一度かけられたら最後、落下することなしには橋はどこまでも橋でしかない。  ある日の夕方のことだ もう何度くり返してきたことだろう 私はのべつ同じことばかり考えていた。頭がぼんやりしていた。そんな夏の夕方だった。渓谷は音をたてて黒々と流れていた。このとき、足音を聞きつけた。やって来る、やって来る! さあ、おまえ、準備をしろ。おまえは手すりもない橋なのだ。旅人がたよりなげに渡りだしたら気をつけてやれ。もしもつまずいたら間髪入れず、山の神よろしく向こう岸まで放ってやれ。  彼はやって来た。 の先っぽの鉄の尖りで私をつついた。その で私の上衣の裾を撫でつけた。さらには私のざんばら髪に を突きたて、おそらくキョロキョロあたりを見 していたのだろうが、その間ずっと突きたてたまま放置していた。彼は山や谷のことを考えていたのだ。その想いによりそうように、私が思いをはせた矢先 ヒョイと両足でからだの真中に跳びのってきた。私はおもわず悲鳴をあげた。誰だろう?  子供か、幻影か、追い剝ぎか、自殺者か、誘惑者か、破壊者か?  私は知りたかった。そこでいそいで寝返りを打った なんと、橋が寝返りを打つ!  とたんに落下した。私は一瞬のうちにバラバラになり、いつもは渓流の中からのどかに角を突き出している岩の尖りに刺しつらぬかれた。」

—『カフカ短篇集 (岩波文庫)』

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