「神の見えざる手」のリアル
職人の朝は早い。
朝8時には現場に到着して仕事の用意をしておくのが当たり前、朝の段取りが悪ければ1日の作業が全てうまくいかなくなる。
職人時代の気づき
私がまだ職人として現場に出ていた頃、自宅から現場までの通勤時間の短縮は常に重要なテーマでした。
現場は大体住宅地にあり、公共交通機関でスムーズに行ける事はほとんどありません。道具や材料の運搬もあることから、原則は常に車での移動。
朝の渋滞に捕まら無いようにと、渋滞が始まる前の早い時間に市街地を抜けてしまえるように心がけていましたが、現場によってはどうしても混み合う道路を通らねばならないこともありました。
急いでいるときに、渋滞に捕まるとイライラして何とか抜け道を探そうとします。脇道に入ってあまり車が通らないような細い道を抜け、混み合っている信号をパスできると世紀の大発見をしたかのように喜んでいたのを今も覚えています。
長年、そんな暮らしをしている中で、あることに気がつきました。それは、同じ思考をする人たちの集合知は、示しあわせたり、意図しなくても最適解を求めて自然とバランスを取ろうとする「神の手」と呼ばれる現象が働くことです。
自然に最適化される
誰も通っていない抜け道を発見して、しめしめと、毎日渋滞している道路から逸れるのを繰り返していると、だんだんと他の車がついてくるようになります。いつしか多くの人に知られるようになってしまい、渋滞しないはずの道がだんだんと渋滞するようになり、いつしか元の広い道よりも抜け道の方が時間がかかるようになってしまったりします。
そうなると、狭い道を走る意味が全くなくなり、逆に、脇道にそれるの止めるようになります。この行ったり来たりを繰り返していると、どちらも適度に混み合う道路になり、結局どちらを通っても同じ位の時間になるバランスが取れていくのです。
アダム・スミスが提唱した、「見えざる神の手」が働くとの原則は、マーケットや為替は利益を追求する人たちによって需要と供給のバランスで自然に最適化されるものであり、人が介入し、意図してコントロールする必要がないと言っていたのはこういうことなのだと納得させられました。
経済で神の手は発動しなかった理由
車の渋滞問題では、実際に神の手が発動されるのを何度も見てきましたが、残念ながら今の世界経済において、神の手は機能しなかったと言われています。
莫大な資産を持つものが市場を席巻し、マーケットを作り、需要を操って供給を絞るほどの力を蓄えるようになりました。
大資本がメディアを押さえ、情報も自在に操作して、世界経済を自分たちの思い通りにコントロール出来る状態が広がった結果、世界中で圧倒的な格差を生み出し、分断を巻き起こしています。
金融資本主義は持つ者の影響力が強くなり過ぎて、持たざる者はまるで奴隷のように操られる世界を作り上げました。
人の集合知による最適化が機能するには、最低限、人が人として認められ、選択肢を持てるようになることが前提に必要であるとの条件をアダム・スミスは気づいていなかったのか、それとももっと富の分配が適正に行われることを期待していたのかはわかりませんが、残念ながらこれまで現実の世界では見えざる手の最適化は機能しませんでした。
破壊と創生
しかし、私はこれからの世界に全く望みがなくなったわけではないと思っています。
世界中で戦争や紛争が頻発し、日本では閉塞感と未来への不安が蔓延して坂道を転がり落ちるように人口が減少し続けておりますが、このカオスに陥るのを機に人々は自ら選択しなければならないことに気づくと考えています。
もっと良く考えて、これまで通りの道を何も考えずに渋滞に巻き込まれながら進むのではなく、違う道を模索しなければならないと気づき始めると思うのです。
その意識レベルが全体的に上がり始めると、これまで機能してこなかった集合知が機能し始めるのではないかと思うのです。
ただ、残念なことに、神の見えざる手の発動には、苦しみや悲しみが伴うと言う残念な真実がついて回ります。
痛みを感じて、それから逃れる行動を繰り返すことで、徐々に最適化されていくのは職人時代に渋滞の道を避ける際に何度も繰り返し見てきました。
現在、ウクライナやロシア、パレスチナやイスラエル等々、戦火に巻き込まれて絶望を感じながら日々を暮らしている人が世界中に少なからずいます。
戦争など他人事だと、平和を満喫しているように見える日本でも、実は毎年3万人の人が自ら死を選択していますし、少子化、人口減への対処が国家存亡の喫緊の課題だと言われているにもかかわらず、せっかく宿した命を中絶する件数は12万件にも上ると言います。非常に多くの人が絶望しているとしか思えませんし、既にカオスは始まっているのだと思うのです。
ちなみに、当たりすぎていると話題騒然となった未来予測、SINIC理論では現在、最適化社会の最終年度との位置付けになっています。これも決して偶然ではないと思います。
共感で繋がる共同体と最適化との関係
アダム・スミスが提唱した神の見えざる手のそもそもの出典は「人類最後の最終戦争には、信徒は神の見えざる手により救済され、天国へ行くことができる」とのキリスト教の教えから来ていると言います。
終末思想では、人類はハルマゲドンが起こり絶滅の危機に瀕するとされており、第三次世界大戦が勃発し、核戦争がいつ起こってもおかしくない今の時代、神の手による最適化が初としても全く違和感は感じません。
神を信じるか否かはさておいて、窮鼠猫を噛むかの如く、気づき始めた人たちが連携をとり、共同体を再構築することで、本当の意味の最適化が進むのは想像に難くありません。
ちなみに、ダーウィンの進化論の中の「適者生存の法則」は、変化に適応した者が生き残るとのハーバート・スペンサーの概念を引用しつつ、
「共感は、たがいに助けあい守りあっている動物全てにとって、極めて重要なものの一つ、 〜中略〜 極めて共感に満ちた個体が多数集まっているような共同体は、よく 栄え、多数の子孫を育てるだろうからである」
と、共感と共同体構築が持続可能性を担保すると一つの結論を提示しています。
見えざる手の発動は決して神様頼みではなく、このままではダメだ。と気づいた人たちの集合知であり、そこから生まれる行動の結果、生み出されるものだと思うのです。
出来る限り、苦しみや悲しみが少ない状態のうちに世界が変わるのを願いますし、まずは自分から、人が人としての尊厳を持てる世界へと変容するように、精一杯の活動をしたいと思うのです。
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この国の未来を憂いて行動しなければと考えている方、ぜひ繋がってください。
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