南北朝時代

【トピックス】「楠公さん」実現へ協力 大河ドラマ誘致協議会

 南北朝時代に活躍した武将、楠木正成・正行親子を取り上げ、ゆかりの深い関西地域の振興につなげる目的で「『楠公さん』大河ドラマ誘致協議会」の会長を務める島田智明河内長野市長らが、県庁を訪れ、荒井正吾知事に協力を依頼した。荒井知事は同協議会の顧問に就任した。

 同協議会は平成30年4月に設立された。正成が幼少期に仏道を学んだ観心寺がある同市の島田市長が会長となり、現在、吉野町など県内8市町村を含む6

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ありがとうございます。スタッフ一同勇気づけられます。
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足利尊氏へのタブー視

室町幕府の開祖、足利尊氏(1305-1358)。

知名度が高いわりに、フィーチャーされることが少ない。

やはり、後醍醐天皇(1288-1339)を裏切った「朝敵」というイメージが強いからだろうか。

 

その昔、歴史学者の辻善之助(1877-1955)は、論文「足利尊氏の信仰」(1917)で尊氏擁護論を展開した。

それが後に、右翼の蓑田胸喜(1894-1946)らに攻撃され筆禍事件に発展し

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BOOK:マンガ日本の古典 太平記

さいとう・たかをさんの「太平記」。中公文庫のマンガ日本の古典シリーズ。
南北朝時代に…というか後醍醐天皇に興味があったので買いました。
1318年〜1368年頃までの約50年間の出来事を、応安年間(1368年〜1375年)に複数の人の手によって描かれ、成立した物語のようです。出来事が起きた年代と、物語が描かれた年代に、それほど差がないのが特徴的です。

時代自体が混沌としていて分かりやすくないです

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60年に渡る長き分裂の始まり

中先代の乱
鎌倉幕府を滅ぼし、実権を握った後醍醐天皇は天皇中心の政治を行い自分に近い貴族や側近を重用し、武士たちを軽く扱った。武士たちが不満を募らせるなか、1335年鎌倉幕府最後の執権・北条高時の子時行が挙兵した(中先代の乱)。後醍醐天皇と一緒に鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏が許可を得ず、乱を鎮圧し部下に勝手に恩賞を与え始めた。

九州落ち
激怒した後醍醐天皇は、新田義貞を総大将として討伐軍を派遣する

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京都府内の石造物㊶:大長瀬町公民館宝篋印塔



名称:大長瀬町公民館宝篋印塔

伝承など:なし

所在地:京都府京都市左京区大原大長瀬町 大長瀬町公民館

大原三千院より南に下って十五分ほど歩いた大長瀬町の公民館の傍らに、二基の宝篋印塔が並んで建っており、元々この地に存在した墓地にあったものと言う。

場所がややわかりにくいが、京都バスの梅の宮前バス停で下車し、梅宮神社の脇の道を登り切った所にあるお休み処の奥にある。

向かって右側の塔には

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歴史・人物伝~太平記編①鎌倉末期の時代背景とは

「思い入れ歴史・人物伝」で、日本最長の歴史文学と言われる「太平記」を取り上げます。太平記の舞台となる時代は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての約50年間で、日本史上指折りの動乱期です。

歴史・人物伝~太平記編では、動乱の発端となる鎌倉時代末期にスポットを当て、太平記での描写を原本にしながら、登場人物を紹介していきます。
その前に、時代背景に触れておきたいと思います。

天皇家の両統迭立

太平

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ご覧いただき、かたじけなく存じます

北関東の石造物㊲:珊瑚寺五輪塔・宝塔(伝・梶原景時、源頼朝供養塔?)



名称:珊瑚寺五輪塔、宝塔

伝承など:梶原景時父子、源頼朝供養塔

所在地:群馬県前橋市富士見町石井 珊瑚寺

現在は合併して前橋市の一部になった赤城山麓の富士見町(旧富士見村)にある珊瑚寺は、平安時代初期の大同年間に開かれたと伝承される古刹であり、その後何度かの無住の期間を経つつ、白井長尾氏などの庇護を受けて、天台宗の寺院となって現在の珊瑚寺と言う寺名が定まったのは、文明年間のことである(そ

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北関東の石造物㊱:西横手宝篋印塔



名称:西横手宝篋印塔

伝承など:なし

所在地:群馬県高崎市西横手町 西横手町公民館前

高崎市西横手町の公民館前に建つ大型の宝篋印塔は、明治初年に廃絶した西福寺にあったものと言う。

南北朝時代末期の明徳元年銘があり、三メートル近くある大型塔である。

この宝篋印塔は、基礎と塔身の間に須弥壇を象った中台を置く、「須弥壇式宝篋印塔」と呼ばれる群馬県と埼玉県の北部にのみ存在する特殊な形式で、そ

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全125代にも入らない天皇たちのこと、少しは知っておこうよって話。

昨年、30年ぶりに代替わりした現天皇陛下は数えて125代目にあたる。では、日本でこれまで天皇の座についた人物は何人いたか、正確に答えられるだろうか。

こう聞く以上、125人ではないだろうと考えるのは道理だが、ではどう数えればいいかというと、ちょっとややこしい。その理由の一つは、飛鳥、奈良時代に2度皇位についた人物が2人いることによる。この2人はなぜかいずれも女性なのだが、ということは、2人分引い

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