【『逃げ上手の若君』全力応援!】(163)「鉤陣」は高師直オリジナル? 婆娑羅好みの「長巻」を魔改造!? デキすぎる男が主君を「神」と崇めるその危なっかしさよ……
今回、『解説上手の若君』で監修の本郷和人先生がおすすめの作品に『キングダム』と『ゴールデンカムイ』という集英社の看板二作品を紹介していて、〝映画やドラマが始まったからかな……〟と勘ぐってしまう私なのですが、マスメディアの影響力は本当にすごいです。
実は、『逃げ上手の若君』に関する記事の閲覧数がものすごい勢いで増えています。TVアニメの影響であるのは明らかです。私としては、諏訪頼重や諏訪一族のことを知ってほしくて取り組みを始めたので、たくさんの人に読んでもらえることは大変嬉しく思っています。
松井先生が北条氏と諏訪氏との間にどのような「絆」を見出したのか、私もそれを知りたいですし、自分自身が考える真実についても今後も考察を続けていきたいと思っています。
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さて、今回もまたまた高師直特集になってしまい、あらかじめ〝ごめんなさい〟とお伝えしておきます。
『逃げ上手の若君』の師直は、基本的に顔が怖いし、現代バージョンにしたところで、有能さは伝わるけれどもカタギっぽくないので、キッズには人気なさそうです。私はと言えば、古典『太平記』や亀田俊和先生の『観応の擾乱』を読んで以来、師直はとても気になる武将の一人です。松井先生も絶対に師直のことが好きだと思います。
第163話の最後のコマの十代の少年らしい師直はマジでイケメンですし(少年の時から顔怖いけど……)、「神とは尊氏様ただ一人」という一途さは、亀田先生が「彼こそが東国の伝統的な御家人階層出身の保守的な武士だった」とする、師直の芯の部分をよくとらえているなあと思ったりするのです。
要するに師直は、自分が体験してきた尊氏の〝怪異〟を、合理主義者ゆえに「神」として認識したということなのですよね。彼の信仰する「神」が、ショボショボの未来しか見えない諏訪頼重ごときの「諏訪明神」ではなかったというだけで、「神」自体の存在は否定しないのが「保守的」と言えるでしょう。
スケールの大きな理論を打ち立てた科学者や実際に宇宙空間を体験した宇宙飛行士たちの何人かが、晩年にスピリチュアル的なことを言い出したり宗教家に転身したりするのと同じ心理なのかもしれません。
ただ、尊氏の身体にはびこる〝目玉〟は、私には正直なところ気持ち悪いとしか思えません。もし師直がそうは思っていないのだとしたら、そのあたりに問題あるのかもと思ってしまいます(人の趣味嗜好をとやかく言うつもりはありませんが「人妻」好きですし、そのあたりがちょっと……)。
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「俺が選り抜いた精鋭兵には 背後を川で守られた背水の陣だ」
「背水の陣」が、決して不利な陣形ではないことは、こちらのシリーズでもかつて紹介しています。
古典『太平記』からも引用してみたいと思います。佐々木道誉がこの由来を語る形となっています。
そもそも昔から今に至るまで、勇士・猛将が陣営を構えて敵を待つ場合には、後ろに山を背負い、川や湖水を前にして戦うのが当り前なのに、いま大河を背にして陣を構えられたことは理解できないと言い合う者が多かった。佐々木判官入道道誉はこれを聞くやいなや言うことには、「これもまた一つの兵法である。その理由は、昔漢の高祖と楚の項羽とが天下の覇権を争うこと八か年というもの、合戦は少しの間でも途絶えることはなかった。あるとき、高祖が合戦に敗れて、三十里逃げてから生き延びた兵を数えてみると三千騎にも足らなかった。項羽は四十万騎の軍勢でこの高祖の軍勢を追ったが、その日はとっぷり暮れたので、夜が明ければ漢軍の陣地へ押し寄せて高祖を一度に滅ぼすのはたやすいことだと、勇み立って豪語した。ここで、高祖の臣下の韓信という名の武将を大将にして、合戦の陣を敷く準備をさせたところ、韓信はわざと後ろに大河を当てて、橋を焼いて落し、船を打ち破って捨てさせた。この戦略は、とうてい逃れられないところを知って、兵士に一歩も退く心を持たずに討死せよと教えるための作戦であった。夜が明けると、項羽の四十万騎の軍勢が押し寄せて来て、敵は小勢だと見くびって、勝負をすぐさま決しようとした。その勢いは盛んで、左右も見ずに攻めかかったのを、韓信の三千余騎の軍兵は一歩も退かず命を惜しまず戦ったので、項羽軍はたちまち敗れて、討たれた者は二十万人、逆に五十余里を逃げて、沼を境とし沢を隔てて、ここまでは敵はよもや攻めかかってくることはあるまいと、橋桁を落して陣を構えた。
確かに、退却が選択肢としてない兵たちにとっては、背後を狙われることがない有利な陣形であるのだと、師直は雫に対して言い放っていると見られます。
また、陣形といえば、師直は「鉤陣」となるよう兵たちに命じています。
『国史大辞典』の「陣立(じんだて)」の項目によると、「比較的早くわが国の文献にみられるのは八陣(はちじん)と五行陣(ごぎょうのじん)」で、「わが国で八陣という場合は、平安時代に、大江維時が唐から学んだとされる魚鱗(ぎょりん)・鶴翼(かくよく)・雁行(がんこう)・彎月(わんげつ、または偃月(えんげつ))・鋒矢(ほうし)・衡軛(こうやく)・長蛇(ちょうだ)・方円(ほうえん)の八種類の陣形をさすのがふつうである」が、「五行陣とよばれる陣立が、実際にどのようなものであったかという点は明らかではなく、地形に応じて、方・円・曲・直・鋭の五つに分けて構えたものと考えられている」とあります。
「鉤陣」は『逃げ上手の若君』の高師直オリジナルでしょうか(詳しい方がいらっしゃいましたらぜひご教示ください)。陣形はその形を名称としていますので、一見すると「峰矢」や「鳥雲」に似ているのですが、別物なのですね。「鉤」とはいわゆるフック(「先端が曲がった、金属製の細長い具。物をひっかけて、止めたり引いたりするのに用いる。また、それに似た形や物。」〔日本国語大辞典〕)のことです。形よりも師直の「側面を消せ」や伊達行朝の「包囲したのに脇も背中も晒さない!」という個々の状態を状態を表しているのかな……などといろいろ考えてしまいました。「鉤」と称した武具もあったようで、「相手をひっかけて倒したり、物をこわしたりするときに用いる」〔日本国語大辞典〕とあります。
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最後は、師直が両手に持っている武器のことについてです。私は詳しくないので前回「太刀」と記したところ、読者の方から「長巻(ながまき)」ではないかというご指摘をいだだきました(ありがとうございます)。
長巻(ながまき)
(「ながまき(長巻)の太刀」の略)柄(つか)全体を革緒や組緒で長く巻きつめた長柄の太刀。
『日本国語大辞典』には、「長巻は織田信長の好みにて、挿替の太刀に一ひろばかりの柄を付けて、戦場へは馬廻に百本づつ持せられしと云ふ」〔随筆・仙台間語〔1764〕三〕という近世の用例が掲載されていて、〝信長が好きな武器だったんだ……〟と思いました。まさに婆娑羅好みの武器という『逃げ上手の若君』上での設定なのかもしれません。だとしても、師直のそれは魔改造入ってますね(汗)。
「むちゃくちゃな太刀筋だ! 柄を貫く輪を支点に自在に変化する!」
逃げ上手の時行をして、かわし切れないってどういうことだよって思います。でも、『逃げ上手の若君』の高師直には、どこか危なげな男性の魅力があります(笑)。まあ、人妻でない私など相手にしてもらえないと思いますが。……おっと、そんなことはどうでもよくて、目玉デロデロな尊氏の国において、師直は一体どういう政治や経済のビジョンを描いているのでしょうか。その一端は、第150話の「全金属製帝」の思想で知ることができます。
北畠顕家が戴く後醍醐天皇と南朝方には、確かに多くの〝過ち〟が存在しています。しかし、顕家はそこから目を背けることなく、奥州武士たちを従えて〝理想〟の国を実現しようと戦っています。顕家の抱く〝理想〟についてはこれまでも何度もこのシリーズで書いてきましたので、興味のある方は過去記事をぜひご覧いただきたいのですが、師直のような合理性による排除は決して正解ではないと私は考えています。
あまりにも強く、超人的な能力に恵まれた顕家と師直ですが、両者の思想的な相違は、現代人への問いかけになっていると思われます。
〔亀田俊和『観応の擾乱』(中公文庫)、日本古典文学全集『太平記』(小学館)を参照しています。〕
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