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🔶私の好きな奈良:王龍寺 静謐な森で歴史を見つめた古刹

王龍寺。ご存じですか?
奈良市西部にあり、住宅地やゴルフ場に近接しています。
地元の方にはお馴染みかも知れませんが、私は最近まで存在を知りませんでした。

奈良には多くの古刹があります。
東大寺、法隆寺、薬師寺、唐招提寺、興福寺…
ほかにも、長谷寺、當麻寺、朝護孫子寺、室生寺など、多くの観光客が訪れる有名なお寺が目白押しです。

そんな中、王龍寺というのは、少しマイナーな存在なのかも知れません。

しかしながら、初めて訪れた時、私にとって初めての感覚に包まれました。

なんだろう、この空気… 
何か体の中から洗われるようなというか、原点に回帰するようなというか…

森に囲まれた参道。本堂から下っていき、山門を見る。

この王龍寺、起源は奈良時代に遡り、聖武天皇の勅願で開かれたとされます。当初は栄えたものの徐々に衰退し、中世には筒井氏の兵火によって焼失していったん廃絶しました。江戸時代になり、大和郡山藩の初代藩主、本田忠平が黄檗宗の僧を招いて再建、本多氏の菩提寺として再興しました。
現存する山門と本殿はその際に寄進されたものの様です。

黄檗宗って、あまりご存じない方もいらっしゃるかも知れません。
曹洞宗、臨済宗とともに日本三禅宗の一つで、鎌倉時代に伝わって既に日本化されていた他の宗派と異なり、江戸時代になって明朝の中国から隠元隆琦が直接伝えたことから、独自の宗風が特徴とされます。
唐僧が伝えたという点では、鑑真和上の律宗と似ていますね。

本堂。左右の丸窓が黄檗宗の特徴を表している。

本尊は高さ4.5m、幅5.5mの巨大な岩に彫られた、磨崖仏の十一面観音像です。この巨岩は本堂の裏手の岩と下部で繋がっており、掘り出した磨崖仏を覆うように本堂が建てられたと考えられます。

この十一面観音像には、建武三年(1336年)の銘が刻まれていますが、これはまさに後醍醐天皇が足利尊氏に追われた南北朝抗争の時代で、楠木正成が湊川で討死した年にあたります。王龍寺にあった古文書には、正成がここに一時身を隠したことが記載されており、激動の時代に南朝との結びつきがあったことを示しています。

また、本尊右にある不動明王にも文明元年(1469年)の銘があり、これは応仁の乱(1467年~1477年)の最中にあたります。

禅宗の寺院となったのはこれより後の時代ですが、まさに戦乱の時代に、都から少し距離をおいたこの地に十一面観音、不動明王が造られ、信仰の対象になっていたということに、この寺の重みを感じます。
王龍寺を包むこの静謐さは、単に禅宗寺院ならではの素朴さだけでなく、激動の時代を見つめた歴史や、人々の思いが深く関わっている様に感じるのは私だけでしょうか。

事前に連絡すれば、本堂での座禅会に参加することも可能だそうです。
一度訪れて見られては如何でしょうか。

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