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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(173)結城宗広は結城宗広を生きただけ……「正直」に生きる人間の物語ほど破綻する!? そして、同じ未来を見つめて出航する時行たちを神力過剰注入疑惑で個性を失った魅摩が襲う!!

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2024年9月28日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 「顕家さま」「俺はもっと学びます あなたがくれた教養の種を奥州に撒きます

当時でもすでに読みこなせる人はほとんどなかった最難関の古典『古事記』
……五平さんの高い志と覚悟をうかがい知ることができます。

 『逃げ上手の若君』第172話は、北畠顕家の御父君である親房卿の策による伊勢出航の場面、五平さんのこのセリフに泣きました。ーー『古事記』を胸に前を見据える彼は、「チ✕コキン」の五平さんですよね(第136話「顕家1333~1338」)。
 私は学校の現場での経験が長くありますが、現代の学びは両極に陥ってしまっているのを痛感しています。ひとつは、受験勉強に象徴される押しつけの学びです。将来に有利だから……確かにそうかもしれません。社会的あるいは経済的な達成という目的は明確ですが、どこかに空虚さが伴います。
 もうひとつは、知的好奇心を刺激し、自己実現を促す学びです。こちらは、動機づけと目標設定があってないようなところが難点です。
 五平さんを始めとする奥州の兵たちにとって、学びとはどのようなものなのでしょうか。
 確かに、親房は「出陣まで昼は造船、夜は学問!」として、尺を「パァン」と言わせながら彼らを無理やり学ばせています(後醍醐天皇から「合格」をもらった時行ですら、尺で「ぐりぐり」されて「童蒙」呼ばわりと、容赦ないです)。  ※童蒙(どうもう)…幼少で道理にくらい者。子供。
 しかしながら、五平さんはしっかりと顕家の最期のメッセージを受け取っています。「あなたがくれた教養の種を奥州に撒きます」ーー「種を奥州に撒きます」というのは、顕家がこの国を形作るのはひとりひとりの個性、つまり、「」であり、その養分としての「教養」が欠かせないこと、そして何より真の「教養」には、顕家が彼らを遇した「敬意」がともなうことを、五平さんは理解したのでしょう。
 真の学びには、自分が自分となるための人格形成とその延長線上の自己実現が起こるのです。ただ、時間がかかります。知識として学んだことを経験として実感することが必要だからです。そして、すぐれた指導者がいなければなりません。

 「せっかちで教えたがり! 間違いなく顕家卿の父君!!

 頬を「ぐりぐり」していた尺は、すぐさま時行の頭上でしなるスパルタぶり……顕家にとっての「すぐれた指導者」は、父・親房であったのがわかります。そして、親房のすごいところは、博識で厳格というだけではなく、「全国戦略を描き続け」て自らも春日卿とともに南奥州へ乗り込むという〝実践の人〟であるところではないでしょうか。

 「健闘を祈る 顕家卿の目指した世のために!

 春日卿が時行と雫の手を取った、別れの場面です。『古事記』を胸に、五平さんも同じ未来を見ているのだと思います。

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 さて、五平さんについて熱く語るのは私くらいかもしれず、第173話の話題をかっさらっているのはおそらく、結城宗広と、それ以上に魅摩ではないかと思われます。もちろん、私もこの二人に触れないわけがないのですが、その前に、こまごまと気づいたことを書き記して、二人についても順に記していきます。

 まず、徳寿丸あらため義興くんです。さすが義貞の子、「海で船とか初めて乗った おろろろたーのしー!」と、船酔いして戻しながらのエンジョイぶりはさすがです。海のない地域で生まれ育った義興ですから、海にはしゃぐのはまあ仕方ないですが……(沖縄から他の地域に出て来た学生が、雪が降ると初めての経験にはしゃいで、どんなに寒くても室内に入ろうとしないという話を大学の先生から聞いたことがあります)。
 ところで、義興のこの右の拳をふりかざすポーズは、第172話「?1338」の冒頭で、「よーしお前ら元気出せ! 首くらいもげてもそのうち生えてくる!」と義貞が檄を飛ばしている構図に似ています(義貞には誰もツッコんでいませんでしたが、義興に対して「楽しんで吐くな!」と常識人の夏がツッコんでいるあたりが笑えます)。この親にしてこの子ありなのかもしれませんが、堀口貞満の死は理解していた義興ですから、実際にこの目で見ていなければ「」でしょう。義興に限らず、子どもとはそういうものだと私は考えます。子どものすごいところは、大人が当たり前だと思うことですら「」を突き付けることです。義貞の「」の隠された偉大さは、このシリーズの前回でも指摘したところです。

 次ですが、少し前にジャンプ本誌の巻末の作者コメント欄で、松井先生の奥様が北畠顕家のご子孫であるといったことが書かれていて、南北朝時代を楽しむ会の会員の人たちと盛り上がったことがあります。その際、顕家が若くして亡くなっているので顕信の系統かなあ……などという発言もあったのですが、顕家の弟である「顕信」が登場しましたね。

北畠顕信(きたばたけ-あきのぶ)
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南北朝時代の公卿(くぎょう),武将。
北畠親房(ちかふさ)の次男。建武(けんむ)3=延元元年(1336)伊勢(いせ)(三重県)で挙兵し,後醍醐(ごだいご)天皇の吉野遷幸をたすける。兄顕家(あきいえ)の死後鎮守府将軍となり,陸奥(むつ)の南朝勢力を糾合するため転戦。のち吉野にもどって右大臣となり,康暦(こうりゃく)2=天授6年(1380)死去したという説がある。
〔日本人名大辞典〕

 古典『太平記』などで「春日少将顕国」つまり『逃げ上手の若君』の「春日卿」と間違えられたりしているようです。
 しかしまあ、出家姿の親房も息子たちもみんな美形ですね(やはり親房もメイクしているのだろうか……)。

 「祟る」発言をした雫に対して、「小さな悪事を懺悔しだした」逃若党の告白に「ファ~」がすごいことになっていますが、この「ファ~」はここにはいない潔白(?)な亜也子が吹いてくれているのでしょうか。
 逃若党の郎党たちのなんと無邪気な悪と正直さ……ですが、第173話では、彼らをはるかに凌ぐ悪と正直とを共存する人物がいますーー結城宗広です。

 「結城殿 無駄な殺生をやめる事はできませんか?

 「よーし 奥州に戻ったらまた自由に殺しまくるぞ!」と無邪気につぶやく結城宗広に対して、時行は意を決して自分の思いを伝えます。それに対して宗広は、凶暴で邪悪な黒目と涙を浮かべた白目の表情を見せ、時行の発言を遮って「これは私の抗えないさがなのです」と答えます。そして、自分が「平和な世なら私はただの大量殺人鬼」であることと、「時代と将軍に恵まれたために忠臣として名が残る」こと、つまり、偶然でしかない自らの現在の境遇をしっかりとわきまえているその姿に、私は何ともやるせない思いを抱くのです。

 「感謝を抱いて私は地獄へ落ちましょう

 『太平記』において、結城宗広は志半ばで非業の死を遂げ、地獄に落ちます。しかしながら、そのことを知った家族の祈りによって救われます。詳しくは、宗広の死が『逃げ上手の若君』の中でも確定したらお話したいと思いますが、数多くの子どもたちも読者である週刊少年ジャンプの中で、宗広の人物像を曲げることなく作品に登場させた松井先生の力量に感嘆せざるをえません。
 結城宗広は、中世の日本人が重きを置いた「正直」という点で言えば、誰よりも「正直」な人です。自分が自分であろうとした時に、その「さが」に制限をかけなかったことに対して、彼自身、何も疑問やためらいや罪悪感がなかったわけではないのです。時行がその言葉を聞けたかはわかりませんが、「時代と将軍に恵まれた」偶然に「感謝」していると言うのです。自分に「正直」に生きること、その人がその人であることの評価は時代によって大きく違うという重いテーマについて、私たちは宗広を通じておおいに考えさせられます。
 私は自分の中で、『太平記』を〝よくできていない物語〟と呼んだりすることがあります。近現代の小説が、整合性のあることを重要視しているのに対して、何もかもがごちゃ混ぜで、一人の人間、一つの事件に対してすら、客観的な因果関係や一貫性がない、嘘とインチキだらけの話ばかりだと『太平記』を解釈する人は多いでしょう(古典文学一般がそうかもしれません)。
 しかしながら、現実の人間や歴史とはそういうものなのではないでしょうか。結城宗広は結城宗広を生きたから、物語は破綻しているというのが真相とは言えないでしょうか。

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 そして、第173話のクライマックスは魅摩登場です。これはもう、南北朝時代を楽しむ会の『逃げ上手の若君』ファンの間では、鎌倉の大仏殿倒壊の時から、〝魅摩最大の見せ場は伊勢!〟と踏んでいました(笑)。

 「恐れるな雫

 時行は魅摩と対決する覚悟を決めていました。読者の皆さんもお気づきだと思いますが、時行は雫の「次の戦で激烈に嫌な未来が見える」という不安をとっくに見抜いていましたね。未来が見えるというのは、どうしても不安とセットになります(さらには、春日卿との別れの場面でも、船出を前に元気な時行に対して雫の表情は冴えません。これも、雫には春日卿の未来が見えたからではないでしょうか。そう考えると、諏訪頼重が常に時行たちをはぐらかして不安な様子など微塵も見せなかったのは、相当に強靭な意思の力があったのだろうと推測できます)。
 不安に押しつぶされない人は、〝今ここ〟に注力しています。未来予知の能力など超越したところで、時行は悟り得ている様子が伺えます。

 「顕家卿に魂を 帝に自由を頂いた もう私は何も恐れない!

 それに対して、魅摩は〝おかしい〟ですよね。確かに、雫は「短い間に神力の量が桁外れに!」と判断していますが、それだけでしょうか。ーー私は、〝魅摩、整形したの!?〟と思いました。なんだか、人形みたいです。大人びて美人のオーラをまとってはいますが、かつての個性的で快活な感じ、はっちゃけた〝魅摩らしさ〟がなくなってしまっています。
 美容整形手術をすると、皆同じ顔になるということを聞いたことがあります。薬品の注射のしすぎで、皮膚がひきつって笑えなくなるといったこともあるようです。
 魅摩が望んだのか、それとも〝ステージパパ〟の佐々木道誉が望んだのかはわかりませんし、そんなことが可能かもわかりませんが、課金するがごとく神力を魅摩に注入でもしたのでしょうか。だとしたら、注入しすぎて魅摩の個性はぶっ壊れてしまったということなのでしょうか。
 もしそうだとしたら悲しい。婆娑羅娘でかわいかった魅摩ちゃんを返してほしい……。

〔『太平記』(岩波文庫)、日本古典文学全集『太平記』(小学館)を参照しています。〕


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