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【『逃げ上手の若君』全力応援!】(160)鎌倉幕府の重臣達の「野心」などかわいいもの!? 果てなき「野心」が喰らい尽くすのは他者の物や心ではないのかもしれない……

 南北朝時代を楽しむ会の会員の間でも話題騒然の週刊少年ジャンプ新連載『逃げ上手の若君』ーー主人公が北条時行、メインキャラクターに諏訪頼重! 私は松井優征先生の慧眼(けいがん=物事をよく見抜くすぐれた眼力。鋭い洞察力。)に初回から度肝を抜かれました。
 鎌倉時代末期から南北朝時代というのは、これまでの支配体制や価値観が崩壊し、旧時代と新時代のせめぎあいの中で、人々がそれぞれに生き方の模索を生きながらにしていた時代だと思います。死をも恐れぬ潔さをよしとした武士が〝逃げる〟という選択をすることの意義とは……?
〔以下の本文は、2024年6月22日に某小説投稿サイトに投稿した作品です。〕


 吹雪ファンの私にとっては、かつての主君である時行を覚えていながら二本の太刀を彼に向けて振るう吹雪に、とても複雑な思いを抱いた『逃げ上手の若君』第160話です。
 親を殺された子どもたちに優しかった吹雪(第17話「教育1334」)の変貌ぶりに驚きを隠せませんが、父を殺して自由を得た吹雪は常に罪の意識におびえていて、子どもたちを見捨てずに村で彼らを教え導いたのは、贖罪だったのかもしれないと思ってしまいました。ーーしかし、それでもなおびえながら生きる吹雪は、尊氏の「」で増幅された野心に身を任せ、過去を忘れようとしているのかもしれません。
 不浄の「」の真の恐ろしさは、人が隠し持つ秘密や弱さを容赦なく暴き出してしまうことです。相模川で光を浴びても平気だった諏訪頼重と郎党たち、吹雪以外の逃若党の仲間たちの方が、一般常識的にはむしろ異常なのかもしれません(私も自信がないです……)。
 まあ、時行くんは「逃げ」で「発情」して、「よだれたれた」と言って満面の笑みですので、こちらは違った意味で少し困った「よだれ」なんですけどね。

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 「一騎打ちなどもう古い

 ……あ、やっぱそうですよね。無駄に粗暴とはいえ、完璧執事・師直の弟です。兄のようなスマートさには欠けても、勝つためには当然のごとく、合理的な選択をしてきます。
 「一騎打ち」が通用しなかったというのは、鎌倉時代の蒙古軍との戦いについて学ぶ際にずっと言われてきたことでしたが、最近の研究では否定されているそうですね(「元寇」という用語も避けた方がよいらしく、当時の文献の用語の「異国合戦」などと称すると、研究者の方から聞いたことがあります。時代は変わり、歴史の研究の成果や解釈の在り方も変わるのだと実感します)。YouTubeのフィードに一時期、〝蒙古軍より凶暴な世界最強の鎌倉武士〟みたいな盛り盛りなタイトルで動画が大量に上がってきたことがあったのですが、いやまあ、無茶苦茶でした。
 馬の死骸を敵軍の船に投げ込んだことは以前も紹介しましたが、主君の首をさらせば攻撃できないだろうと思った敵兵たちの意に反して、かえって怒り狂った武士たちが首を無視して猛ダッシュしてきた挙句、次の戦いの時は〝蒙古軍はこういうの嫌なんだな〟と学習して、逆に大将首を掲げて攻め込んできたりだとか、有名な『蒙古襲来絵詞』を見ても、教科書に載っている絵図以外の場面は、鎌倉武士がうじゃうじゃ(失礼!)だったりします。

 古典『太平記』には、元弘三(1333)年閏二月、人見恩阿と本間資貞という幕府方の武士がたった二騎で赤坂城に先駆けし、城の堀の際で名乗りを上げる場面があります。それを見た場内の武士たちは〝出たわ、これが関東名物の先駆け一騎打ち志願者やねん〟〝『平家物語』に心酔してるヤバイ系や〟みたいな感じで無視します(かなり超訳です……)。彼らのその態度に、人見と本間はブチ切れて暴れ出します。東国武士と西国武士との温度差も見逃せませんが、赤坂城を押さえた楠木正成ら「新時代の名将」は、この時すでに登場していました。

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 「尊氏さまはこの世の全てをご所望です

 頭の中が目玉でいっぱい(謎)の足利尊氏のもとで暴走する吹雪の「野心」に対して、「鎌倉で私が見てきた重臣達」が引き合いに出されます。時行に思い出された「重臣」は長崎円喜ですね。コミックス第10巻の巻末「漫画ではモブだけど歴史上は重要人物ファイル」でご確認ください。息子の高資ともども「鎌倉の滅亡とともに自害」しています。時行はわずか八歳にして、人間の「野心」の果ての姿も見ています。
 私の個人的な考えでは、長崎父子など「野心」界の小者である気がします。「遠慮がちな北条政権」内での「野心」など、大したことないと言えないでしょうか。ある歴史の会で、この会は日本史の裏の世界を動かした人たちのご子孫たちが多く集まっていた(あまりよくわからずに参加しました……)のですが、足利義満の話を聞いて驚いたことがあります。ーー彼は、天皇の座を狙っていた。そういう人物を消す裏の組織が古来よりあり、暗殺されたのだというものでした。〝室町時代にもあるの~、都市伝説!?〟と思いました(笑)。
 真相はわかりません。ただ、目的のためには手段を選ばない、なりふりも構わない、桁違いの強欲な人間という印象を受けたことが、足利義満に対しては何度もあります。第102話「家族1335」では、「我から三代後の子に天下を取らせよ …そう神に願って腹を切ったと」という、報国寺に眠る足利家時のことが諏訪頼重の口から語られます。ーー足利家にかけられた呪いなのでしょうか。室町幕府の時代には、将軍の家族内での悲しい関係が、世の人々を巻き込んでしまったような戦いが多い気がしてなりません。尊氏の「」(家時の呪い)の副作用が、実のところ自分(家族や子孫)に大きく跳ね返っているという考えもできなくはないでしょうか。

〔『太平記』(岩波文庫)、日本古典文学全集『太平記』(小学館)を参照しています。〕


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