あなたの記憶は、本物だろうか? 記憶とは、実に曖昧なものだ。ゆえに、ときどき思う。私が今持っている記憶は、本当に私が体験してきたものだろうか。別の誰かの記憶ではないだろうか。では、そうであるなら、今の私とは誰なのかと。つまり、過去とは不確定なものゆえに、手放すことが最善となる。
生滅の狭間は早く、不確実で、 荘厳な瞬間は遅く、無確実だ。 空気粒子が早いから身体は動き、 砂礫が転がることで川はできる。 大は小を兼ねるというのは、 「大小無礙」という意味であり、 無分別を称えているのだ。 確実なものがあるとするならば、 それはそう定義された場合だけだ。
不確定な情報であふれているインターネットが大嫌い。 かといってその不確定な情報を自信をもって発信している人がお金を稼いでいることも事実。 自分はどちら側につくべきだろうか…?