ほんだ
変わりたいのに、変われない。 そんな葛藤を抱えた話は、世に溢れています。 新しくなにかを学ぶ(learn)前に、不要になったものを学びほぐす(unlearn)必要があるのではないか? そんな問いとともにアンラーンとその実践方法について考えます。
コードが書けない人でも使える、便利なNotionを情報や活用法、テンプレートの配布。
自学自習のための教材「らくだメソッド」を大人になってから始めました。2015年11月から3ヶ月ごとの振り返りの文章を書いています。人間の変わって行くプロセスを記録しています。(3年3ヶ月を1つの区切りとして、無期限中止)
毒にも薬にもならないけれど、身体に染み込むように、思ったこと、考えたことを自分の言葉で書きます。拙くたって、伝わらなくたって、真摯に書く。
やることが溜まっていて、その処理に時間を取られた1週間でした。 寝不足になりながら、及第点くらいの結果をだせたのでホッとしています。 なんだか最近自分の考えが固くなっていたように思います。本来であれば、道筋が複数見えるはずのものが視野が狭くなり、1つしか見えなくなっていました。 そうすると、最善ではないと感じていてもその道を進んでしまう。 焦りや不安からきていたのかもしれませんが、少し余裕ができたことでそのトンネルから抜け出せたような気がしています。出た後で振り返って
誤解をしたりされたりすることは人間関係において珍しくないです。 ただ、その誤解をしているかもしれない可能性に気づくか気づけないかで大きく変わると思います。 仕事でヒヤリとすることがありました。 信頼関係を築けていると思っていた相手に、突然ひどく裏切られるようなことをされました。そして、突然繋がりが途絶えてしまったのです。 結果からいえば、それは本当にただの誤解で1日で解決しました。 詳細は省きますが、分解すればミスと行き違いと連絡漏れです。1つ1つは笑って許せるレベ
自分にとってのホームがあると思います。 たとえば、自分の所属している会社や学校、部活、社会活動など。好きか嫌いかはさておき、基本で属している場があるでしょう。 しかし、僕には明確な所属がありません。普段は1人で動きながら、色んな業界や組織に片足を突っ込んだ状態でうろうろしています。だから、自分にとっての核となるコミュニティというのがありません。 どこにいても自分が異物である感覚になります。 いわゆるコミュ障によって馴染めないのではなくて、そこにある当たり前の文化や暗黙
今週は、自分にとってハードな1週間となります。 この2024年という1年の期間で考えても、大きなチャレンジが2つも待ち受けています。 どちらも仕事というよりは、プライベートなことなので、ドキドキと楽しみな一面があります。 日常を大切にしながらも、一歩外へ踏み込んでいくことを意識的にやるようにしています。 そのおかげで良い流れが生まれている実感があります。大変ではありますが、自分で選んだ大変さは苦痛ではありません。 ぼちぼちとやり続けていきましょう。
先日、髪を切るタイミングで人生2度目のパーマをかけました。 1度目は随分前のことで、かなり頑固な直毛だということもあり、あまりパーマがかかりませんでした。そうした経験も踏まえて、美容師さんにお願いをしたところ今回はしっかりかかりました。 髪型は大事だとよく言われますが、鏡に映る自分の印象がガラリと変わってびっくりしました。 変なわけではないけれど自分じゃないみたいで、鏡を見るたびに爆笑しています。 ただ、こうして自分の見える世界が変わるということはとても良い刺激になり
今の自分に至るのに大きな影響を及ぼした人から褒められていたと人伝に聞きました。 僕がやっていることは非常にわかりづらく、結果が短期的にわかるものでもないので、評価がしづらいです。 無力さにもどかしさを覚えながらも、地道に積み重ねてきました。自分自身で感じる変化はあれど、それが客観的に伝わるレベルになっているかはフィードバックをもらわなければわかりません。 一人よがりにならない意味で他者からの評価は必要で、それが自分も参考にした人からもらえることには喜びを感じます。 正
海外旅行に行くことになりました。 現地にいる方に「会いに行きます」と言ったので、有言実行することが目的です。だから、観光にあまり関心はないのですが、せっかくなら街を見たり美味しいものを食べたりしたいと思っています。 色々な手続きを始めて、1人で海外に行くのは初めてなことに気づきました。 今までも海外に行ったことはありますが、誰かと一緒だったり、パック旅行だったりするので、心理的にも手続き的にも頼っていました。 しかし、今回はパック旅行も使わないので、航空券からホテルま
ここ数年はなかったくらい手酷い失敗をしました。 仕事中に、トラブルで3回中断することになってしまいました。それ自体は僕とは関係のない要因だったのですが、何度も中断されるので動揺してしまい、自分のペースを取り戻せないまま泥沼にはまって、最後までダメダメでした。 落ち込んで、もうすぐ1週間が経とうとしている今も、まだ多少引きずっています。 起こったこと自体は取り戻せないので、悔やんでも仕方なく、次に活かしていくくらいしか対処のしようがありません。 わかっているはずなのに、
相手のことを知りたい。 その衝動があるからこそ、人間は他者と関わろうとします。 そのおかげで僕達は関係性を築き、協力したり、共に生活したりできます。 ただ、時にその本能が暴走する時もあります。 とある会議で、「顧客のことをもっと知りたい」と言う人々がいました。だからもっと情報をたくさん引き出そう、と。 対人に関わる業務なので、確かに必要ではあります。けれど、情報をたくさん得たからといってそれが活きるとは限りません。 また、根掘り葉掘り聞いてくる相手には不信感を抱き
写真を提出する必要があって、手軽にできる方法はないかと調べていたら、コンビニのコピー機で写真を印刷できることを知りました。 知らなかったことへの驚きよりも、現代は写真を印刷する機会が減っていることにふと気づきました。履歴書などの写真を除けば、よほど特別な写真でなければ、印刷せずともデータのやり取りで済むでしょう。(最近は公的証明書の写真もスマホのカメラで撮れるのですよね) せっかくなら使いたいと思って、コンビニで写真を印刷してみました。 とても簡単に写真が印刷できたので
「私、本当に時間がないんです」 ある学びのグループで、期限のある課題ができなかった人がそう口にした。事情があって、自分はできなかったのだと力説していた。 他者の事情を推し量ることはできません。だから実際時間を作るのが難しかったのでしょうし、できなかった言い訳だったとしても、それはそれで人間らしいなと思います。 ただ、僕が不思議で仕方なかったのは、時間がないと言いながらもその集まりには参加していたことでした。課題ができていなければ、集まりの中で得られるものもほとんどありま
週の始めにやってくると言われた台風は亀のように歩みがのろく、結局1週間予想しない動きをし続けました。 その影響で、1週間の予定がことごとくリスケになったり、中止になったりしました。僕の住む地域には大きな雨風はやってこず、なんだか肩透かしを食らった気分です。 しかしながら、結果論だけでものをいうのはよくないです。実際に大きな被害があった地域もあったので、無事を祈りながら自分の運の良さを喜ぶのが吉でしょう。 最近1つもやもやしていることの1つにバランスがあります。 それは
先日、期限間近の提出物を終えるために喫茶店に入りました。 そこで集中して取り組もうとしていたら、僕のすぐ後におじいさんが1人でやってきました。その店の常連らしきおじいさんは店員さんに「いつもの」を注文しました。 ちょうど顔を上げれば自分の視線の先にいたので、つい何度も見てしまったのですが、運ばれてきた珈琲を美味しそうに飲み、30分ほどで帰るまでの間、そのお爺さんはただ座っていました。 外の景色を見ながら、ゆったりと珈琲を飲み、そして帰っていきました。新聞を読むこともスマ
ルールに照らし合わせても、自分の倫理観に照らし合わせても好ましくない振る舞いをする人がいました。 僕はそのことが起こった時に、とても気分が悪くなったのですが、同時にそれを糾弾することに躊躇いを覚えました。 それはなぜなのかがずっと引っ掛かっていました。 色々と考えた末に、「悪いこと」と「罰すること」が直結することへの危惧なのだと気づきました。 SNSには顕著に表れますが、不適切な発言や行動をだれかがすると、それをよってたかって叩きます。その物事とは直接的に関係ないこと
よくなったと思ったら、仕事などで喋る機会があって悪化する。それを繰り返して、いまだに喉の調子が完全とはいきません。 かれこれもう1ヶ月になろうとしています。 まさか自分でもこれほど長く引きずるとは思っておらず、もどかしい日々を過ごしています。この時期お誘いやイベントなども各種盛りだくさんなのですが、ほとんどを断ったり、早抜けしたりしています。 ただ、以前はなにもない時にむせることがありましたが、今はその症状はなったので、快方には向かっているのでしょう。 いい加減、お盆
よくなったと思って少し喋っていたら喉の調子がまた悪化して、声が掠れてしまっていました。 睡眠の質が悪く、途中で目を覚ましてしまう日が続いています。 季節の変わり目ごとに体調を崩して休んでいた少年期を思えば、随分身体は丈夫になったと感じています。しかし、去年くらいから喉の調子が崩してしまうことが何度かあります。 ちゃんと回復したら、発声からやり直したいところです。 手をつけようと思いながら、手をつけていないことがいくつもあって、溜まっていくものに焦る気持ちも出てきます。