私の人生を賭けた夢は、エキサイティングでパワフルでおもしろいお婆ちゃんになる事。
生きている以上、いや女性として生まれた以上、お婆ちゃんになることは避けられない。
これだけは絶対に避けられない真実であると思う。
どうせお婆ちゃんになるのだったら、退屈で陰気くさいお婆ちゃんではなくて、エキサイティングでパワフルでおもしろいお婆ちゃんになりたい。
20代半ば、毎日毎日退屈な日々を過ごしていました。
私の思う退屈とは、目的意識もなく、ただ日々の仕事をこなし、週に2回しかない休みを目的意識のないことで消費する。
いわゆる、普通の生活なのだろうけど、そういう普通の生活にも目的意識を持ってしっかり生きている人ならそれで満足するでしょうけど、
その頃の私には目的意識というものがなく、
ただなんとなく
生きていただけでした。
その、ただなんとなくというのがとんでもない虚無感を生み出し
どこかの会社に”とりあえず所属”しているという事だけが当時の私のアイデンティティのようなもので、
どこかの会社に所属しているのは誰しもが同じだとして、
そこにしっかりとした目的意識があるか、私みたいにないか、
同じ日常を過ごしていても、
この目的意識のあるなしの差というのはとんでもなく大きいものだと実感します。
そんな時に、今の自分の生き方をずっとして、
今は20代だけどいずれおばちゃんになり、そのうちお婆ちゃんになる。
孫が居たとして、自分の人生は退屈で虚無感を感じるものだった。
なんて事は絶対に言いたくない!
と強く決心しました。
その時の溜まりに溜まったフラストレーションや虚無感がプラスに爆発したからこそ、会社を辞めて一人で海外にエキサイトな体験をしに行くという極点な行動に繋がったのですが、
よし、これでネタが出来た。って思いました。
それは8年経った今また復活してきて、
なんか今、妥協した人生送ってるなと、
惰性に流されてしっかり生きてないなと、
「惰性に流されてつまらない生活してた。」と孫に言えるかと問えば、 No という答えが出たので
やはり目的意識のない生活というのは、私の人生において No なんです。
おもしろいお婆ちゃんになる
という人生規模の明確なゴールがあるので
人生がエキサイティングでパワフルでおもしろくありさえすれば
その具体的な方法、内容にはこだわらないし、何でもいいやって思います。
何でもいいやというのは不確定要素でしかないので、
何でもいいって思えるまでにものすごい時間とものすごい葛藤がありましたが、
腹くくって何でもいいやって思うと、ランダム感が増すのでおもしろいです。
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