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パラレルワールドを意識させられた2日間


パラレルワールド(平行世界)

パラレルワールドとは、現実世界とは異なる、別の次元や宇宙を指す言葉である。

実用日本語表現辞典より

あらゆる選択の上に現在自分のいる世界が成り立っているとして、選択を違えた「もしも」の数だけ存在すると考えられる別の世界を意味する語。

実用日本語表現辞典より


「もしも」
と、この2024年の幕開けにニュースを見て思った人は多かったのではないだろうか。

もしも、私がお正月に能登地方に観光に行っていたら・・・
もしも、私があの飛行機に乗っていたら・・・

と。

年明け早々の地震、事故は誰もが心を痛める出来事だった。
今もなお、苦しむ人たちがいる。

その一方で、何事もなくいつも通りのお正月を過ごした人たちもいる。私も間違いなくその一人だ。

これらの「もしあの時」は、偶然以外の何物でもなく、仮に意味があるとしてもほとんどの人にはわからない。

この不確定で、明日がわからない状態は人を不安にさせるが、実は太古の昔から、この不確定さは不変なのだ。

天気予報の確率は、かなり精度が上がったと感じるが、いくら科学が進歩し、デジタル化が進んでも、正確な地震予知はできないし、事故を0%にはできない。
機械の故障も、ヒューマンエラーも0にはならないのだ。

そんな不確定な中、私たちが唯一できることは、
もしかしたら人間に本来備わっている「直感」なのかもしれない。

*******

あれは15年以上前のことだが、ある日曜日に家族で
ドライブに行こうとしていた。
前日の土曜日に行き先を決めていたのだが、朝起きると同時にそちら方面ではなく、反対側の観光地に行こうと、私が言い出した。

「また、いつもの気まぐれか」

と家族は思っただろうが、何の反対もなく、私の直感で行き先を変更した。

すると、その日に福岡県西方沖地震が起きた。(2005年のことだった)
玄界灘付近を震源とした地震だったので、
前日、佐賀県の唐津方面に行こうかと言っており、
もしそのまま行っていたら、無事だったとしても、
運転中にひどく揺れ、帰りは通行止めや渋滞にハマっていただろう。

幸いに熊本方面に行くよう予定を変更していたし、
地震発生時には、パーキングエリアで休憩をしていたのだから、少々の揺れは感じたものの、運転中でもなかった、と言うことがあった。

私の気まぐれに素直に付き合ってもらってよかったのだ。

また、ある時車を運転中、青信号で交差点に入る直前、事故の映像が一瞬頭に浮かび、そのためスピードを反射的に落とした。
するとそこに、赤信号で交差点に入ってきた車が私の目の前を通り過ぎて行き、しばし呆然とした後腹が立ってクラクションを、その車の後ろに思い切り鳴らしたことがある。
なんの意味もなかったけれど。

あれは、まさに直感としか言いようのない出来事だった。

******

他にもいくつもあるのだが、きっとこれは
私だけではなく、誰にでもあることだと思っているし、きっと以前からこうして危険を察知し、その災難を逃れた人たちは多いのではないか、と思っている。

災害、事故に遭われた方々には、心からお見舞い申し上げると同時に、1日も早く平穏な日々が戻ってくるよう、祈るばかりだ。

不確定で、先がわからないからこそ、自分の直感を信じて生きるしかないのだと言う教訓を得たお正月だった。


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通りすがりのnoter Hiromi
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