印刷中にプリンターが止まった。数分待っても再開しない。多分だが、無線の電波が弱いため、通信がうまくいっていないのだと思われる。やはりケーブルも買っておくべきだった。無線は不安だ。見えないから。その点、有線はいい。見えるから。目に見える物のほうがわかりやすく、だから信じていられる。
変わらず風邪の日々で、おとなしくしている。動かないでいると変化が少ない。それは安心なことではある。だが、変化からネタを拾っている身としては、変わらないがゆえのネタの無さには困る。動いて空気を変えてネタを発見しなくてはならない。変わることを恐れるな。健康へと変わることも遠慮するな。
酷く咳が出て止まらないのだが、咳を出さないように試みると、より悲惨なことになる。「うひ」みたいな声というか音というか、そういうものが出てしまうのだ。何の音かと訝しがられるかもしれない。咳が咳の音として出たほうが、周囲は聴覚的に安心できるような気がする。聞き苦しさは同じではあるが。
風邪をひいてだいぶ経つが、まだまだ咳がでる。こんなに酷い目に遭うとは、何か悪いことでもしただろうか。いや、この「罰」思考はあまり良いものではない。罰が当たろうとも当たらなかろうとも、悪いことはしてはいけないのだ。我ながら良いことを言ったと思うので、どうか罰を軽減していただきたい。
足りないものを数えてもきりがないと聞く。足りなさを嘆くよりあるものを数えたほうがいいという。自分に何が足りないのか。才能、魅力、技術、実力、資金、知識、余裕、愛嬌、体力、友人、栄光、愛情、意欲、運動、栄養、睡眠、時間、いや、意外ときりはあるのかもしれない。語彙が足りないのだから。