記事一覧
古くて私的なポーランド・ジャズのレコードたち
なぜ、ポーランドジャズなのか。なぜ、気になるのか。なぜ、魅せられるのか。それは今から40年ほど前に二本のポーランド映画を観たことによる。
そこで、私はひどく陰鬱な映画音楽そのテーマ曲を聴いた。
それが記憶の奥底にトラウマの如くこびりついている。
それからずいぶんと後、私は一枚のポーランドジャズのEP盤を買った。
深い意味などなかった。ヨーロッパ・ジャズがブームだった時期、それなら東欧のジャズとはど
今こそ、この本『就職しないで生きるには』
『就職しないで生きるには』レイモンド・マンゴー
『Cosmic Profit』 Raymond Mungo
この本を買ったのは、わたしが19歳の時だ、わたしはこの本にひどく感銘した。そして影響された。だが現実はきびしく、結局、わたしは企業に就職した。そして、人生の大半を企業で過ごした。この本のあとがきで訳者の中山容さんはこのように書かれている。
この本が日本で出版されて約40年ほどの歳月がな
『Respond to Respond』” レスポンドレーベル・ディスクガイド”
1981年に英国のロックバンド、ザ・ジャムのポール・ウエラーによって、第二のモータウンを立ち上げるべき設立されたインディペンデント・レーベル”RESPOND”レスポンド。「Keeps or Burning」を合言葉に約5年間にわたり若き才能を音楽シーンへと導いたが、結果、大きな成功を手にすることなくレーベルとしての活動は終わる。
地元グループがいきなり表舞台にあがったかのようなビジュアルその垢抜け
一九七九・彩の国モッズ伝来!!!!
"コリン・マッキネスに捧げられるものなら捧げる"
登場人物
”オレ”
「主人公、語り部。当時17歳、高校3年生。パンク・ニューウェーブ好き」
”エース・本間”
「オレのダチ、おない年、ファッション事情通、映画好き、ロックはビートルズしか知らない」
”モーター・小島・ヘッド”
「バイク屋の息子、おない年、モーター・ヘッド、スカ、パブ・ロック周辺好き」
まだ今のようなSNSなどなかった時代、
”僕にとってサバ―ビア・スイートとは第二の植草甚一だった”
音楽評論家またはプロデューサーとも知られる立川直樹氏に『TOKYO 1969』という本がある。
ムッシュかまやつ、森永博志、J・Aシーザー、岡田大貮らら四氏との対談の中から、キャンティ、ジョージ、新宿文化・・・、重要な場所、そこで起こった実際の出来事をあらんかりぎの記憶力で呼び覚ます。やがて、ドキュメンタリー、いや一本の映画を観ているような感覚をもたらしてゆく。そして、浮かびあがるのが1969年
文学は時に最良なディスクガイドにもなる
三、四日続いた雨あがりの日、古本屋で見つけたチャールズ・ミンガスのバイオ本になぜか安い値段がつけられている。独出版社のものでドイツ語で書かれている。英語ならともかく、ドイツ語ではなかなか手にとる人がいなかったとみえて100円。それを私が手にしたのは、その値段だけではなく、厳格で生真面目なドイツ人が、怒れるジャズ・ミュージシャン、ミンガスをどう書いているか興味を持ったである。ドイツ語などできるわけも
もっとみるあの日、アストラッド・ジルベルトが歌わなかったら
『ゲッツ/ジルベルト』1964年グラミー賞4部門受賞。もはや夏の必須アイテム。夏の風物詩。結論からはじめれば、この作品のキモってアストラッド・ジルベルトが歌ったということにあると思う。もし、この日、アストラッドが歌わなかったら、としても今日におけるボサノヴァそのものの評価は変わらなかっただろう。だが、その音楽は、ある意味、趣味人、通人の聴くような、シックな趣味の良い音楽、そういった範疇で聴かれたの
もっとみるアシッドジャズ前夜 英国に漂うジャズの気配【後半】
【地方都市に暮らす少女の憧れと倦怠】
Everything But The Girl エヴリシング・バット・ザ・ガールの「Night and Day」が収められたシングルが発売されたのは1982年のことだ。英インデイレーベル、チエリィ・レッドからそれぞれアルバムをリリースしていたトレイシー・ソーンとベン・ワット、彼らは同じハル大学に在籍しており、この時レーベル側の意向によって、二人はエヴリシング
チェット・ベイカー写真集『Young Chet』について思うことを少し
1988年5月13日オランダ・アムステルダムのホテルの窓から転落したチェット・ベイカーの遺体が発見されたのは、ちょうどいまから35年前の今のころの話しになる。
それを予言したかのようにその前年から取材撮影を行っていたブルース・ウェーバーの「Let's get Lost」が公開される。
皮肉なことにチェット・ベイカーの人気は再燃する。それは日本だけではなく世界中で。
なぜか、それまで、ほとんどの人
若くして、フレッド・アステアにはまる若者に特別な思いを抱いた日のこと
私は若い人間に嫉妬することはない。
なぜなら、ふたたびその頃の年齢に戻れたとしても現世の記憶のない私は、どうせまたテイタラな日々を過ごすことに決まっているから。
数年前、渋谷の映画館シネマヴェーラでフレッド・アステアの特集上映をやった際、私は3日間通った。
その初日、劇場ロビーで年配客にまじって、そのアステア上映に関する劇場チラシを読んでいた若者がいた。
表情には幼さを残している。黒のパンツに