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アイドル新歴史学。「2023年のアンジュルムと日本」

日本の大衆音楽の歴史は「雑食」と「和様化」の歴史である。

ジャズ、タンゴ、マンボ、レゲエ、ロック、ヒップホップ、エレクトロ、、、と海外の文化を「和様化」してきた歴史は、仏教、美術、建築その他の文化と同じ過程を経ているのだ。

そこに筒美京平のような天才編集家が現れて、ありとあらゆる世界の大衆音楽をリミックスして「日本の大衆音楽」という「形式(カタ)」を作っていった。

しかし、それら文化の「形式」が移り変わる時代の中で「生命」を得るには「魂(ソウル)」のインストールが必要なのである。

例えば某男性アイドル事務所のカルチャーは、日本の伝統的「お稚児さん歌舞伎」文化を引き継いでいる。
そのカルチャーは、もともとの歌舞伎という「形式」が歴史遺産として高尚化し、そこから逃げ出した歌舞伎の「魂(ソウル)」が某男性アイドル事務所という現代の「身体(カタ)」へと移って行った現象である。

某男性アイドル事務所への現代大衆の熱狂の理由は「”歌舞伎という”形式”から離れた、”歌舞伎の魂”」が搭載され、「日本人としての魂」が揺さぶられたのであろう。

そして、例えば「ハロプロ」は、日本古来からの「巫女」文化の最新型である。
10代から20代前半の「生娘」の女子たちが舞い踊り五穀豊穣を祈願するという祭礼の儀式が現在も現役であることは、現代日本という国においてもその儀礼が「霊性的に不可欠」なものであることを証明している。

では秋元先生のところは何か?と問われれば、それは「花魁」文化である。
女性の「性」の商品化、人気投票、素人お座敷芸、、、その要素はすべて「花魁」文化を現代に翻訳したものである。

その「常に最新の形式(カタ)に魂が宿る」というフォーマットは、
日本の「神」が天皇という「身体」を更新しながら受け継がれている、
という日本神道(イセ)の根源的宗教観に遡ることができる。

伊勢神宮の正殿という建築は20年ごとに建て替えられ、そのつど「神」は新しい建築(形式)に移動する。

伊勢神宮正殿。左側が新しい正殿。

例えば、歌舞伎という「形式」と歌舞伎の「魂」の関係は、
伊勢神宮の「正殿」と「神」の関係と同じだと考えたらどうだろうか?

そうすると、歌舞伎という「形式」はあくまで「器」であり、「そこに【歌舞伎の神】がいるのかどうか」は別の問題となっていくのである。

そのような意味で、「歌舞伎や能」は評価するが「アイドル」は理解できない、というのは形式主義的な硬直した歴史観によるものであろう。

日本の「アイドル」の歴史的な構造を理解するには、全く別の歴史観が必要となってくる。

筆者はよく日常生活で「幻視」をしてみるのだが、日本の街の中を行き交う人々をよく見ていると、全員が近代の洋装をしていはいるものの、彼らの「貌」には中世の貴族、河原者、下人、商人、百姓、、という夫々の歴史的な「素性」が浮き上がってくる。

黒澤映画の歴史物に出てくる下人やチンピラが本当に「昔の日本人の下人の顔」をありありと見せてくれるように、程度の差こそあれ必ずその「残像」はすべての人に染みついているはずである。

そんな「幻視」に慣れてくると、「お稚児さん歌舞伎」や「花魁」や「巫女」の「魂」が、「アイドル」という最新の「形式(カタ)」に乗り移って、現代日本の社会の中で生き生きと活動している様がハッキリと見えてくるようになる。

それは、
最新の「乗り物」に乗り換えた、古来からの日本文化の「魂」の発露といえる。

さて昨今、「日本の大衆音楽、大衆文化」としてのアイドルの評価がさらに高まっている。その最も象徴的な事例の一つは、これまで「特権的」な存在であった「ロック」のフェスティバルにアイドルが進出している現象であろう。
逆に言えば「ロック」という「形式」にだけ「ロックの神」が宿っているのか?という問いを突き付けたのが「アイドル」であり、
2023年現在、多くの人々が「ロック」フェスティヴァルにおいて「アイドルに【ロックの神】が宿る」瞬間を身をもって体験したはずである。

今や、歴史とは一本の線ではなく、一枚のレイヤーでもなく、そして「近代」とは「歴史の切断」ではない(「近代」も、前近代から「コッソリと」ネタを引用しているのである)。

現在筆者が考える歴史とは「星座」に近い。
宇宙に煌めく数多の星群をつないで無限の物語を紡ぎだすのが、今の歴史を取り巻く状況ではなかろうか。

日本における「アイドル」とは、脈々と受け継がれてきた「日本の文化芸能の魂」と、
日本の「和様文化」の集大成としての「音楽アーカイヴのリミックス」、
そして最新の日本人の「身体」の三位一体による「最強のキメラ」文化である。

そして、それは「ロック」「ヒップホップ」「ジャズ」「エレクトロ」等々という音楽ジャンルを楽々と飲み込みながら「能や歌舞伎や町人文化や神事」という古来の日本の文化を現代日本に二重写しにする生身の媒体であると考える。

すなわち我々は「アイドル」という一つの現代文化を通して、
現代に生きながら、同時に近世、中世、古代の日本を体験しているのである。

例えば我々は「日本人とは何か?」と問いに対して、西洋近代主義的なクリアカットな答えを言い切るのは難しい。

が、しかし、我々が現代において「アイドル」に触れる時、そこに生まれる汎時空的な「魂の震え」が、その「日本人とは何か?」の答えの一つであろう。

それは脈々と続いてきた我々の遠い遠い記憶と共振するものなのである。

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2023年6月21日、
ハロープロジェクトのグループ「アンジュルム」が、リーダーの竹内朱莉さんの卒業コンサートを開催した。

そこに現れた「清らかな」な時空。

正に「穢れを祓い」、「五穀豊穣を祈願して」謡い舞い踊る選ばれし巫女たち。

「日本的なるもの」とは何かを断言するのは困難だが、
この日、この時空には「それ」があった、確実に。

そして巫女としての「神の使命」を終えて、普通の女性に戻っていく儀式を見届けるのはいつも感慨深い。

巫女から人間へ、神聖な儀式。





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