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何度も読み返したい素敵な文章の数々vol.10

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#雑記

THE DEMODAYを控えて思うこと。

THE DEMODAYを控えて思うこと。

MAKERS UNIVERSITY、2/7、合宿初日、私はこんな風に残していた。

素直さ。
これから5日間、60人と向き合うなかで、結局、私は自分と向き合いたいんだろうなとふわっと感じている。

5日間では到底足らず、やっとこの9ヶ月を経て、はじめて自分と向き合うということを経験した。

合宿初日、「あれ、私は結局自分と向き合いたいのかもしれない。」という気付きを得てから、大分時間を要してしまっ

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「自分に酔え」というメッセージを見た朝

「自分に酔え」というメッセージを見た朝

大学の新学期が一斉に開始しました。後期は火曜日の3限目が授業になったのでゆっくりnoteを書く時間も取れず途方にくれてるところです。案の定、夏の授業のない期間は仕事のペースが写真家の不規則なそれになってしまって、noteを書く時間が全然取れませんでした。改めて、人間ってのは「リズム」が大事なんだなと思ったところです。大学の授業が始まって毎日学生諸氏に向かって喋ってると、それだけでリズムが作られてい

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これからの新しい価値は「その間」から生まれていく

これからの新しい価値は「その間」から生まれていく

最近、僕にとって火曜日はなかなか大事な日になっています。一週間の間で見たり聞いたりしたことに、火を焚べる日になっています。Come on, baby, light my fireですね。

火で少し思い出したんですが、Jack Londonという作家の"To Build a Fire"という小説があって、僕はこの小説がすごく好きなんですね。簡単に内容を話すと、極北の酷寒を見誤って、旅人が火を点けら

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この時代にこそ本を読むことは大事だと思うんです(幾分、おそるおそる)

この時代にこそ本を読むことは大事だと思うんです(幾分、おそるおそる)

文学研究者でありながら、つい最近まで僕は「小説や文学も、いずれ役割を終えるコンテンツなのかもしれない」と思っていました。というのも、読むのにものすごく時間がかかる文字、特に小説のような大部のテクストは、あらゆるコンテンツが充実し始めている現代社会においては、もはや時代遅れに見えたからです。

さらには、適切に集約されたネットの情報は、集合知の塊のようにも見えました。ネットにアクセスすれば、大体の「

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「意味」を伝えたいのか、「感情」を伝えたいのか

「意味」を伝えたいのか、「感情」を伝えたいのか

何かを伝えたいとき、その「何か」は一体何なのだろう。

わたしは、楽しいとき、うれしいときは、その「楽しさ」「うれしさ」をそのまま伝えたい。

逆に、憤りを感じたこと、いまいち納得がいかないなあと感じることは、「わたしはこう考えている」であるとか、「なぜその感情を抱いたか」といったことを伝えたいのだと思う。「こんなに怒っているんです!」「こんなに悲しいんです!」ではなく。

わたしたちはロボットで

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親じゃない大人たち

親じゃない大人たち

叔母からメールがきた。「出産が迫る妹にお祝いをあげたいけれど、若菜ちゃんのときって何をあげたっけ?」とのこと。「本人に聞いてごめんねー。ばあちゃんだから忘れちゃって」軽快な文章が、叔母の声で再生される。

実家の親は、メールになると途端に「ど、ど、どうしましたか」とこちらが感じてしまうかしこまった文面になってしまうので、叔母の「そのまんま」な感じが楽しい。

叔母は社交的で朗らか。それでいて細やか

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天然の罪深さ

天然の罪深さ

以前にも書いたけれど、朝ドラ「半分、青い」にどハマりしている。

高校卒業までを描いた岐阜編の青春感とホームドラマ感も、それはもうそれはもう大好きだったので、上京編前は「まだまだ卒業しなくていいよおお……」としんみりしていた。

そんな寂しさはどこへやら、上京編もいい。登場人物ひとりひとりのキャラクターが個性的だし、何だかんだでみんなあったかい。鈴女が恋に落ちる展開もあって、日々少女マンガを読んで

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迷子の亡霊

迷子の亡霊

もうずっと、所在のなさを感じている。

わたしは「漂流系」やら「点々系」やら「放浪系」やらを自称している。しっかりとどこかに所属するのが苦手だからだ。どこかに属すのであれば、気の向くままに動ける自由を確保できる程度にしておきたい。むしろ、グループより対個人的な付き合いの方が好きだなあと思っている。

このふわふわとした関係性は、わたし自身が好んでいるものだから、所在のなさとは関係ないと思う。たぶん

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自分の感覚を信じて進む

自分の感覚を信じて進む

Twitterを見ているのは楽しい。何かと便利だし、いろんな意味でロマンもある。だけどふと、怖いと感じる瞬間があった。そのことについて、少し書き残しておこうと思う。

Twitter上に魅力的な言葉や作品を流したことで、大きな舞台に引き上げられて輝く人を見ると、すごい時代だなーと思う。例えばTwitter発の書籍なんて、もうごまんとあるんじゃないだろうか。Twitterを始めるまでは、そんなサクセ

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ことばと自我

小論文対策の授業を任されてしまい途方に暮れています。生徒が書いたものを添削する、くらいのことはこれまでにもやったことがありますが、推薦入試やAO入試に向けてカリキュラムを考えて合格レベルまで持っていくところまで裁量するは初めてですし、諸般の事情により前任者がどのように授業を進めていたのかについての情報が一切無い(少なくとも僕のところには下りてきてない)状態でゼロから授業を組み立てなければならないの

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責任を引き受けるのは誰のためか

「空気を読む」という表現があります。国語の教科書に載っている評論文などによれば、これは現代の日本に特有の不自然なコミュニケーション形式であるらしいのですが、実際のところどうなのでしょうか。

空気を読むというのは明らかに非言語的なコミュニケーションです。そして人間は、まず始めに非言語的なコミュニケーションを習得し、そのずっと後に言語的なコミュニケーションを身につけていきます。言葉を覚えていない赤ち

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「やれます」の重さ

「やれます」の重さ

「口先だけになるな」という父親の教えが、なんだか不本意な方向にまで影響を与えている。

「やれます、できます!」というのが極度に苦手だ。なのに、「やれます、できます!」が必要な仕事をしている。

やれるかどうかの判断は、わたしがするものではない。だからこそ「やれます」が、なかなか言えない。

言えるのは、「やれ得るように精一杯やります」だ。当たり前のことすぎるのだけれど。

精一杯やってみた結果、

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名は体を表す(迷惑な話だけど)

名は体を表す(迷惑な話だけど)

「名は体を表す」という表現を知ったのは小学生一年生の頃で、それというのも痛い目を見たからだ。通っていた幼稚園が小学校とは別の学区だったために、僕は一人でいわば「別の所」から小学校に行くことになった。これは軽いジャブ。小学1年生がこの程度の「差異」から一般性を抽出して、「名は体を表すよね」なんて理解できるほど良い頭はしていない。ただ、その「別の所からきた」という事実が、入学直後から重たく僕にのしかか

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あなたらしさの眠る場所

あなたらしさの眠る場所

小学校低学年の頃までは、無邪気な子どもだったと思う。幼稚園に通っていた頃の記憶はほぼないけれど、友達と一緒に大きな口を開けて笑って写っている自分の写真を見ると、あまりに楽しそうで、何だかほっとしてしまう。

幼稚園から小学校に上がった私は、周りの空気がそれまでと少し変わったことを、幼いながらに何となく察知した。今までのこぢんまりとした場所とは全然違う、大きな建物に、大勢の生徒。確か1学年に6~7ク

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