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海外かぶれ批判は的外れ

折角今海外にいるので、
海外について書こうかなと、
思っています。

ちなみに皆さんは
この写真がどこのものか
わかりますか?

僕は全く分かりません。

でもここにカメラの
魅力があると思っています。

カメラはシーンの
目ではわからない姿を
あぶりだすのです。

奥が深いです。

美しい写真を
ありがとうございます。

ちーぼーさん。


あなたは日本にいるでしょうか?


だとしたら都合がいいです。


周りに「海外かぶれ」している奴、
はいませんか?


アメリカ最高!

カナダ最高!

韓国最高!…etc


日本人には海外のものを
(もっと言えば遠いもの)
無批判的に称賛する文化が
あると思っています。


実態はあんまり知らないけど、
海外で絶賛されているなら
良いものなんだろうという
思考を少なからず持っています。


海外かぶれには三つの種類が
あると思っています。


日本での生活に対する
 潜在的な不満や空虚感の表出

社会的な要請の
取り違え

本人の価値観と
 ある国の価値観の適合


すべて、日本人からしたら
かぶれ」にみえますが、
僕は①と②だけがかぶれだと思います。

逆にいうと、
③までごっちゃにして
批判するなということが
いいたいです。


それぞれ解説します。


①は文字通りですが、
現状から目を向けることから
逃げてどこか遠くに
解決を求める奴です。

先日記事にもした通り、
遠くを見ても基本的に
気休めにしかなりません。


その対象として
海外を見ている人は
たいてい海外に住んだことが
ありません。

このタイプは海外に行ったら、
海外という遠い希望が現実に
なってしまうので行きたがりません。

日本から見える美しい海外像に
心奪われる①タイプの典型です。


②もかなり多いはずです。

一昔前、英語ができることが
社会的な個人の価値向上だと
思われていました。

TOEICや英検が
個人の価値を規定する
手段の一つになっていました。

今はもう全く以て違います(?)が、
今でも自分の不明確なアイデンティティ
の証明を「戦術」に求める人は
一定数います。

資格がいまだに取り続けられる
一つの要因でしょう。


彼らは海外、というより
外国語」という枠組みで
海外をとらえます。

英語に限らず、
こんなに話せるという点を
むやみに押し出してきます。

言語というツールは
ゴールがあってこそ価値を
発揮します。

何のためのツールか」に対する
自分の答えを持っていないのが
彼らの特徴的なポイントです。

就職で役立つから、
良い職につけるから、

などの他人よがりなものは
答えになりません。


③が今回の本題です。


僕は海外に皆さんがもっと行き、
いろいろな価値観に触れるべきだと
考えています。


なぜなら、僕は
個人と文化の関係を
以下のように考えるからです。


個人は極めて鋭い個性をもち、
文化は緩やかに個性をまとめ上げる
包括的な器のようなものだと。


つまり、個性にも
様々なものがあり、
其のいろいろな個性には
ある程度の「方向性」がある。


そう思うわけです。


人なんて70億人いる、
なんていうのはまさに
本質論だと思います。

世界には数十万もの文化があって
世界には70億の個性があります。


単純に計算しても
生まれた国が自分の個性に
最適である確率は

1/数十万(世界の文化の数)


なはずです。


そう考えると、
おのずと海外に触れることの
大切さがわかりませんか?


僕は日本が最適な文化圏である
日本人なんて数千人しかいない
と考えています。


なんか不満だなぁ、とか
なんか違うなぁ、と感じるのは
ある意味で必然だと考えています。


勿論100%合致する文化が必ずある
という意味でもありません。


しかしだからこそ、
様々な文化に触れるべき
だと思うのです。


正直文化なんてものは
細かく見れば無数です。


東京と大阪も立派な
異文化です。


若しかしたら、
東京大学と東京工業大学も
異質の文化かもしれない。


何も海外に限った話では
全くありません。


つまりいいたいのは
多くの日本人が海外に
自分にあう文化を持つ潜在的な
可能性を秘めるということです。

なぜならほとんどの異文化は
日本にはありませんから。


この観点から、
ぜひ色々な国に
行ってみてほしいです。


人生一度きりですから。

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