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#一歩踏みだした先に

あなたにとって「一歩踏みだした」ことや、その先に見えた世界について、そして今「踏みだしてみたい」と考えていることについての投稿を募集します。

定番の記事一覧

アラフォー同人女が20年ぶりにコミケにサークル参加したらほぼ異世界転生だった件

のみぞうと申します。ども… タイトルの通りなんですが、縁あってコミックマーケット100(通称:コミケ/夏コミ)に久しぶりにサークル参加してみて、当然といえば当然なんですが、同じ世界なのに時代が違えば中身がぜんぜん違っててカルチャーショックを受けました。これを書かないと俺達のコミケは終われねえぜって気がするので書きます。 正確にいうと20年は経ってないかも…?わかりやすさ重視で20年て書いちゃいましたがほんとは多分17年〜19年くらい…かも?四捨五入したら20年です。正確に

やまむーと僕たちの密かなる挑戦

ニューヨークから見える「日本」という国

ニューヨークに来て早くも2ヶ月が経とうとしている。久しぶりにコンフォートゾーンをガッツリ抜け出し(というかここまで抜け出したのは間違いなく人生初)慣れない環境で過ごしてみて、感じることが山ほどあって毎日忙しい。 ニューヨークという街 日本から一歩出てみると、日本のことが本当によくわかる。特にニューヨークなんていう街は、はっきり言って色々と「真反対」だ。 日本のように、ゴミひとつ落ちていないきれいな道路も、勝手に音が流れるという気遣いをしてくれるウォシュレット付きのハイテ

物語のシナリオは我が手中にあり

人生にいくつかの扉があるとして、「いってきます」と行き先に向かって進むために扉を開けるか、「さようなら」と去るために扉を開けるか。 わたしは圧倒的に後者だった。 会社を辞めて自分でお店を作ったのも「会社員のままだとお金が足りなくて困るから」だったし、そもそもシングルマザーということもあり常に経済的な問題は隣り合わせで、そんな中でどうにか諦めずに進もうとしたのは、「親がシングルマザーというせいで子どもの選択肢を無くしたくない」という思いがあったからだった。 いつも「こうな

ススミダス

【1】「漫画家やめたい」と追い込まれた心が雑談で救われていく1年間

こんにちは、はじめまして、吉本ユータヌキです。 今日から『「漫画家やめたい」と追い込まれた心が雑談で救われていく1年間』というエッセイ漫画を毎週水曜日のお昼に公開していくことにしました。 この漫画はタイトルの通り、1年前の自分を振り返りながら描いたもので、当時はほんとに感情が大荒れで、全て投げ捨てたいと思ってたんです。事務所宛に『辞めます』とメッセージを送る直前まで行ったり、夜な夜な転職サイトを徘徊したり、はじめて精神科医に行ったりしました(3ヶ月待ちって言われて諦めた)。

水樹奈々よ、あまり「夢は叶う」と歌わないでくれ、頼む。

勘弁してくれ。 僕は不真面目な人間だ。 オタクのみなさんは、「夢」があるだろうか? 「夢なんてふぬけたことより老後が心配だ」というおじさんファンのみなさん、気持ちはわかる。 ならば、思い出してほしい。自分にかつて夢があったかどうかを。 夢は叶わない。 絶対に、とはいわないが、ほぼほぼ叶わない。そういうものなのだ。 僕にも夢がある。そして、僕は二十代半ばである。 「あった」と書かないのは、年齢的に僕の夢はまだ叶えられる可能性があるからだ。 子どもの空想みたいな青くさ

美容師さんを質問攻めにしたら、新しい世界がはじまった

美容院に行ってきました。 お世話になっておいてこんなことを言うのもいけませんが、美容院に行くことは私にとって「罰ゲームかな?」というくらいの苦行です。あのおしゃれーな雰囲気。美男美女の美容師さんたち。髪染めの匂い。そして何より。あの、美容師さん特有のアッパーなテンションの会話がなかなか楽しめないのです。 ただ、髪は伸びる。ショップカードを見たら、最後に行ったのが去年の4月でした。もう1年以上経っている。これはそろそろ行かないと、と思ったのは、シャンプーの泡が地肌に届かない

人の金300円で世界を少し知る一歩を出した

この前友人に300円を払い忘れた。 たぶん駐車場代とかそんなの。 その友人に、300円PayPayで送るから電話番号教えて~とLINEしたら、 「300円くらい別にええよ」と言ってくれた。 やさしい!!! 「また次合ったときにソフトクリームでも買うね」と言うと、 適当なスタンプが返ってきて会話が終わった。 300円くらい30分もバイトでぼーーーっとしてれば、稼げる金額だけど、 友人の優しさで浮いた300円はなんか特別に感じる。 同じ300円なのに、何十倍も嬉しくなる。

日本の一番の闇は天皇家

これが僕がnoteで 1番言いたかったことです。 残念ながらTwitterの 固定ツイートが削除されて しまいました。 このままだとアカウント自体 凍結されそうなので今のうちに。 (現在は永久凍結) 先日警視庁のHPのPDFから 令和元年の0〜19歳の 行方不明者が1,200人ほど いると書きました。 見つかった人がいたとしても 何割かは行方不明のままです。 とくに女の子。 小学生くらい。 もちろん中国や東南アジアの 国際組織人身売買ブローカー、ヤクザ、 芸能事務

ひふみ×映画『異動辞令は音楽隊!』×noteで、投稿コンテスト「#一歩踏みだした先に」を開催します!

ひふみ、映画『異動辞令は音楽隊!』、noteで、「#一歩踏みだした先に」をテーマに、投稿コンテストを開催します。 予想しなかった変化や逆境にたいして、ひるまずに挑戦する……「一歩踏みだす」ことはとても勇気のいることです。でも、踏みだした先に思いもよらない景色が見えることも、ありますよね。 8月26日公開の映画『異動辞令は音楽隊!』では、捜査一筋の刑事がまったくジャンルの違う音楽隊に異動に。ですが、そこで思い切って一歩踏みだしたことで、本人にも周囲にも新たな世界が広がりま

勇気を出して話し、受け入れるから繋がっていく

仲良しグループがそう簡単なものではないことを知っていた。そもそも私は1つのグループに所属するのは窮屈でみんなと仲良くしたいタイプ。 天馬が空を駆けるように自由気ままにいたい。 しかし、高校生の女子にとってグループ所属は必須だった。だから、合わないのは分かっていたが、みんなと仲良くしたい心を抑えて一緒にいた。グループに落ち着きたい子には感じるものはあったと思う。 ……… リーダー格の子が私の悪口を言ったのを皮切りに私を除くグループの4人に悪口を言われ始めたのは、気付いていた。

「人生に赤信号を」

絵描き経験0の社会人が、1年間絵を描くとこうなる

まずは、この写真を見てほしい。 1年前の写真を撮るには中々の勇気が必要だった。しかし、これは紛れもなく自分が当時一生懸命描いた絵なのである。 「みんなおれの家族だぜ……」ワンピースの白ひげが脳裏に浮かんだ。過去の自分をぎゅっと抱きしめてあげたい。 私は、1年前から絵を描くようになった。きっかけはnoteからで、「ああ、こんな記事を書きたいけれど、エッセイ漫画みたいに表現できたら面白いだろうなぁ」という思いからである。 かく言う私は、エッセイ漫画調な作品を読むことが大好

読んだ直後から変われるnote

多分これ読み終えた後、申し訳ないですが、あなたの人生観はガラッと変わります。 僕はツイッターでフォロワーさん3.1万人の自己啓発系のインフルエンサーをしています。 まずはフォローどうぞ→Twitter(X) 最初に読んだ人の感想を掲載させてもらいます。 さて、早速書いていきますね。 あ、ボクは2020年5月20日でX1年記念日を迎えました。 しかもその1年記念日の日にフォロワーさんの数が3000人ぴったりになりました。 これは狙ったわけでもなく、1年間毎

¥1,200

若造医師がnote始めた理由&サイトマップ

このnoteは救急を専攻している若手医師が、学んだこと、考えたこと、ちょっとした日常のTipsなどを中心に、医療以外の情報(時々医療)を発信していきます。 皆さんはじめまして。noteで初めての投稿となりますが、これからsmall stepでnoteを投稿、継続していきたいと思います。まずはなぜnoteを始めるに至ったかという経緯と目的をお伝えしていきたいと思います。 1.outputの機会を得るため学習効果が最も高いとされているのは、outputというのは皆さんご存知の

自己紹介&人気ジャンルのnoteまとめ

はじめまして!くろです 都内でエンジニアとして働いている20代です。田舎の母子家庭で育ち、大学進学を機に上京して現在に至ります 昔話をすると、実家は多く見積もっても年150万円程の世帯年収で、ごはん抜きや1食が100円の菓子パンなどざらでした 本来は大学進学、ましてや上京などできないですが、受験料を親に頼み込み、奨学金を借りアルバイトで生活費を稼ぐことで大学を卒業しました そのような背景もあり、人生を通じて「生まれた環境などスタートラインに恵まれなくとも高みに上ってい

「運動会がイヤ」と泣いていた息子がリレーのアンカーを走り、1位でゴールテープを切った話

運動会当日の話  秋の休日の話である。  これ以上ないほどに運動会日和な秋晴れの空の下、5才になる息子のコトが、僕と妻の目の前で、運動会のリレーのアンカーとして走り、見事に1位でゴールテープを切った。 「やったーっ!」と、高々とバトンを掲げて跳びはねるコトの姿を見て、僕は思わず泣きそうになった。 「やばい、泣きそう」と言って妻の方を見る。 「え?」と振り返った妻は、すでに滝のような涙を流していた。  …………え?  「な、泣きすぎじゃない……? もっとこう、ポロッとか

[#一歩踏みだした先に] 美大→漫画→うつ病→経営者→次は?

1977年生まれの私は、勉強ができるわけでもなく、スポーツも興味がなく、常識もあまりない、良く言えばマイペースで悪く言えば出来の悪い子供でした。中学からは不良グループに入り、高校に入学した後も似たような友達と過ごしていました。そういう友達と一緒にいるのは居心地が良く楽しかったです。…が、高1で停学になったあたりでこればっかりでも良くない気がしてきました。そんな中、ふと小学校の頃に図工の作品がよく先生に褒められていたのを思い出しました。忘れかけていましたが、自分にも1つ得意なも

シンバという男の子 韓国との間にあるまる

ずいぶんと昔の話ですが、私がベルリンに住み始めた頃はちょうど気持ちの良い新緑の季節で、木々の芽吹きに後押しされるようにワクワクしながら真新しい気持ちで、語学学校の入学手続きに出かけたときのことを今でもはっきり覚えています。 初めての海外生活、新しい言語。 クラスにはいろいろな国から集まった10名ほどの生徒がいて、若い方なら10代半ばから上は50代まで。初心者クラスと銘打っていましたから、誰もがドイツ語を喋れない、という前提であるはずが、やはりそこは個人差、というよりも、地

「お電話ありがとうございます」がわたしを変えた話

電話が嫌だから美容室にいけない。ぼさぼさの髪を気にしていられないくらい、電話で話すのはわたしにとってハードルの高いことだった。 数年後、そんなわたしが電話カウンセリングの受付インターンをすることになるなんて想像もつかなかっただろう。それも、電話応対を褒められるほどになるなんて。 中学生のとき、美容室に行くには電話で予約をしないといけなかった。ゼロから市外局番を三けた押すころには手が汗でべったりとなり、なんども唾を飲みこんだ。 あの「最初に何を言えばいいんだろう」と頭が真

双極性障害と診断され10年間寝たきりだったおばと、目を逸らし続けた僕の話

我が子のように可愛がってくれたおばさん これは僕と、おばのミーちゃんの話です。 ミーちゃんは父の弟の奥さんで、僕とは血は繋がっていません。若いころに婦人科系の病気をしており、子どもはいません。 けれど子どもは大好きなようで、小さいころから家に遊びに行くと 「よくきてくれたね!!」 と、大きな声で歓迎してくれました。 ことあるごとに嬉しそうに 「生まれた時からオムツをかえてあげたのよ」と話してくれ、 小学校の時は運動会のたびにお弁当を作ってきてくれました。 やたら巨

念で相手を倒すには

テレパシーというものを弱いながらも会得されたかと思います。 10kgのダンベルを持ち上げられたら、鍛えればどんどん重い物が持てるように、弱くとも念が使えるようになれば、鍛えたその先は、念で相手を倒すなんていう技もできるわけです。 まずは、部屋を暗くして、蝋燭に火を灯します。 とはいえ、これだけだと霊までもが火に集まってきてしまいますから、本末転倒です。 そこで一本のお線香にも火を灯します。 これで霊を退け、きれいな空間を作ります。 そもそも蝋燭の火にも生命浄化の力があり

エッセイ | 君に届けたい僕の言葉

 文章とは不思議なものである。  誰でも下手な文章よりは、上手に文章を書きたいと思うだろう。しかし、うまくはないのだけれども、うまい文章よりも心に響く言葉というものがある。  だいぶ前のことだが、新渡戸稲造の「武士道」という本を読んだことがある。その中に、プレゼントを手渡すときの西洋的な発想と日本的な発想の違いについて述べた箇所がある。  日本人がプレゼントを相手に手渡すとき、「つまらないものですが」「もしよろしければ」と前置きすることが多い。それに対して西洋的な発想では

点字がついた一冊の本ができるまで

「はじめまして、御社が好きです。何か力になれることがあれば連絡ください」 できの悪いスパムメールでしょうか? いいえ、僕が20代の頃に送っていたメールです。 必死でした。広告会社につとめていながら、自分が納得のいく仕事ができず、「好きな企業に、自分から連絡したら流れが変わるかもしれない」と不器用にメールを送っていたのです。 そのうちの一社が、このnoteの主役である、大塚啓志郎さんが当時つとめていた出版社でした。大塚さんが手がけた本を出張中の飛行機の中で読み、感銘を受け

ニートが変な一歩を踏み出して見えた世界

noteにて「つながる旅行記」というシリーズを投稿開始して3ヶ月が経った。記事の数はとうとう50を越え、ありがたいことにこんな何ともいえない旅行記を毎回数十人が見に来てくれている。 この旅行記は自分がニート期間を経て貯金が尽き、色々あって、 日本中を巡る変な仕事に就いたことがきっかけで出来たものだ。 noteの最初の投稿が2018年なのに「つながる旅行記」を投稿し始めたのは3年後の2021年であるところを見るに、やる気や継続力に難がありそうな人間なのはお察しいただけると思

僕が夏にしていたこと

気が付いたら電車には学生が増え、気が付いたら嫌なジメジメ感も軽減されてきたなぁと思っていたら既に9月に入っていたみたいです。あと3か月もすればクリスマスと年末です。なんとまぁもうすぐ2022年も終わってしまうみたいです。三十路を目前に控え1年のスピードが加速していくのをしみじみと感じています。 みなさんはどんな夏を過ごしましたか?海に行ってはしゃいでお祭りに行って爆食いして、花火を見てうっとりして満喫されましたか?えぇさぞ楽しかったことでしょう。ぜひコメントで夏にしたことを

¥300

自己開示しないと、人生詰みゲー?!《コミュニケーションの基礎知識》

■自己開示の重要性 あなたは自己開示していますか? 自分の内面を知られると、嫌われるのではないか? とビクついて、自分をさらけ出せない人も多いのではないでしょうか? 確かに、自分の事を話すのは怖い事です。 私は、私を含むすべての人間生命が、その内側に狂気を抱えているが、それを心の奥深くへ仕舞い込んでいる為に、『社会』というモノは成り立っていると思っています。 なので、内側の狂気を爆発させたら、 『キモっ☆、変態ッ、このブタ野郎ッ!』 と思われるのではないかと、ビク

¥500

「文章を書きたいのに書けない」3ヶ月前の私へ。

「知り合いに見られたら恥ずかしい」 「書くって意識高い系?友達に引かれるかも」 「コピーライターなのに文章下手って思われたら…」 文章を書きたいと思っているのに、書けない理由はいっぱい。 3ヶ月前までの私がそうでした。 つまり人からどのように見られているか、気になっていました。 ここでいう「文章を書く」というのは、 私が仕事でしている「商品の魅力を文章で伝える」とはちがって、 自分の思いや経験を文章で伝える、ということ。 他者のことであれば自信をもって書けるのに、 自

【預言カフェとお告げ】

預言カフェにいってきました。行こう、行こうとしてましたが、忘れていてついに。ネットで調べると夕方は比較的空いているということで、15時半くらいに。 預言カフェは東京・高田馬場と赤坂にあります。私は高田馬場の方に。高田馬場駅(戸山口)から徒歩3分くらい。 到着すると、名前を書いてアルコール消毒、検温後すぐ席に案内され。コーヒーを注文しひたすら待ちます。一杯1000円前後で預言込みの料金です。 私は待ち時間10分程度だったような。私の場合待っていて、隣みたらすげー美人がいた

「妊娠していますね」に喜べなかった日

「妊娠していますね」と産婦人科の先生に言われたとき、私はポカンとした。これが正真正銘のポカンだなというポカンだった。 「実感がない」という言葉の意味を人生で一番実感したのが、この日だったと思う。 子どもが欲しいと思っていたはずなのに、いざ妊娠しているとなったら、私の思っていた「子どもが欲しい」と「妊娠」は全くイコールで結ばれなかった。 「妊娠」に背中を押されながら、それでも足を前に出さないよう、じりじりと抵抗している自分がいた。 検診は、赤ちゃんの様子を確認して「じゃ

自分にも「ありがとう」

人生頑張りすぎると 視野が狭くなり 自分がしたことや できたことを見過ごして しまいがちです。 でも、あなたは毎日 できる限りのことを してきたはず。 たとえ、できなかったことが あったとしても、その日を 無事生き抜いただけで 十分素晴らしいことです。 もっと自分を褒めてみましょう✨ 「今日もありがとう」 「よく頑張っているね」 自分にも「いつもありがとう」の 気持ちを持つことができたら 今日をもっと楽しくすごせる 活力になります🧡 最後までご覧下さり ありがとう

【鯖チョコ】 勇気を振り絞って500円で購入。食べた瞬間、チョコっと、チョコの味がしたあと、普通の鯖味噌の味へ。独特といえば独特。  鯖は国産で鮮度もいいんだろうなあという印象。ただ500円はちょっと高いんじゃないかと。 不味くはないけど、普通に鯖食べたいです。

原田マハさんに魅せられて

知っていたら人生が豊かになることっていくつかあると思う。 たとえば、歴史と美術。 いわゆる"教養" "リベラルアーツ"といわれるものの中でも、 「歴史なんて過去のこと知ってなにになる」 「芸術の世界はわけわからんね」 と軽視されがちかもしれない、この2つ。 学校教育では“文化史” “美術史”という括りで、受験を突破するための手段にされてしまうこの2つ。 中学受験時代から歴史の勉強は好きだったし、得意だった。美術は作り手としては苦手だったけれど、鑑賞者としては決して嫌い

【オンラインお茶のお稽古】お茶に興味のある人や、過去にやってみてあんまり好きになれなかった人など、たくさんの人に知ってほしい!

オンラインで茶道が学べるオンラインお茶のお稽古を立ち上げます。 来年2023年1月から、オンラインで茶道が学べる【オンラインお茶のお稽古】始動します。現在は運営メンバーと共に、カリキュラムの策定、コース料金の検討などを行っています。 なぜ、オンラインで茶道なのか? 従来、お茶のお稽古というと先生のお宅にうかがい、長い年月をかけて少しずつ知らない間に身につくまで長い時間をかけるものでした。先生のお宅は私生活と繋がっている為、御自宅でのお稽古に通うことを許される人は自然と少

noteを始めて自分に承認欲求があるとわかった話#一歩踏み出した先に

2022年の2月14日のバレンタインデーに、私はnoteを始めた。 6ヶ月が経ち、440人(2022年9/1の時点)の方にフォローしていただいている。 この数字が多いのか少ないのかはわからないが、かなり大きな一歩を踏みだして、noteを始めた私の後押しをしてくれているのは間違いない。 なぜnoteを始めたか ①Z世代の娘が映画を紹介するインスタを7年ぐらいやっており、フォロワーが何千人いる 私にもできるのではないか?とふと思った。 娘は特に文章がうまい訳ではなく、感じ

ショートショート「つくるをつくる私たちは」

鼓動がはやい。呼吸が乱れている。自覚してる。 音を吸収する素材がはられた壁。なのに、心臓の音がうるさい。なんで?これ、聞こえてるんじゃない?迷惑じゃない?そんなわけないのに、焦る。 そうだ。汗を握りしめていた手でスマホを確認する。ちゃんとサイレントになっている。さっきしたもん。すべって落としそうになる。やばい。 大丈夫。大丈夫。落ち着け。落ち着け。 意識して呼吸を深くする。足に力を込めて、膝を見つめる。ゆっくりと息を吐く。 「じゃあ、よろしくお願いしまーす!はい!3…

アダルトチルドレン卒業宣言【その4】 〜実家家族からも卒業しました〜

私が考える「アダルトチルドレンからの卒業」とはなんだったんだろう昨年末にこのようなことが起こった後、私は自分が思う「アダルトチルドレンからの卒業」とはどんなものなのだったのかと考え続けました。 前回の記事までは、「あんなに憎んでいた親を許せるようになり、親も変わった」という、誰が読んでも「めでたしめでたし」な状況になっていましたが、事態は真逆の結末となりました。 見方によっては、昔よりも状況が悪くなったのではと思えるかもしれません。 でも、私自身に目を向けてみると、

お豆腐メンタルと名乗ることを、辞めようと思った。

先日、とある場所でワークショップに参加していた。 そこにいる人たちは4人いらっしゃった。 自分達で、自分のことを初めての人に紹介する ためにキャッチフレーズを持っていたほうが、 コミュニケーションに役に立ちますよって いうアプローチがあって。 現役の第一線のコピーライターの方の レクチャーを受けていた。 去年あたりから、わたしもnoteで肩書や キャッチフレーズを作らせて頂いているので。 学びたい気持ちもあって、参加した。 隣り合った人と二人一組になって

『平日、仕事後、余裕なし』の私が、お風呂場で息子から学んだこと。

余裕がない。 仕事から息子達のお迎えに行き 家に帰ると、余裕がない。 何の余裕かと言われれば、 ぎゃー!もう18時半!ヤバー!という時間の余裕も 洗濯、風呂、ご飯、明日の支度…あぁもう…やること山積みー!という気持ちの余裕も ぶはぁ…仕事疲れたー…という身体的な余裕も なんかもう全て。 要するに、私の心の余裕がない。 で、何でそんなに余裕がないのかと言えば 翌日もまた仕事があるから。 仕事があるって事は、 息子達を起こす時間が決まってて、 そうなると 〝息子達をこの

【エッセイ】ランランRun♬.*゚継続は光なり‥。

ランニングが趣味で‥ 走るのが楽しくて五キロ走ります! と‥ほんの少しだけ自慢気に?(笑) 語っていたわたしは今はもう‥居ない。 どこか旅に出てしまったのか‥。 短すぎた梅雨のせいなのか その後気まぐれに降り続いた 大粒の雨のせいなのか‥。 それとも‥いつまでも消えない 真夏の名残りのせいなのか‥ どちらにしても ここ1、2ヶ月まともに 走っていないことにかわりはなく。 その間、7月に一回8月に一回‥と 勢いで走り出してみたものの 五キロ完走など、とてもじゃないけど

自分の人生を生きるということ

私には、夢がありました。 どうしてもなりたいといった明確なものではなく、どれも憧れに近いものばかりだったけれど、昔の私にはそれなりに夢があったのです。 保育士、声優、図書館司書、メイクアップアーティスト、美容師、小説家、編集者、医療事務員…。でも今の私は、これらのどれにも該当しません。 子供が好き、話すことが好き、本が好き、美容に関することが好き、文章を書くことが好き、電卓をたたくことが好き。昔も今も、根本的なこの「好き」という感覚は、何一つ変わっていないのに、なぜ私は

「晴れの日も雨の日も」#1自己紹介

はじめまして。noteデビューすることになりました。ひゅー、パチパチ。 ご挨拶がてら自己紹介をさせて頂きます。 なまえ:長井克之。1961年2月生まれ。 1983年に大学卒業後大手素材メーカーに就職。主に東京で、また名古屋や関西で国内営業を中心に担当し、2015年インドネシアで拠点長を務めることに。サラリーマン生活の第4コーナーを回った54歳で「青天の霹靂」人生初海外駐在。 4年後に帰国、関係会社に異動。2021年2月に還暦を迎え長年お世話になった親会社を定年退職。これまで

世の中は理不尽で満ちている

若い頃から順風満帆で生きてきたわけではない。  葛藤も、思い込みも、挫折も、みんな理不尽だと思っていた。  気温 50℃のイラクの砂漠で鼻血を吹き出して倒れた。  イランの戦闘機から銃撃を受けた。  防空壕に命からがら逃げ込んだ。  対空機銃の射線にあるパンザーマストで架線工事をした。  成田空港の税関から 外貨獲得、ご苦労様です と敬礼された。  目の前で、大統領官邸の警備とテロリストが銃撃戦をした。  夜間外出禁止令の発令を受けた。  カトヤナケ空港脇の駅で爆弾テロがあ

特別への執着を手放す、大人になるということ

「これから先、毎日この道を行き来するのが人生なのか」 ふとそう思った時が“大人になった瞬間”なのだとしたら、僕らはようやく大人になれたのかもしれない。 あの時思っていたほど、死んだ顔したサラリーマンを満員電車で見かけることはなかったし、東京で消耗した大人にも出会わなかったし、パソコン1台で稼いでいる大人だけが憧れの対象でもなかった。 一人でカラオケに行く、好きな人に告白する、大学を辞める、仕事を辞めて転職する、自分なりに一歩踏み出した経験は数多あるけれど、今となって振り

健康や体力強化にはジョギングするより10歳若返るインターバル速歩をオススメします!

今回は、歩き方を変えるだけで10歳若返る身体を目指せる、歩き方講座みたいな話ですが、歩き方を変えるだけで若返るってウソみたい、そう思っている人もメタボの人も、少しだけお付き合いくださればお役に立てる話です。 最近は健康のために、ジョギングやウォーキングに取り組んでいる人も多いようですが、ちょっとだけこの話を聞いてから、そのままジョギングやウォーキングを続けるかどうか、判断しても遅くはないと思いますよ。(^_^)b ただ闇雲にジョギングしたりウォーキングしても、体力づくりや

夫さんは単身赴任。転勤についていかない妻の気持ち

私は、双子の娘を育てながら働いています。夫さんは、2021年に未経験で飲食業界に飛び込みました。 夫さんが転職して4ヶ月がすぎた頃、異例の早さ&急さで転勤の辞令がでました。転勤日の2週間前告知は、今後やめてもらいたいです、切実に。 全国転勤ありの会社に、夫さんが転職を決めたときから、もし転勤になっても子どもと私はついていかない。夫さんには単身赴任をしてもらうと決めていました。 なんでついて行かないと決めていたのか、書いておこうと思います。 フリーランスで在宅勤務。どこ

Kindle作家を夢見ているだけじゃもったいない!誰でも確実に電子書籍を出版できる!

今回はnoteとの相性が良い電子書籍を、アマゾンのKindle出版で行なうことを検討していたり、興味を持っている人に向けてのアナウンスです。(^_^)b noteの記事がたまってきたら、1つのカテゴリーやテーマに沿って整理するだけで、電子書籍の原稿が完成したようなものなんですよね。^^ そういう意味では電子書籍化とnoteとの相性はすごく良くて、noteで反応のとれている記事をベースにすることで、電子書籍としての読者の反応がある程度推測できるのも、noteと電子書籍を組合

夏の終わりは言葉の欠片を拾い集める

大きな窓ガラスの向こうで 西日が傾いて 校庭のプラタナスの木の葉を 照らしている 赤トンボが草の上を渡る しばらく 主たちを失っていた教室で はるの先生は箒を動かす 差し込む日差しに ほこりが舞ってきらきら輝く 雑巾でロッカーの上を拭くと また ほこりは舞って 床にふんわりと落ちた もうすぐ 賑やかな声が ここに戻ってくる さてと 小さな椅子に座って 目の前の作文の数々を広げる 椅子の持ち主は どうしているだろう ほんのちょっと 会わないだけで 大きく変化する子も

ハードモード人生おわりにして感謝実験してみませんか?

最近、あらゆるものに兎に角『感謝』する実験をしている。 死んだも同然の死にきれなかった人生、どうなってもいいんだけれども、 人生を「長い」と感じながら過ごす、とんでもなくしんどい日々はどうしても変えたかった。 というか、変えるしか救われないでしょう。 死ねないし死ぬより当たり前に辛いという考えをベースにした生きる道は、あと60年いやもっと長くなるであろう寿命を考えたら言葉にも表せない絶望である。 そこでたどり着いたのが、度を超えたほどの『感謝』である。 再現すると ・