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「運動会がイヤ」と泣いていた息子がリレーのアンカーを走り、1位でゴールテープを切った話



運動会当日の話


 秋の休日の話である。
 これ以上ないほどに運動会日和な秋晴れの空の下、5才になる息子のコトが、僕と妻の目の前で、運動会のリレーのアンカーとして走り、見事に1位でゴールテープを切った。

「やったーっ!」と、高々とバトンを掲げて跳びはねるコトの姿を見て、僕は思わず泣きそうになった。

「やばい、泣きそう」と言って妻の方を見る。
「え?」と振り返った妻は、すでに滝のような涙を流していた。

 …………え? 

「な、泣きすぎじゃない……? もっとこう、ポロッとか、ほろっとか……」
「だってぇ、アンカーとか聞いてなかったしぃ、この前も『運動会の練習がイヤ』って言ってたのに、1位を取るとかカッコ良すぎでしょっ……!」

 まぁ、妻のその気持ちはわかる。僕から見ても、今日の息子は実にカッコ良かった。
 今日は、その話をしたいと思う。

***

運動会の2週間前、息子が「うんどうかい、イヤ」と言った話


 2週間後に運動会の本番を控えた、ある日の夜。
 布団にくるまったコトが、「コト、あしたは保育園、いきたくない」と言って、急にしくしくと泣き始めてしまったのだ。僕と妻は驚いた。息子がそんなことを言うのは、初めての出来事だった。
 僕と妻は、2人で挟み込むようにして、コトのことを抱きしめた。

「どうしたの? コトくん、保育園で、なにかイヤなことでもあったのかな? おはなし、してくれる?」

 コトは、ゆっくりと口を開いた。

「……あのね、リレーのれんしゅうで、あおチームにかてないの。●●くんにおいつけないの」
「そっか。リレーの練習がいやなんだね」
「うん。ぼく、うんどうかい、やだ

 僕と妻は、静かに顔を見合わせた。徒競走ならまだしも、リレーは団体競技である。1人の頑張りも大事だが、それでもどうしようもないこともある。

「コトくんは、何番目に走るのかな?」
「……ないしょ」

 内緒? うーむ、困った。

「じゃあ、明日は運動会の練習はお休みにしてもらおうか? 先生に、お願いしておく?」
「うん。あした、きめる」

 そう言って、コトは静かに眠りについた。

***

 翌日、保育園に預ける際に、先生に「運動会の練習をお休みするかも知れません、本人の意思に任せてあげて下さい」とお願いしたのだが、結局、コトはちゃんと練習に参加したそうだ。

 お迎えのとき、コトは「きょうはね、ちゃんとリレーのれんしゅう、やったの!」とドヤ顔で報告してきた。なんだかんだ、強い子である。

***

運動会の1週間前、息子が「はやすぎるくつ」を自分で選んだ話


 その週末、息子のコトと2人で近所のショッピングセンターで買い物をしている途中、急にコトが僕の手を引いた。

「パパっ! コト、あっちをみたい!」

 そのまま急に駆けだしたコトを、慌てて追う。
 どうせまた、おもちゃ売り場で欲しいトミカやプラレールなんかを見つけたのだろうーーと、そう思っていた僕は驚いた。
 コトが入ったのは、靴屋さんだった。これまで何度もこのショッピングセンターには来ているけど、息子が自分からこの靴屋に入ったのは初めてだ。

 そして、驚きはそこで終わらなかった。コトは、近くにいた店員さんの方に近寄ると、僕の到着を待つことなく、「すみませんっ!」と、自分から声をかけたのだ
 この時点で、僕は妻から託された買い物リストの半分も消化していなかったが、いったん帰宅して妻にコトの成長ぶりを報告をしようか本気で迷った。そのくらいの衝撃だった。

「はい、なんでしょう」と、笑顔で応じてくれた店員さんに、コトは、近くの棚に飾られている小さな運動靴を指さして言う。

「これは、はやすぎる、くつですか?」

 見ると、コトが指さしていたのは”運動会コーナー”に置いてある運動靴の一つだった。
 青いカラーのそれは、スポーツメーカーが作っているいかにも走るのが速くなりそうなネーミングの靴で、小さい子がリレーなんかでカーブを上手に曲がれるよう、ソールに工夫がしてあるらしい。

 店員さんがにっこりと笑って、しゃがんでコトに目線を合わせて「そうですよ。速く走れる靴です。履いてみますか?」と言う。

「おねがいします」と、小さな声でコトが応じる。丁寧語である。

 同じ保育園に通う園児たちの中でも、トップクラスに人見知りだった息子が、今日、自分ひとりで店員さんに声をかけて、丁寧に、自分が欲しい商品を伝えた

 その成長の瞬間に立ち会えた幸運に感謝しつつ、僕はさりげなく値札をチェックする。ありがたいことにたった数千円の靴だったが、たぶん僕は、たとえこの靴が10倍の値段だったとしても迷わず買ってあげたのだろう――なんて、息子に甘い自分を自覚しながら、僕は自分のお小遣いから会計を済ませた。

 家計からではなく、あえて僕のお小遣いから出す方が、この場面に立ち会えた喜びを忘れない気がしたのだ。

***

そしてまた、運動会当日の話


 そして、運動会の当日。園から指定された保護者の観覧席で、僕と妻は、コトが行進やダンスをする姿を、夢中になって写真に収めていた。
 今日、この日のために予約していた新型iPhoneの高性能カメラは、その能力を十分に発揮してくれていた。

『次は、最後の競技のリレーです。今日のために、みんな、一生懸命に練習してきました』

 そう先生のアナウンスが流れると、僕らは慌てて、先生に指定された位置へと向かった。
 保育園の先生から受け取った保育園のしおりの中には、太めの赤ペンで「リレーでは、ぜったいここにいて下さいね!」と、矢印がつけられていた(ちなみにうちの保育園は、運動会の出番だとか演劇の役とかは、当日まで内緒にされている。リレーの順番も、もちろん内緒だった)。

 やがて、園児たちが整列して入場してくる。
 コトの姿を見つけて、僕と妻は同時に叫んだ。

「「コト、アンカーじゃん……!」」

 たくさんの園児が並ぶ中で、僕らの息子は、一番後ろに立ち、アンカーだけがつける赤いタスキを斜めに掛けている

 やがて、リレーのスタートを告げるピストルが鳴る。園児たちは順番に、その小さな身体をいっぱいに使って、競技場のトラックを駆けていく。
 青チームも赤チームも、一進一退のいい勝負である。
 あと3人、2人、1人……。バトンを待つ園児の数が、どんどん減っていく。

『両チーム、次は、アンカーにバトンが渡ります。アンカーは、他の子よりも半周長く、トラック1週半を走ります』

 アナウンスを聞いた妻は、小さくつぶやく。
「うそでしょ……! コトくん、バトンを落としたり、転んだりしないといいけど……!」
「もしそうなっても、頑張ったことを褒めてあげようね」
「うん!」
 
 そして、いよいよコトがスタートラインに立つ。履いているのは、自分で見つけて、自分で店員さんに頼んだ「はやすぎるくつ」だ
 大丈夫、君はきっと、上手に走れる。

 バトンを受け取り、コトが駆け出す。大きく腕を振って、地面を蹴りあげる。カーブも、上手に曲がれている。
 バトンだって落とさないし、転んだりもしない。
 トラックを半周走り、1週走り、そして最後の半周になっても、コトは誰にも抜かれることはなかった。頑張れ、ゴールはもうすぐだ、頑張れ―—!

 後日、保育園の先生から聞いた話によると、前日までのリレーの練習では、5回に1回くらいしか、コトの赤チームは勝てなかったらしい。
 アンカーを走るコトは責任を感じて、ゴールしたあとで静かに泣いてしまったこともあったようだ。

 その姿をみて、先生たちも「走る順番、変えようかな?」と思い、コトに意見を聞いてくれたそうなのだが――、

コトは、「ぼく、がんばって、はしるよ!」と、諦めなかったそうだ。

 ——そして、息子は僕と妻の目の前で、1位のゴールテープを切ったのだった。

***

おまけ

 そして、ここから先は完全なおまけで、僕の失敗談である。
 運動会のために買った新型のiPhoneは、息子がゴールテープを切るその直前まで、お値段に見合った完璧な仕事をしてくれていた。
 ゴール直前のかっこいい背中も、一生思い出に残るような形で、完璧に切り取ってくれた。
 
 あとは、最後に、ゴールテープを切るその瞬間だけ――だったのだが。

 僕自身が、まさかの1位でのゴールにテンションが上がり、カメラマンにあるまじき「拍手」をしてしまった結果、一番大事なゴールの瞬間は、こんな風に、死ぬほど手ブレした写真となってしまった。一生の不覚である。

 でもまぁ、いつか将来、この失敗作の写真を見せながら、息子にこんな風に話してあげよう。

 君はこの日、本当に、一生懸命がんばったんだよ——

カメラマン失格のこの写真が、息子がゴールした瞬間の僕のテンションを物語っている。


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