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シンバという男の子 韓国との間にあるまる

ずいぶんと昔の話ですが、私がベルリンに住み始めた頃はちょうど気持ちの良い新緑の季節で、木々の芽吹きに後押しされるようにワクワクしながら真新しい気持ちで、語学学校の入学手続きに出かけたときのことを今でもはっきり覚えています。

初めての海外生活、新しい言語。

クラスにはいろいろな国から集まった10名ほどの生徒がいて、若い方なら10代半ばから上は50代まで。初心者クラスと銘打っていましたから、誰もがドイツ語を喋れない、という前提であるはずが、やはりそこは個人差、というよりも、地域差があり、多くのヨーロッパ育ちの生徒たちは、明らかに他の地域の出身者と比べて語学的な勘が優れているように感じられました。

語学学習においては「言語のシャワーを浴びるよう」に勉強するのが効果的、とはたびたび耳にしていましたが、実際にはシャワーというよりは、滝行でした。

そんな苦行の日々の中で、ドイツに来て初めてできた友達、それがシンバでした。



シンバは韓国人でした。とにかく明るくひょうきんで、いつも飛んだり跳ねたりしているような、そんな元気いっぱいの男の子でした。

本名の響きが似ている、という理由で、「シンバと呼んでくれ」と自らつけたあだ名は、本来ディズニーのライオンキングの主人公の名前でしたが、クラス一の人気者であった彼にはピッタリの呼び名でした。

お互いに見知らぬ土地で慣れない生活の中、片言のコミュニケーションを身振り手振りで埋め合わせ、言葉が拙いぶんだけ、とにかく相手を理解しようと、そして自分のことを理解してもらおうと一生懸命でした。


次第にまわりのクラスメイトも巻き込んで、私たちは放課後一緒に宿題を解いたり、わからないことを教え合ったりして過ごすようになります。

時には皆でアイスを食べに行ったり、芝生に寝転がってビールを飲んだり、そんなとき誰かが集合写真を撮ろう、と声をかけると、シンバは必ず3.2.1の掛け声に合わせてジャンプをしました。後から振り返ってみると多くの写真の中で、シンバだけが笑顔で宙に浮いています。
笑顔だけでは足りない、そんな人でした。


あるときドイツ語の授業内で先生が言いました。「ドイツはヨーロッパの中央に位置しており、9つもの国に囲まれて、それらと国境を隔てています。みなさんの国はどうですか?今日はみなさん、自分の故郷を図で示し、あなたたちがどこから来たかを教えてください」

スウェーデンやスイス、ベネズエラやカザフスタンなど、各生徒が順番に自国の図を教室のホワイトボードに書いたり消したり足したりしながら、大きな世界地図が仕上がっていきます。

順番は私の隣に座っていたシンバの番までまわってきました。シンバが席を立つときに、ちらりとこちらを見たのに私は気が付きましたが、そのまま素通りする彼に、一瞬、違和感をおぼえながらも、じっとそのスピーチを見守っていました。

彼はホワイトボードに大きく東アジアと朝鮮半島を描き、ついでに隣に簡単な日本列島も付け加え、韓国という国、そして彼の故郷のソウルの位置を説明しながら、日本との間にある海に小さくひとつ丸を打ち、私の目を見て言いました。



「そして、これが韓国の島、独島です」



それだけ言うと、シンバは無言で私の前を横切って、隣の席に着きました。

きっと小さな違和感を感じながらも先生は「? オーケー、ありがとう」とだけ言いました。



クラス中がきょとんとする中、私だけがはっきりと彼を理解していました。



そして次は私の番でした。



シンバが描いた大陸をトレースするように、大きく東アジアと朝鮮半島を描き、だいたいの大きさと位置を説明しながら、さっきのよりはいくぶん上手に日本列島を書いた後、朝鮮半島との間にある、いまさっき打たれたばかりの小さな丸をさらに二重で囲んでから、シンバの目を見つめて言いました。



「そして、これが日本の島、竹島です」





私がそう言いきった瞬間、シンバがこらえきれずに吹き出します。私も耐えられずに、つられて吹き出します。状況が飲み込めずに呆然とするほかの生徒たちをしり目に、しばらくのあいだ私たちは二人きり、立ち上がれないほど大笑いしたあと、抱き合って肩をたたき合いました。



少し困惑した表情で先生が「ま、よくわからないけど、お隣同士にしかわからないこと、ってあるわよね」とつぶやきました。


その後、シンバとはよく遊んで、一緒に料理をしたり、旅行へ行ったりしましたが、しばらくして彼は無事にドイツでの学業を終え、韓国に戻り、今では素敵なパートナーとの間にかわいい双子まで授かったそうです。たまにインスタグラムで見かける彼は、今でも笑顔で宙に浮いています。






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