絵描き経験0の社会人が、1年間絵を描くとこうなる
まずは、この写真を見てほしい。
1年前の写真を撮るには中々の勇気が必要だった。しかし、これは紛れもなく自分が当時一生懸命描いた絵なのである。
「みんなおれの家族だぜ……」ワンピースの白ひげが脳裏に浮かんだ。過去の自分をぎゅっと抱きしめてあげたい。
私は、1年前から絵を描くようになった。きっかけはnoteからで、「ああ、こんな記事を書きたいけれど、エッセイ漫画みたいに表現できたら面白いだろうなぁ」という思いからである。
かく言う私は、エッセイ漫画調な作品を読むことが大好きなのだ。『うちの3姉妹』『あたしンち』これらは代表的な漫画だが、Twitterでも暇さえあればエッセイ漫画を読んでいる。
「ええい!友達もいなければ、彼女もいない!1人の時間は腐るほどあるのだから、絵の練習をしてやろう!」
こうして始めた絵の練習。いざペンを握ってみると、ほとんどが苦しいことだらけでめげそうになる。そんな私と絵の練習を今回は記事にしていきたい。
余談だが、最近は『うちの3姉妹』の作者である、松本ぷりっつさんのYouTubeを観ている。成長した次女・フーのトークを聴きながら泣きそうになっている私がいる。まさかこんな日が来るなんて、当時テレビアニメを観ていた私は知る由もない。
絵描きを始めて気がついたこと①:絵を描くことはメンタルトレーニング
絵を描くようになってから一番最初に思ったこと。
「しんどすぎる……」
これに尽きる。
多分これには様々な要因が起因していると思う。
仕事で疲れていてそもそも絵を練習できない
毎日同じ線を引けない
知識だけ取り揃えても技術力が足りなくてやきもきする
比べていないつもりでもSNSで上手い絵を見て自分と比べる
早く上手くならないといけないような焦りがある
自分の理想とする絵とかけ離れていて苦しい
やっと描けたと思った絵が下手に感じる
絵を下手だと言われた記憶が邪魔をする
ざっと挙げるだけでもこれくらいある。
これまで私が経験した趣味といえば、漫画、ゲーム、映画などのどちらかといえば受動的なものばかりだった。
ただ受け身でいるだけで、楽しい気分になれる。それが私の中の趣味だった。
しかし、絵を描くことは嫌でも自分が作らないといけない。自分の技術力と考え方に対して向き合わなければ、何も描けないままなのだ。
この向き合う作業が楽しくもしんどい。
ペンと紙を壁にぶん投げたくなる日は腐るほどある。趣味でやってることなのに楽しくない時間が存在していいのかと疑問に思える日がくる。
しかし、ここで辞めたくない。楽しくない時間があるのならば、どうすれば1秒でも絵を描くことが楽しくなるか考えたい。私より同じ期間、むしろ後より絵を始めた人が私より上手くなったとしても、私は大声で泣きながらその後ろを歩きたい。
たった1年の練習で多くを語ることはできない。今はこんな熱く語っているが、ふっとその炎は消えてしまうかもしれない。
でも諦めたくない。絵を描いていて、しんどいと思うことが多いけどその分だけ自分を乗り越えたい。
絵描きを始めて気がついたこと②:日常が絵に関することだらけになる
絵を趣味にしてから、世の中の見え方が変わった。
日常の物を頭が勝手に丸、三角、四角に置き換えるようになったし、シワのつきかたや人の骨格を見る様になった(バレていませんように)。
つい最近、家族と服を買いに行った。そこで見つけた筋肉質なマネキンを私はずっと撫でていた。上腕三頭筋の丸みやら三角筋の感覚を確かめていた。
正直、この日常の行動が絵に役立っているかはわからない。しかし、日常生活に彩りがあることは確かなのである。
アニメを観ていれば「描くのめんどくさいだろうな…」と嫌でも思うし、装飾の多い服をみると悲鳴を上げたくなる。
遠近感のある物体を見ると、線をどう引いたらそうなるのかを勝手に考えている。
自分は何を目指しているんだよ。
疑問に思うことはある。しかし、これは自分の悪い癖だ。自意識過剰というか、自分を客観視したときの自分の様子が嫌になってしまいストップをかけてしまう。
自分自身で足かせを着けてしまう癖はいつからか。原因は20年間生きてきた環境にきっとある。何をやっても中途半端かそれ以下で、ずっと自分はダメな人間だと思っていた。
だが、それはきっと自分が決めたことだ。確かに周りの人間に散々な言われをしたことはあるが、その生き方を選んだのは自分だ。
周りの人間が「大人しくその箱に収まっていろ」と狭苦しい場所を私に提案して、私はその箱に自分の意志で入っていただけだ。
絵を描いていてやっと気がついた。自分で自分の生き方を狭めていただけだと。
1年前に比べたら多少なりとも絵は上手くなっている。自分の描く線と向き合うことが、自分と向き合うことに繋がっているなんて、私は学生時代の美術で習ってこなかった。
絵描きを始めて気がついたこと③:SNSは良薬であり毒薬
Twitterやpixivなどを開くと、私より絵が上手い人間がゴロゴロいる。街ですれ違う人間を見ると、もはや全員が絵の上手な人に見えてくる。
SNSは使い方によっては、自分の絵に対して成長を促してくれる。しかし、周りと比べる癖がついてしまうと一気にモチベーションや不安を感じる様になる(あくまで私は)。
私が主に使っているのは、Twitter。私が他人と比べて落ち込む癖があることは、20年生きていれば自ずとわかることなので、フォローしているアカウントは厳選している。
しかし、最近のTwitterはフォローしている人だけではない投稿も表示される、なんともご親切な設計なのだ。声も出ないくらい上手な絵を描く中学生や、私と同じように社会人になってから絵を練習していて、それでもって容赦なく上手い人なんかが表示される。
私の好きな絵は、押見修造さんだけだわ!!!!!
キレ気味にSNSは自分の興味があるものだけを表示する様にしている。そうでもしないと自分を守れないことは、高校時代に友人がキラキラした投稿をSNSでUPしているときに理解した。
SNSは難しい。私のように周りに毒されてしまうような人間は、一歩距離を置いて節度を守らなくてはならない。
あとがき
社会人になってから絵を描き始めて1年が経った。
「もっと学生のうちから描いていればよかった」「仕事が忙しくなったら絵をかけるか不安」
どうやっても取り戻せない過去に固執したり、ありもしない未来に怯える。社会人になってから絵を描くようになった人間ならではの悩みなのかもしれない。
現在、私が行なっている練習は模写ばかり。押見修造さんの絵が好きな私は『悪の華』や『麻理は僕の中』をずっと模写している。
いくら好きでも、ずっと描いていれば飽きる。つまらないと思う日もある。しかし、その先に何があるのかは気になる。一生をかけて大事に出来る物が絵なのか、それとも大きな挫折か。
答えはわからない。
多分私は、これから何度もペンを投げたくなるだろうし、紙を破きたくなる。「また同じミスをしている」と自分に絶望すると思う。
それでも今は描いていたい。たった1年の練習で恥ずかしい言葉をよくもこんなにつらつら書けたものだが、挑戦した先に何があるのかを私は知りたい。
おまけ
Twitterもやってます。記事にするには膨らまない日記と絵の練習を投稿してます。こちらもぜひーーーー
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