ニートが変な一歩を踏み出して見えた世界
noteにて「つながる旅行記」というシリーズを投稿開始して3ヶ月が経った。記事の数はとうとう50を越え、ありがたいことにこんな何ともいえない旅行記を毎回数十人が見に来てくれている。
この旅行記は自分がニート期間を経て貯金が尽き、色々あって、
日本中を巡る変な仕事に就いたことがきっかけで出来たものだ。
noteの最初の投稿が2018年なのに「つながる旅行記」を投稿し始めたのは3年後の2021年であるところを見るに、やる気や継続力に難がありそうな人間なのはお察しいただけると思う。
さらに言えば旅行を開始したのはもっと前の2015年。
もう熟成させすぎて、今のコロナ禍においては、「なんで写真の人たちマスクしてないんですか?」とツッコまれる可能性すら出てきた。
(そろそろ「外ではもうマスクなんて外すもんですよね!」と、一周回って問題ないことになりそうな気もしないでもないけど)
……というわけで、奇跡のように50回以上続いた「つながる旅行記」の始まりと、ニートから大きく変わっていった人生を語っていこうと思う。
(基本は暗い話です)
【働くのが面倒で】
学校を卒業した自分は2年ほど会社で働いたのち、ニートになっていた。
実家には帰らず、東京での一人暮らしを満喫していたのだ。
……いや、正確には一人暮らしを満喫なんて程遠い。
生活費を切り詰め、ろくに外にも出なかった。
ひたすらに動画とゲームの日々。
ニートというものは自由だと思う人も多いだろう。
実際自由ではある。お金があればの話だが。
正直なところニートになってもいいのは、
裕福な親が定期的に支援をしてくれる環境にある人間か、
既にFIREを達成して仕事からリタイアした人間だけである。
そうでないニートは、常に減っていく口座によって精神的ダメージを受けることになる。
次第に行動の頻度は減り、何だって出来るしどこにだって行ける状況なんてものはなくなって、部屋でお金を使わない手段で暇をつぶしはじめる。
自分の場合は速攻でそういう事態になった。
なにせ2年働いただけの蓄えだ。
そんなもの家賃や保険、税金であっという間に無くなっていった。
せめて実家だったらお金の減りも抑えられただろうが、別の精神的ダメージ(親の視線)や、お金が減らないことによる社会復帰の遅延が発生した可能性もある。
結果としてなにが良かったのか、そして悪かったのかはわからない。
【結局働くけど……】
お金が尽きそうになった結果、日雇いバイトに行くことになった。
意地でも実家に帰るつもりはなかった。
東京には様々な求人があるし、仕事には困らないのだ。
イベントの設営のバイトでは今まで会ったことのない様々な人たちに出会った。年齢層も幅広い。若い人もいれば50代くらいの人も居た。
パイプ椅子を運んで並べ、ステージを作る単純労働。
ライブ終了後にはその片付けをする。
呼ばれるときは「そこのバイトォ!!」だった。
ライブには一度も行ったことがない自分は、ライブの裏方の世界を知れたことに一定の楽しさも感じたが、それも一瞬だけ。
ライブを楽しんだ人達の残り香が漂う会場で、必死にパイプ椅子を片付けていてふと思った。
一切やりたいことも出来ずに日雇いバイトをしている自分は一体何をしているんだろうと。
年末の配送センターのバイトでは多くの外国人労働者を見た。
センター内では英語でも放送が行われ、彼らに指示を送っていた。
日本の物流の裏ではこんな事が行われていたのか。
世の中、自分の知らないことばかりだ。
荷物をひたすらレーンに流すだけの単純な仕事は、なまりきったニートの体には想像以上のダメージを与えた。すぐに腰の補助ベルトを購入したのは言うまでもない。
山のように積まれたアムウェイの商品によって、センター内に壁のようなものが出来上がっていた光景は一生忘れないだろう。
……そして、仕事に行かなくなった。
理由は様々だ。
自分の人生を俯瞰したときの絶望感や、孤独による視野の狭さもあったのだろう。もう日雇いバイトで貯めたお金も無くなりそうだった。
もはや人生が酷すぎて実家にも帰れない。
親に何を言われるか。
恥、恥、恥。
ああ、こんなはずではなかったのに。
……死ぬか?
それもいいのかもしれない。
……いや、よくはないか。
でも仕事なんて今の精神状態ではとてもじゃないが無理だ。
生活保護だってもってのほか。
親族にこの状態が知られるだなんて耐えられない。
じゃあもうどうしたらいいんだ……。
【職業訓練の存在を知る】
どうにかしてもう少しだけ生きる方法を探す。
まだインターネットは繋がるのだ。
そこで見つけたのは、職業訓練。
職につくための知識を学びつつ、月に10万円が貰えるというもの。
国は税金を取っていくだけの存在では無かったのだ。
頼ろう、国に。
生活保護は無理でも、職業訓練ならば親に知られることもない。
誰にも迷惑はかけないはずだ。(納税者がどう思ってるかはともかく)
ハローワークへ向かう。
申請はスムーズに進み、無事に職業訓練が受けられることが決まった。
家賃はどうしようもないにしても、食費を切り詰めれば10万でも生活は出来るだろう。
もう少しだけ、生きていられる。
人生が終わっているのは依然として変わりないが、
首の皮一枚繋がった状態にはなった。
この首がくっつかどうかは、自分次第だ。
【訓練校での出会い】
職業訓練が始まった。
教室に入ると、用意されていたのは一人一台のPC。
自分はPCを使用する職業訓練を選んだのだ。
なんだかんだでPCには中学生の頃から触れてきている。
とくにPCに苦手意識はない。
PCを使ったクリエイティブなことに関しては全く経験がないけど。
教室に訓練生が全員集まった。
年代は自分より年下もいれば、上は40代の人も居た。
それぞれの以前やっていた職業も様々だ。
デザイナー、設計、家具修理、主婦の人まで居た。
……あぁ、世の中には本当に色々な人が居るんだなと久々に思う。
その中に、バックパッカーで20代の大半を過ごしたという人が居た。
世界中を巡り、結婚したり離婚したりしながら、人生を満喫していた。
気さくな人で、人間的な魅力にも溢れている。
自分もこんな人になりたかったな……。
思えば、この人との出会いが確実に人生を変えたのだろう。
(ちなみにこの人は今では会社を立ち上げたのだが、それは別の話)
職業訓練では、Adobeのソフトウェアの使い方を学んだ。
難解なレベルではなくあくまで基礎的なことではあったが、おかげで今でも使えるスキルを得ることが出来たと言える。
講師の方も30代と若く、第一線でフリーランスとして働いている人で、その業界での最新の技術を惜しみなく教えてくれた。
(その業界には最終的に行かなかったわけだが)
教室に集まって何かを学ぶということの面白さ、そしてありがたさは、
大人になってからじゃないと実感できないのかもしれない。
本当に職業訓練校は、生きる力を蘇らせてくれた。
【就活開始】
そんなこんなで職業訓練は終わった。
就活が始まる。
もちろん今更大手企業に行けるわけもない。
就活サイトでめぼしい求人に応募し続けた。
その結果、ありがたいことに2社から内定を貰った。
1社は、そこそこの規模の都市で、決まった手順の労働をしていく感じ。
給料も20代ならこんなものだろうという額だった。
十分生活は可能になるだろう。
もう1社はというと、
明らかに給料も低く、
恐らく仕事も過酷で、
日本のあちこちで仕事をする可能性があり、
大半の人は選ばないであろう仕事だった。
しかし自分の気持ちは決まっていた。
当時読んでいた岡本太郎の本に「迷ったらキツい方を選べ」
という言葉があり、それが強く心に残っていた影響もあるが、
職業訓練で出会ったバックパッカーだった人の影響も大きかった。
あんな風にあちこちを巡る人間でありたい。
引きこもりなのに、そう思えるようになったのだ。
その他にも今までの自分の人生の中で知った、ありとあらゆる人やコンテンツの影響を受けて、自分はこの決断に至ったのだろう。
就職先は決まった。
変な一歩を踏み出した瞬間だった。
【そして稚内へ】
……で、稚内行きになったわけである。
まさかいきなり日本最北に行くことになるとは思わなかったが、一般的な人生を歩んでいない感じで、結果的に良かったのかもしれない。
実にレールを外れたぶっ飛び具合で逆に楽しくなってくる。
そしてつながる旅行記をご覧の方はご存知の通り、稚内から始まった旅行記は東北の各地を巡り、#52を投稿している今現在は、愛媛県に至った。
引きこもりで家からろくに出なかったニートが、
職業訓練を経て意識を変え、踏み出した結果がこれである。
思っていた通り、仕事は大変だし給料も安い。
しかしこうしてあちこちを訪れるきっかけをくれる仕事だったのは間違いない。(ぶっちゃけると本当に休みのために仕事をしてる感じだが)
現在ニートの人には、踏ん切りがつくと人生なんて想像もつかない方向に大きく変わることを伝えたい。(自分はお金が尽きてようやく踏ん切りがついたけど)
はっきり言って今の世の中は、PCやスマホがあれば一生使っても消費しきれない量の娯楽にアクセスできる。
別に旅行なんてしなくても暇はいくらでも潰せるし、自分は避けたけれど、生活保護を受ければ働かなくても最低限度の生活で生きてはいける。
しかし、ちょっと動けば知らない世界はすぐそこにあるのだ。
ニートよりも、仕事をしていたほうがそういう世界には触れやすい。
自分はそう実感している。
もちろんどの道を選ぶのかは個人の自由。
ニートを選び、娯楽の海に溺れるのも否定はしない。
それだってきっと楽しいのは事実だ。
お金が尽きるまでは。
でも踏み出した世界はきっと、辛いながらも面白いものが広がっている……
気がする。
【終わりに】
つながる旅行記は現在、2016年のことを書いている。
今後の自分がどう変化していくのか、そして何が「つながる」なのか。
……ちなみに「人とのつながり」は恐ろしい程に皆無である。
旅行は全てソロ。
感動的な別れとかも無い。出会いが無いから。
いや自分で言ってて悲しくなるな……。
ニート時代にニコニコ動画でニートジョン氏の旅行動画を見て、
「いっぱい人との出会いがあっていいなぁ……」
なんて考えていたのを思い出す。
そう、旅行したからといって出会いが必ずあるわけではないのだ。
自分で動かないと誰も近寄ってこないのである。
……そんな、人との出会いは希薄な「つながる旅行記」だが、よろしければ読んでいただければ嬉しい。
下記の一覧記事からは、都道府県別などでリンク先を分けてあるので、
気になる都道府県だけでもチラ見してもらえたら幸いだ。
もしかしたらもう既にあなたの街に訪れて、観光雑誌とは比べ物にならない何ともいえない旅行をしているかもしれない。
誰かがこの記事を見て変な一歩を踏み出し、
面白い人生になってくれたのなら、素晴らしいなと思う。
いや、全然「普通の一歩」でも問題ないし、
むしろその方が良い可能性は充分あるかもだが……?
まあとにかく、自分は今のところ変な一歩を踏み出したことに後悔はない。
あのとき、諦めずに生きておいて良かった。
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