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読んだ直後から変われるnote

この記事はザッと見積もると100億円くらいの価値があります。ですが、僕の文章力のなさで、うまく伝えられるかわからないので、プラマイ0なので、無料で公開してます。

ですが、多分これ読み終えた後、申し訳ないですが、あなたの人生観はガラッと変わります。多分ですよ?

僕はツイッターでフォロワーさん3.4万人のインフルエンサーをしています。

まずはフォローどうぞ→Twitter

最初に読んだ人の感想を掲載させてもらいます。載せて欲しい人はTwitterの固定ツイートに感想コメントよろしくお願いします。

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•Influencer侍ってなにもの?
•Influencer侍の過去
•自殺することしか考えてなかった俺が人生を大逆転した方法

さて、早速書いていきますね。

あ、ボクは2020年5月20日でTwitter1年記念日を迎えました。

しかもその1年記念日の日にフォロワーさんの数が3000人ぴったりになりました。

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これは狙ったわけでもなく、1年間毎日休まずにTwitterと向き合っていたら勝手にこんなキセキが起きました。 まあこれもキセキではなく、背景がきちんとありますので、読み進めてください。

申し遅れましたが、
まずはボクが“なにものか?”お話します。


ボクは現在30歳のパッと見「黒っ!」と言われる日焼けしてる短髪のごくごく普通の男です。

でも、こんな一面があります。

知らないおばあちゃんが雨の日に足を滑らせて転倒した時、誰よりも早くおばあちゃんに駆け寄って助けたり、休日に道端に落ちてるゴミを1,2時間拾い続ける変態的ボランティア精神をもっていたり、コンビニで買い物した時に、金ないのに募金箱にお金入れて『あぁ‥』と落ち込むアホです。

自称、一般の男性の平均よりちょい優しい男です。「世の中の為」になることが好きなようです。

ですが、
ボクの一番の特徴は、“超ポジティブ”なところです。

好きな言葉は「なんとかなる」「大丈夫」「楽勝♪」「余裕♪」です。

Twitterで「死ね」とか「消えろ」とか「ゴミクズ」とかいう類のダイレクトメッセージが毎日送られてきます。今、社会問題になっている誹謗中傷ってやつですね。ボクは死ぬほど誹謗中傷されています。

ですが僕は全く気になりません。
普通、攻撃されたたら嫌な気持ちになりますよね。
ですがボクの場合はこれを楽しんでいるのです。
どのように楽しんでいるのか?

腹黒いかもしれませんが、ボクは悪口や中傷をしてくるやつのことを、心の中で、死ぬほど見下しています。

「クソ暇人じゃん!」「かわいそうに」「当たる場所がないから俺にあたってんだな」

と心の中でめちゃくちゃ見下しています。

つまり何を言われても、ストレスがないんです。そもそもボクからしたら、匿名で悪口言うヤツなんて、恐れるに足らずってやつですね。

なんでそんなポジティブになれたかも超具体的に話しますので、このまま読み進めてください。

少しはボクのイメージ沸きましたか?

優しくてポジティブでさわやかなイケメン…(それは言ってない?)って非の打ちどころのないヤツだなぁ。なんて思いましたか?

では、今からそのいいイメージをぶち壊します

ボクは、26歳の時、本気で死のうとしました。

17階の建物の手すりに本気で足をかけたことがあります。
車のたくさん走ってる国道に飛び込もうとしたことがあります。どうだ、ビビりました?

毎日どうやったら死ねるかを考えてネットで“死ぬ方法”とか調べたりしていました。生きてる心地がしなかったです。頭の中がフワフワしていて、人の話も右から左にすぐ抜けてしまうくらい上の空でした。学校も仕事も行けない時代もありました。

19歳の時は対人恐怖症でまともに人と話せなかったし、家族以外のすべての人を着信拒否にしたこともありました。大学に行ってたのですが、誰にも会いたくないから非常階段で教室に行き、イヤホンとマスクと帽子をつけて、周りとの関係を一切遮断をしていました。

先生によっては、授業の終わりに出席確認を取る人もいました。その時に名前を呼ばれて、返事をしたら『あ、アイツだ!』と気付かれるのが嫌で、せっかく吐くくらい緊張して学校に来て授業を受けたのに、出席確認の時に返事ができなくて、欠席扱いになったことなんて、多々ありました。

大学は、途中でいけなくなって半年間休学をして、大学2年生の時に留年しました。

社会人になっても、うだつの上がらない毎日は続きました。

仕事に行かなければいけないのに、顔面が麻痺して表情が作れなくなりました。顔の筋肉が動かなくなった時は、『俺、終わった』と絶望しました。

胸の動機が激しくなって過呼吸で倒れたり、腹痛でトイレから動けなくなったり、頭では「これじゃダメ」だと思って頑張ろうとするのですが、身体が言うこときかなくなっていた、そんな時代もありました。

どうですか?なかなかダークでしょう。お腹いっぱいですか?まだギブアップさせませんよ

さらに、イメージをぶっ壊します!!

僕は23歳の時に借金約400万円を背負いました。

楽してお金を稼ぎたくてネットビジネスをしようとしたら詐欺にあいました。生活費がなくなり借金、遊ぶお金が欲しくて借金、クレジットカードでキャッシング癖がつき、借金はどんどん膨れ上がって400万円近くになったんです。

ついにお金を返せなくなって、怖い人からの電話が鳴る日々もありました。

当時お付き合いしていた彼女に『車事故った』とかウソついてお金借りたこともあるような、クズ人間でした。

ボクはそんな自分のことが大嫌いでした。
なにをやってもうまくいかないし、貧乏だし、ちょっとぽちゃっとしていてなんか見た目もパッとしなかったし(今は筋肉質でスマートで周りからはイケメンと言われます)

周りにも迷惑かけるし、もう生きてる価値がないと思ってました。

そしてボクは、26歳で『死』を決意しました。

まだまだ深く掘り下げていけばこのての話は語れますが、長くなるのでこの辺にしておきます。

おわかりいただけましたか?

26歳までのボクはこんな感じです。
相当暗い過去の持ち主でしょう。

さて、いよいよここからどう立ち直ったのか。
ここに視聴率が集まりますよね。


今から、ここからの視聴率の高い部分をお伝えしますので、今辛い思いをしてる人や、自分を変えたいと思ってる人は、参考までにどうぞ。



初めて働いた会社は1ヶ月でクビ

ボクは一年留年したので23歳の時に大学を卒業しました。初めての就職先は、子どもにサッカーを教える仕事でした。もともとサッカーが好きでずっとやっていたので、サッカーに関わりたかったというのが、入社した理由です。しかし待ち受けていたのは地獄でした。

-超ブラック企業に入社してしまった-

仕事は超ブラック企業でした。朝6時に起きて6時半に出社。下っ端なので事務所の掃除を早朝からさせられました。7時半には、小学校の門の前に立ち、登校してくる小学生にサッカースクールのビラ配り。

そして8時半からお昼までの時間はひたすらポスティング。知らない家のポストにひたすらサッカースクールのチラシを投函。

12時から3時半までは、ショッピングモールやスーパーなどで、小さい子どもがいそうなお母さんやお父さんたちに、『サッカースクール入りませんか?』と声かけ。営業活動ですね。

そして16時から、学校を終えた子どもたちにサッカーの指導。(昼メシ食えなかったりするので腹ペコで力でない。)

18時半にサッカースクールが終わり、19時までに事務所に帰らないと上司に罰金3000円支払ってました。ありえないでしょう。

そして19時から反省会をして19時半から21時まではひたすらTELフォロー。

※TELフォローとは、保護者の方にスクールでのお子さんの様子を伝えてあげたり、悩んでることを聞いてあげたりする仕事です。

この時にメチャクチャ嫌な事言われたりもします。『うちの子があなたのこと嫌いといってます。金返せ!』とか。モンスターペアレントがたくさんいるんです。

そして21時からは翌日の指導案の作成。
練習メニューを細かく作成します。
そして、どこで営業活動を行なって、何人スクールに勧誘できるのか具体的な目標を設定します。クリアできないと正座して説教させられました。

そして、深夜の0時に仕事が終わります。
遅いと深夜1時半です。

この1日も地獄でした。ですが、ここから寝る時間までがまた地獄の時間でした。

ボクは先輩たち5人とシェアハウスに住んでました。
ボクは一番下っ端なので、なにをするのも最後。先輩たちの洗濯が全部終わってから、自分の洗濯をまわし、風呂も先輩たちが入った後に入ります。

全部終わると3時半になることもありました。また朝6時に起きなければいけなくて、寝不足&メンタルボロボロの本当に辛い毎日でした。

ボクはこの理不尽なことをさせる上司に不信感を抱くようになり、ある日、上司と衝突しました。

『もう○○さんの下で仕事したくありません』


と言ってしまいました。
ボクの心の糸がプツンと切れました。

すると上司からこう言われました。


『俺もお前と仕事したくないから消えろ』


そうです。
ボクはこのブラック会社をクビにさせられました。

『終わった‥』と2つの意味で思いました。

仕事なくなった。
この会社とはさよならだ。

この2つの意味でした。


23歳で無職になった
働くことが怖くなったボクがとった行動

無職になってからのボクは「やばい…」という焦りから、毎日ハローワークに通いました。

給料が高い
好きな事を仕事にしたい
土日休み

そんな条件のいい仕事なんて選んでられませんでした。

とにかく空きのある求人に応募しまくって面接を受けに行ったんです。

すると、障がい者施設での障がい者の就労支援の仕事の面接に合格をして、ボクは、福祉施設の職員として働き始めたのです。クビになって2週間での転職成功でした。

そこの施設の職員は、すごく優しくて、穏やかで、気さくな人たちばかりだと思っていました。

しかしそう思っていられたのも最初の2か月でした。

理事長がボクに対してパワハラをしていたんです。

施設内で理事長とすれ違う時に「お疲れ様です」と言うと「疲れてねえよ!うるせえな!」と理不尽に怒鳴られました。

ある日の飲み会の席で、理事長が「お前23歳だよな?若いし結婚してないんだろう?うちの娘がお前とお見合いしたいって言ってるんだけど今度俺んち来いよ」と言われました。

「すいません。それはできません」と断ると、その日からボクへのパワハラがどんどんエスカレートしました。

月1の職員面談では

「給料泥棒が!」
「お前なんか合格させなければよかった」

とか散々な事を言われました。

でも、僕はなんとか2年半頑張って耐えて働きました。

しかしメンタルに限界がきて、2度目の退職を決意しました。

2度目の退職で働く意欲ゼロ-

さあここからボクは「働くこと」に臆病になってしまいました。

ボクは就職活動をせず、実家で暮らして、親のすねをかじって過ごしていました。
もちろん親には『就職活動しなさい』『これからどうするの?』と散々言われました。家に居場所はありませんでした。

でもボクは働きたくないから、ネットで「楽して稼ぐ方法」と調べたりしていました。

「働かずに月100万円稼げます」
「不労所得で月50万円!」

なんて甘い言葉にまんまとひっかかり、ボクはその稼ぎ方を教えてもらうために、知らない人に30万円を払って、その稼ぐ方法を教えてもらいました。

内容は、詐欺まがいな手口。でもボクは30万円も払ってしまったので引くに引けない状況でした。ですが、ボクは自分のしていることが怖くて、この詐欺まがいの人たちから距離をおくことにしました。

無職で借金30万円だけが残りました。

この30万円を返済しようとして、またネットで「30万円稼ぐ方法」とか「短時間で稼ぐ方法」とかそんなワードを検索しまくっていました。

そしてまた多額のお金を借金して、コンサル費用や教材費用を買い、いつの日にか借金が200万円ほどに膨れ上がってしまいました。

無職で借金200万円。しかも払えないからまた借りて…を繰り返していました。すると、なんと借金が400万円近くになってしまいました。

ボクは絶望しました。実家に届く、督促状のハガキや、借り入れ先から鳴る電話が怖くて、うつ気味になってしまいました。
怖い人からの電話もたくさんありました。

立ち直る為に再び行動
したものの…

これじゃいけないと思い、派遣会社に登録して、3か月間、車関係の仕事につきました。中古の車をピカピカにする仕事です。

職人気質のおじさんたちの中で、23歳のうだつの上がらない若造が馴染めるわけがありませんでした。「バカ!」とか「なにやってんだよ!」といつも怒鳴られて働いていました。

派遣の契約が切れると、ボクは借金返済の為に、住宅の外壁塗装の飛び込み営業の仕事をしました。

1件契約がとれたら30万くらいもらえるという高給なところに惹かれて就職しました。

朝から晩まで1日200軒以上のお宅をピンポンして必死に働きました。

ですが、半年ほどで、続かなくて退職。
その後も、派遣会社で運送業で働いたり、コンビニのたな卸しをしたり、学校関係で臨時の職員として働きました。

でもどれもダメだったんです。


ボクの思い描く理想の人生とは程遠い現実に、絶望を繰り返しました。


朝起きれば、うつ気味で、腹痛がするし、吐き気がするし、顔面が麻痺するし、過呼吸で倒れるし、どん底にいて、誰かに手を差し伸べる力すらありませんでした。

ボクはつくづく思ったんです。

「自分はダメ人間だな…」って。

社会に適合できないし、何やっても続かない。同い年の友だちは、会社を辞めずにずっと同じところで頑張っている。

他人と比べるととにかく落ち込みました。

みんなは幸せに生きてる。。。

ボクは無職の借金400万円。
(奨学金合わせたら800万円)
社会に適合できないし、周りからの信用もゼロ。身体もいうこときかないし、動けないし、なんとなく見た目も悪いし、生きてる価値なんてないと思いました。

そしてボクは、ついに



死を決意しました。


17階の建物から飛び降りよう 。

ボクは“死ぬこと”で頭がいっぱいでした。

17階のマンションの手すりに何度も足をかけた。でも、いざ死のうとすると、足がガクガク震えた。

“死のう”と決意したのに死ねない自分が情けなかった。

生きる事も死ぬ事もなんにもできないじゃないか。

つくづく自分が嫌になった。

大型トラックがたくさん走る、国道に行き、飛び込んでやろうと思ったけど、それもできなかった。

いざ死ぬぞって思うと、経っていられないくらい膝がガクガクするんです。

ボクはその時に思ったんです。

「俺、死ぬことが怖いってことはまだ生きたいって気持ちがあるのかな?」って。

でも、現状を思い出してみても、生きていても何にも良いことなんてないし、むしろ辛いことしかないし、先のこと考えても真っ暗だし、間違っても「生きたい」なんて思ってないはず。と自分に言い聞かせた。

でも、何度も何度も死のうとしてその度に、びびって死ねない自分が確かにいたんです。

もう、生きる事も死ぬ事も怖いし、何もできなくなったことを悟ったその時、

子どものように声を出して泣きました。
泣き叫びました。(26歳の大の大人が)

ボクは冷静な気持ちを取り戻したのかはあまり覚えてないけど、何かを変えようと自己分析を始めました。

今、悩んでいること、心がモヤモヤしていること、すべて紙に書きだしてみたんです。

**・借金がある
・仕事が続かない
・親の目がきになる
・家にいても肩身が狭い
・秘密がばれるのが怖い
・デブ
・コミュ障
・友だちがうらやましい **

本当に事細かく書き出しました。

そして、そのモヤモヤひとつひとつの解決策を紙に書きだしました。

・借金がある⇒働く
・家に居場所がない⇒独り暮らしする
・友だちがうらやましい⇒友だちと距離を取る

口ではいくらでも言えるけど、とりあえずバカなりに解決策を書き出した。

これができないから悩んでいるんだ。と思ったけど、紙に自分の悩みと解決策を書き出して整理するだけでも、少し頭と心がスッキリしたんです。

さらに、ボクは自己分析を続けました。

自分の口癖も書き出しました。

「死にたい」「消えたい」「無理」「は?」「うざい」

ネガティブな口癖ばかりでさらに自分が嫌いになりかけましたが、ダメなとこともカッコわるいところも、恥ずかしいことも、隠さず自分だけのノートに書きだしました。

もうね、なんともブラックなノートができあがりました。

絶対に他人には見せられないノートです。
多分ドン引きします。

そんな自己分析をする日々が続いていた頃、なんの気もなく「お笑い見に行きたい」と思って、新宿のルミネにひとりでお笑いライブを見に行きました。多分、最近笑っていない自分が笑いを欲したんだと思います。

ルミネに行くと、大勢のお客さんがいて、芸人さんがステージに出てくると、そのお客さんがワーワー沸き上がりました。


**僕はこのお笑いライブで、あることに気付きました。 **


「芸人さんは自分のコンプレックスやトラウマや恥ずかしい事や失敗した事をネタにしてお客さんを笑わしている」

「いや~借金2千万ありまして~」
「ATMで金おろしてくるわ~」
「いやそれATMちゃうわ!アコムやろ!」
「この通り、身長が高くてすらっとしてて」
「いや、どこがやねん!このデブが!」

なんか、ボクの自己分析ノートに書いてあるような、絶対に人に見せたくない、ダサい姿やカッコ悪い過去や悩み事とかトラウマとか、そういうことを、堂々と明るく人前でさらけ出して笑いに変えている姿にビビっときたんです。


「ひょっとしたらボクの失敗や悩み事は誰かに笑い話として話したら笑ってくれるのかな?もしかしたらボクの経験は、誰かが必要としてくれているのかな?」

ボクは、当時27歳になる年でしたが、ブログを書き始めました。


ブログの内容は、ボクがここまでこのnoteに記してきた経験を、おもしろおかしく笑いに変えて書いていました。

3か月間だけですが、毎日、ボクの辛い経験を小出しにしてブログを書いていました。

「転職しまくったクズ人間」
「彼女にウソついて金借りた詐欺師です」
「借金400万円になりました(笑)」
「自殺しようとしたら足が震えたチキンです!」

こんなことを面白おかしく書いていたら、たくさんの読者さんがつきました。だんだん楽しくなってきて、いつの間にか、ブログで〇〇万円稼げるようになりました。自分のネガティブな部分をネタにして人に話すことで心が格段に楽になったんです。

いつのまにか、「安定していることが辛い」とまで考えるようになってしまうほどの、「お笑い芸人気質」になっていたんです。

だから順調だったブログも続けていれば借金返済ができたかもしれないけど、3か月で閉鎖しました。

ボクはあえてブログを閉鎖したんです。
順調がつまんないから。

さあ、もうボクが今のボクになった経緯がわかりましたよね?変態的ポジティブな男に変貌した経緯がこれでした。


ボクがInfluencer侍になったのは、この時です。

**「フォロワー10万人のインフルエンサーになる」 **

この夢をかかげて、Twitterアカウントを開設。


正直、誰もが無理だと思っていると思います。
ボクだって120%の自信はありません。

でも、手の届かないくらいの果てしない目標があって、そこに向かっている自分が好きなんです。それがいいんです。たまらんのです。
ドMです。

なんでもかんでも上手くいって安定している人のところには人は集まりません。視聴率も集まりません。
何かに悩んだり苦しんだりしている人が、「さあアイツここからどう立ち上がるのか?」というところに視聴率は集まります。

ボクは、Twitterで“Influencer侍”という名前で活動していますが、Twitter1年記念日にフォロワーさん3000人ぴったりになるというキセキも起こしています。ですがちゃんと戦略を立ててTwitterに向き合っています。 ガチでフォロワー10万人のインフルエンサーを目指してます。ボクの言葉で少しは、嫌な世の中が良い方向に変わったり、辛い想いをしている人や居場所のない人や死にたいと思っている人に元気を届けたくて、毎日140文字ギリギリのツイートをし続けています。毎日休まずにしています。

さて、Influencer侍の誕生についてのお話にもなってしまいましたが、これまで長い文章を読んでくださいまして、ありがとうございました。

読んでくださった方々には感謝の気持ちでいっぱいです。

これからも、Twitterの方で、みなさんを沸かしていきたいと思いますので、よろしくお願いします。


そんなボクのTwitterはコチラ
Influencer侍


是非、このnoteを読んだ感想など、リツイートしていただけれ、嬉しいです。


最後に一言言わせてください。











大丈夫!

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