見出し画像

読んだ直後から変われるnote

多分これ読み終えた後、申し訳ないですが、あなたの人生観はガラッと変わります。

僕はツイッターでフォロワーさん3.1万人の自己啓発系のインフルエンサーをしています。

まずはフォローどうぞ→Twitter(X)

最初に読んだ人の感想を掲載させてもらいます。

画像1
画像2
画像3
画像4
画像5
画像6
画像7
画像8
画像9

•Influencer侍ってなにもの?
•Influencer侍の過去
•自殺することしか考えてなかった俺が人生を大逆転した方法

さて、早速書いていきますね。

あ、ボクは2020年5月20日でX1年記念日を迎えました。  

しかもその1年記念日の日にフォロワーさんの数が3000人ぴったりになりました。  

画像10

これは狙ったわけでもなく、1年間毎日休まずにXと向き合っていたら勝手にこんなキセキが起きました。  まあこれもキセキではなく、背景がきちんとありますので、読み進めてください。  

申し遅れましたが、
まずはボクが“なにものか?”お話します。


ボクは現在30歳のパッと見「黒っ!」と言われる日焼けしてる短髪のごくごく普通の男です。  

でも、こんな一面があります。

知らないおばあちゃんが雨の日に足を滑らせて転倒した時、誰よりも早くおばあちゃんに駆け寄って助けたり、休日に道端に落ちてるゴミを1,2時間拾い続ける変態的ボランティア精神をもっていたり、コンビニで買い物した時に、金ないのに募金箱にお金入れて『あぁ‥』と落ち込むアホです。

自称、一般の男性の平均よりちょい優しい男です。「世の中の為」になることが好きなようです。  

ですが、
ボクの一番の特徴は、“超ポジティブ”なところです。  

好きな言葉は「なんとかなる」「大丈夫」「楽勝♪」「余裕♪」です。

Xで「死ね」とか「消えろ」とか「ゴミクズ」とかいう類のダイレクトメッセージが毎日送られてきます。今、社会問題になっている誹謗中傷ってやつですね。ボクは死ぬほど誹謗中傷されています。  

ですが僕は全く気になりません。
普通、攻撃されたたら嫌な気持ちになりますよね。
ですがボクの場合はこれを楽しんでいるのです。
どのように楽しんでいるのか?  

腹黒いかもしれませんが、ボクは悪口や中傷をしてくるやつのことを、心の中で、死ぬほど見下しています。  

「クソ暇人じゃん!」「かわいそうに」「当たる場所がないから俺にあたってんだな」  

と心の中でめちゃくちゃ見下しています。  

つまり何を言われても、ストレスがないんです。そもそもボクからしたら、匿名で悪口言うヤツなんて、恐れるに足らずってやつですね。  

なんでそんなポジティブになれたかも超具体的に話しますので、このまま読み進めてください。  

少しはボクのイメージ沸きましたか?    

優しくてポジティブでさわやかなイケメン…(それは言ってない?)って非の打ちどころのないヤツだなぁ。なんて思いましたか?    

では、今からそのいいイメージをぶち壊します!  

ボクは、26歳の時、本気で死のうとしました。  

17階の建物の手すりに本気で足をかけたことがあります。
車のたくさん走ってる国道に飛び込もうとしたことがあります。どうだ、ビビりました?

毎日どうやったら死ねるかを考えてネットで“死ぬ方法”とか調べたりしていました。生きてる心地がしなかったです。頭の中がフワフワしていて、人の話も右から左にすぐ抜けてしまうくらい上の空でした。学校も仕事も行けない時代もありました。  

19歳の時は対人恐怖症でまともに人と話せなかったし、家族以外のすべての人を着信拒否にしたこともありました。大学に行ってたのですが、誰にも会いたくないから非常階段で教室に行き、イヤホンとマスクと帽子をつけて、周りとの関係を一切遮断をしていました。

先生によっては、授業の終わりに出席確認を取る人もいました。その時に名前を呼ばれて、返事をしたら『あ、アイツだ!』と気付かれるのが嫌で、せっかく吐くくらい緊張して学校に来て授業を受けたのに、出席確認の時に返事ができなくて、欠席扱いになったことなんて、多々ありました。  

大学は、途中でいけなくなって半年間休学をして、大学2年生の時に留年しました。

社会人になっても、うだつの上がらない毎日は続きました。

仕事に行かなければいけないのに、顔面が麻痺して表情が作れなくなりました。顔の筋肉が動かなくなった時は、『俺、終わった』と絶望しました。

胸の動機が激しくなって過呼吸で倒れたり、腹痛でトイレから動けなくなったり、頭では「これじゃダメ」だと思って頑張ろうとするのですが、身体が言うこときかなくなっていた、そんな時代もありました。    

どうですか?なかなかダークでしょう。お腹いっぱいですか?まだギブアップさせませんよ  

さらに、イメージをぶっ壊します!!  

僕は23歳の時に借金約400万円を背負いました。  

楽してお金を稼ぎたくてネットビジネスをしようとしたら詐欺にあいました。生活費がなくなり借金、遊ぶお金が欲しくて借金、クレジットカードでキャッシング癖がつき、借金はどんどん膨れ上がって400万円近くになったんです。

ついにお金を返せなくなって、怖い人からの電話が鳴る日々もありました。

当時お付き合いしていた彼女に『車事故った』とかウソついてお金借りたこともあるような、クズ人間でした。  

ボクはそんな自分のことが大嫌いでした。
なにをやってもうまくいかないし、貧乏だし、ちょっとぽちゃっとしていてなんか見た目もパッとしなかったし(今は筋肉質でスマートで周りからはイケメンと言われます)

周りにも迷惑かけるし、もう生きてる価値がないと思ってました。

そしてボクは、26歳で『死』を決意しました。

まだまだ深く掘り下げていけばこのての話は語れますが、長くなるのでこの辺にしておきます。

おわかりいただけましたか?

26歳までのボクはこんな感じです。  
相当暗い過去の持ち主でしょう。

さて、いよいよここからどう立ち直ったのか。
ここに視聴率が集まりますよね。


今から、ここからの視聴率の高い部分をお伝えしますので、今辛い思いをしてる人や、自分を変えたいと思ってる人は、参考までにどうぞ。



初めて働いた会社は1ヶ月でクビ

ボクは一年留年したので23歳の時に大学を卒業しました。初めての就職先は、子どもにサッカーを教える仕事でした。もともとサッカーが好きでずっとやっていたので、サッカーに関わりたかったというのが、入社した理由です。しかし待ち受けていたのは地獄でした。

-超ブラック企業に入社してしまった-

仕事は超ブラック企業でした。朝6時に起きて6時半に出社。下っ端なので事務所の掃除を早朝からさせられました。7時半には、小学校の門の前に立ち、登校してくる小学生にサッカースクールのビラ配り。

そして8時半からお昼までの時間はひたすらポスティング。知らない家のポストにひたすらサッカースクールのチラシを投函。

12時から3時半までは、ショッピングモールやスーパーなどで、小さい子どもがいそうなお母さんやお父さんたちに、『サッカースクール入りませんか?』と声かけ。営業活動ですね。

そして16時から、学校を終えた子どもたちにサッカーの指導。(昼メシ食えなかったりするので腹ペコで力でない。)

18時半にサッカースクールが終わり、19時までに事務所に帰らないと上司に罰金3000円支払ってました。ありえないでしょう。

そして19時から反省会をして19時半から21時まではひたすらTELフォロー。

※TELフォローとは、保護者の方にスクールでのお子さんの様子を伝えてあげたり、悩んでることを聞いてあげたりする仕事です。

この時にメチャクチャ嫌な事言われたりもします。『うちの子があなたのこと嫌いといってます。金返せ!』とか。モンスターペアレントがたくさんいるんです。

そして21時からは翌日の指導案の作成。
練習メニューを細かく作成します。
そして、どこで営業活動を行なって、何人スクールに勧誘できるのか具体的な目標を設定します。クリアできないと正座して説教させられました。

そして、深夜の0時に仕事が終わります。
遅いと深夜1時半です。

この1日も地獄でした。ですが、ここから寝る時間までがまた地獄の時間でした。

ボクは先輩たち5人とシェアハウスに住んでました。
ボクは一番下っ端なので、なにをするのも最後。先輩たちの洗濯が全部終わってから、自分の洗濯をまわし、風呂も先輩たちが入った後に入ります。

全部終わると3時半になることもありました。また朝6時に起きなければいけなくて、寝不足&メンタルボロボロの本当に辛い毎日でした。

ボクはこの理不尽なことをさせる上司に不信感を抱くようになり、ある日、上司と衝突しました。  

『もう○○さんの下で仕事したくありません』


と言ってしまいました。
ボクの心の糸がプツンと切れました。

すると上司からこう言われました。


『俺もお前と仕事したくないから消えろ』


そうです。
ボクはこのブラック会社をクビにさせられました。

『終わった‥』と2つの意味で思いました。

仕事なくなった。
この会社とはさよならだ。

この2つの意味でした。


23歳で無職になった
働くことが怖くなったボクがとった行動

ここから先は

4,828字

¥ 1,200

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?