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「妊娠していますね」に喜べなかった日

「妊娠していますね」と産婦人科の先生に言われたとき、私はポカンとした。これが正真正銘のポカンだなというポカンだった。

「実感がない」という言葉の意味を人生で一番実感したのが、この日だったと思う。

子どもが欲しいと思っていたはずなのに、いざ妊娠しているとなったら、私の思っていた「子どもが欲しい」と「妊娠」は全くイコールで結ばれなかった。

「妊娠」に背中を押されながら、それでも足を前に出さないよう、じりじりと抵抗している自分がいた。

検診は、赤ちゃんの様子を確認して「じゃあ次は◯週間後にきてください。」の繰り返し。それは私が思い描いていた、エコーを見ながら「あ、赤ちゃんだ...(はあと)」みたいなのとは対極にある、ただの生存確認だった。

妊娠ってなんかもっとこう、ふわふわした、あたたかくてあまくてやさしいイメージだったのに。

次の検診まで無事に生きているだろうか?という不安と、お腹が自分の意思と関係なく膨らんでいく不気味さ。「自分のからだが乗っ取られる」というような感覚になることもあった。

嬉しくないわけではない。ただ、お腹の中に自分以外の何かがいるという違和感はいつまでも拭うことができなかった。そして、自分の行動一つ一つが、このお腹の中の生命維持に関わっているのだというプレッシャーを感じながらの生活は、私を疲弊させた。

夫に「もう6ヶ月だね〜」と言われても、「まだ6ヶ月か」(あと4ヶ月もこの状態が続くのか)と思っていた。

7ヶ月を過ぎた頃からお腹はみるみるうちに大きくなり、足は恐竜のようにパンパンに腫れ、ついには手持ちの靴(スニーカーまで)が全部入らなくなってしまう。

妊娠後期になると、夜中に何度も目が覚め、体のあちこちに謎のイボが出現し、左手が腱鞘炎になった。(全部妊娠中のマイナートラブルらしい。当時は「本当か?」と思っていたが、出産したら全部すーっと治った。妊娠って不思議だ。)

臨月には妊娠糖尿病になり、ラスト1ヶ月を一日5回の管理食で過ごした。そしてようやく迎えた出産当日。

無痛分娩だから余裕だろうとたかをくくっていたのだが、病院に着くと「子宮口が3センチになるまで麻酔は打てません。」と告げられる。

初産ということもあり、陣痛は7分間隔を切っているのに、全く開かない私の子宮口。

助産師に言われるがまま廊下を10往復したり、陣痛に悶えながらお風呂に入ったり、木馬のようなものに揺られたりしながら子宮口を開かせようと試みた。今となっては、痛みと疲労で虚ろな表情をしながら木馬に揺られるわたしの姿はなかなかシュールだったと思う。

結局3センチに到達したときには(厳密には2センチちょっとでギブアップして麻酔をお願いした)病院に着いてから12時間以上が経過していた。

麻酔を入れた後は本当に全く痛くなくて感動したのだが、それまでがあまりにも長かったので今だに若干トラウマになっている。(出産記を書こうとスマホでとっていたメモが「腰 轢かれた」で止まっていたことがその壮絶さを物語る。ちなみに、そこからしばらく空白があり、次のメモは「麻酔、神」だった。)

結局トータル28時間半かかって1人の女の子を世に生み出したわけだが、やはり生まれてきても実感なんてのはすぐには芽生えなくて、そんなものを感じる間もなく、ただもう、そこにいる我が子を泣き止ませることで精一杯だった。

悲しいのか、苦しいのか、寂しいのか、はたまた怒っているのか。いや、お腹が空いている、眠い、暑い、寒い、でも泣くのだから、もう彼女が何を求めているのかなんて誰にも分からない。眠いなら寝てくれよと思わず声に出したことも一度や二度ではなかった。

一日10回授乳していた産後1ヶ月、未だにどう生きていたんだろうと思う。

小さな赤ちゃんと過ごす毎日は、暗くて、寒くて、ボサボサで、ガサガサで、一日中パジャマで、鏡で自分の姿を見る度に「ああ…」となっていたのも本音だ。それでも休みなく繰り返される、単調でモノクロな日々。

これだけ読むと、子どもを産むってやっぱりしんどいんだあ...と思われてしまいそうだが、でも子どもと一緒にいると、そんなモノクロの日々が、パッと一瞬にして色づくような出来事も、たくさん訪れた。

私のおっぱいを吸いながら、幸せそうにこちらを見上げる娘と目が合ったこと。

首をぐーっとひねって寝返りを試みる娘に、応援団のごとく「がんばれー!いけー!」と声援を送り、あと少しのところでごろんと元に戻ってしまった時は「ああー惜しいーーー」と本気で悔しがったこと。

はらぺこあおむしの本を読んでいたら、ラストの蝶が出てくるページで突然「ちょうちょ」としゃべり、狂喜乱舞したこと。

それらは、これまでの人生では体感したことのない類の喜びだった。

娘はもうすぐ2歳になる。あの日、産婦人科でうまく笑えなかった私は、この2年間でどれだけ彼女に笑顔を向けただろう。

妊娠がわかったときにひどく戸惑ったのは、子どもが生まれたら、今まで歩いてきた「私」という道ではなく「母」という別の道に踏み出さなければいけないと思っていたからなのかもしれない。

でも産んでみたら、それは少し違った。

子どもを産んだら、私の道の隣にもう一本、娘の道ができ、それに並走する日々が始まるのだ。

初めのうちは、どうしても手を繋いで進む必要があるだろう。歩幅を合わせ、転んだら起こし、時には疲れて座り込む彼女と一緒に休憩することもあるかもしれない。

でも、私という1人の人間として、子どもがいるいないに関わらず、やりたいことはこれからだってできるし、子どもを理由に何かを諦める必要もない。

なぜなら、私が進んでいるのはあくまでも私の道だからだ。

ここまで一度も登場しなかったのでシングルマザーだと思われていないか心配だが、並走しているのはもちろん夫も一緒。

だから、3人で手を繋いで進む日もあれば「今日は頼むわ!」と夫に任せて、私はちょっと寄り道したり、はたまたダッシュしたりするときだってある。

もちろん、一人きりで歩いていた時に比べたら、ペースは乱れるかもしれない。それでも、これまで自分の見ていた景色に、娘から見える景色が加わったことは、私の人生をより楽しくした。

じりじりと後ずさりしていた私が、押されて踏み出した一歩。それによって私の世界は、変わったのではなく、広がったのだった。

最近乗り物にはまっている娘は、先日車で出かけたとき、信号待ちで突然「アコカー!(パトカー)」と叫んだ。

え?パトカー?どこに?見回したがどこにもいない。しかし信号が青に変わり車が前進すると、トラックの影からパトカーが現れた。

「あ、本当だ!パトカーだね。」と言うと、娘は満足げにもう一度「アコカー」と言って窓の外を指差した。

その後も「ばしゅ!」「きゅきゅしゃ!」「でんしゃ!」「おいしゅしゅしゃ(ゴミ収集車)!)」と、知っている乗り物を見つけては指をさして教えてくれる。

車窓から乗り物に注目したことがなかった私は、意外といろんな車とすれ違っているんだなと思ったりする。

娘が突然パッと繋いでいた手を離してしゃがんだと思ったら、そこにはアリの行列がいた。水たまりを見て「きれね〜(きれいね)」と言う娘につられて覗き込むと青空が映っていて、それは確かに綺麗だった。

これからもそんな風に、娘から見える景色を一緒に見るのが楽しみだ。

でもいつか、彼女の道を並走することはなくなるだろう。彼女も自分の道を、1人で踏み出していくはずだ。

その時は、彼女の一歩を全力で応援したい。初めて寝返りを打とうとする君に声援を送った、あの日のように。


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