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ぼくの疑問−"ペット"に自由はないのか。


きっかけはとあるSNSでの投稿。


「飼っているペットが居なくなりました。(ペットの写真)何か知っている方がいたら、お知らせください。早く戻ってきてほしい」(拡散希望)

投稿された方は飼っているペットを想って書いたのだろう。

多くの人間たちはその投稿者に共感し、拡散する。

しかし、ぼくは違和を感じた

"人間に飼われている生き物は人間の元に戻らなくてはいけない"

そんな"義務感のようなもの"を当たり前にかざしてくるのが人間なのかもしれないと。

人間からしたら、その生きものは「迷子」で「可哀想」

それに疑問を抱くべきではないか、とぼくは思う。


そして、次のことも想像するべきだと、

「その生きものは何かしらの理由で私たちから逃げたのかもしれない」

"それはあなたが悪いというよりも、本人の意思表示かもしれない"

前置きが長くなりましたが、決して動物と人間が暮らすことを否定したいわけじゃないです。

人間に飼われている動物が人間に飼われていることを幸せとする前提は捨てるべきだというぼくの考えを書きました。

彼らにはぼくたちと同じ意思があります。その想いを忘れないでほしい


共に暮らしている生きもの想いもきちんと考えてほしいなと願いをもって書きました。

それでは、宜しくお願い致します。

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ぼくはねこ。

ねこは人間が飼っている。

そんな風に思っている人間はたぶん多い。

ぼくを飼っている人間もそう思ってるのかもしれない。

ぼくは飼われているのか。

ぼくは飼われている。

もちろん、人間と生活を共にしている。

そこには、補わなくちゃといけない言葉がある。

人間でいうところの、"好きで"

ぼくたちは"好きで人間に飼われているのか"

ぼくたちは「自分の意思で人間に飼われたいのか」

そう聞くべきだろう。

なんせ、ぼくたちは生まれながらに親と別れ、人間と暮らしている。


ぼくの生まれた場所は人間が人間のために、

ぼくたちを飼う人間が行列に並ぶ、場所

"ペットショップ"と人間は言うらしい

ペットとは何か知らないが、ぼくたちのことらしい

人間の癒しなる存在がぼくたち、ペットなのだろうか

たまにぼくは人間から離れたくなって、そっと夜中旅に出る

うち住みの猫も人間といつも一緒は大変なのだ

うち住みの猫には首輪はあれど、行動の自由はあったりする

人間に触れられたい時もあるから、

そこはありがたい。

だけど、

たまにうち住みのペットが逃亡しているところを見かける。

彼らに話を聞くと、こんな様子だった

「人間に飼われて、ぼくたちは自由を知らない」

ぼくにはそう聞こえた

彼らはたぶん人間がどんな生きものなのかを知ってしまったのだろう。

「人間は行動範囲を他の生きものから縛られない」

ぼくたちは同じ動物であれど、生まれたそのときから行動範囲は決まっている

ぼくのようにらペットショップ育ちのやつら

そと住み猫の母親をもつやつら

人間との生活を送っていたが、愛想をつかしてそと住みになったやつら

人間とぼくたちは運命共同体なのかもしれない。

生きることの中に自由はない

そんな風に思えてくる。

こんな話をすると、人間が嫌いな奴と思われそうだがそれは違う。

ぼくは人間によって

人間と共にすることで誰かが苦しい想いを抱く生きものがいることぉ

それはあなたと生活している生きものかもしれないことを

不自由さを感じているかもしれないことを

ただ知ってほしいだけ

ただ言いたかっただけだ

別に人間を否定したいわけじゃない

"人間とぼくたちは言葉で意思疎通を図れない"

だから、

動物は行動で自分の意思をしめすときがある

"人間との生活から逃げる" 

つまり、家出だ。

家出した彼らを待つのは、

「一方的な片思いで再開を願う人間かもしれない」


人間は自分たちのことしか考えないので、ぼくたちがどんな想いでどんな風に家出をしたのか考えたりもしないのだろう

ぼくたちは気づいてほしい

あなたたちは人間で

ぼくたちも同じ動物だということを

ぼくたちにもあなたたちにも

同じように"意思"があることを

本当に人間と暮らすことを幸せだと感じない動物は限りなく、少ないかもしれない

snsでよくみる、ペットの行方不明

彼らは本当に人間の元へ戻りたいのだろうか。

戻れないのではなく、戻りたくない

それが私たち人間へのメッセージかもしれない

「もう自由にさせてほしい」

そういう行動かもしれないことを

他の生き物に対して、意思がある生き物であることを

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最後まで読んで頂いて、ありがとうございました。

ぼくは人間と生きる動物が動物虐待や多頭崩壊、人間が飼うことで起きている問題の背景には上記で申し上げたような人間の生きものに対する前提が関係するのではないかと思っています。

人間に飼われる、人間に飼われたら、人間の元へ帰るべきだという前提意識

それは本当にそうなのか。

ぼくたちは考えて、接するべきはないかと思います。

人間と住む彼らの自由は人間に依存してしまいます。

だからこそ、人間はその生きものの自由と幸せを推し量る義務がある。


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