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2019年2月の記事一覧

「心に寄り添う」とは何か? 病気は暴力的に分人を減らす

「心に寄り添う」とは何か? 病気は暴力的に分人を減らす

先日、友人の鈴木美穂さんに誘われて、「CancerX Summit 2019」というシンポジウムに参加した。

鈴木さんは、ガンのサバイバーだ。

僕の祖父も30代でガンになり、数十年闘病しながら生活をしていた。高校時代の友人もガンで早逝し、そのことがきっかけとなり、僕は人生について考え直し、起業した。でも、その程度の縁しかガンにはない。医療マンガの担当編集だったこともない。

なぜ、僕が誘われた

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雨の中でダンスを踊れ。

雨の中でダンスを踊れ。

昔、私の家には、みつはしちかこさんの漫画本「小さな恋の物語」が何冊かあった。私の姉が好きだったのだ。それで私が小中学生のころだったか、暇なときにパラパラと何度となく読んでいたのだった。

もともと私はそのイラスト(見れば誰もが知ってると思う。チッチとサリーが有名かな。)が好きだったので、夢中になるほどではなかったけれど、読むとほんわかと優しい気持ちになったものだ。

先日、図書館に行ったときのこと

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愛情はきっと、隠し味くらいでちょうどいい。

愛情はきっと、隠し味くらいでちょうどいい。

先日、Twitterに流れてきたこの記事にずいぶん色々と考えさせられました。

何よりも、タイトルに大きな共感を覚えました。
「愛情」よりも「安心感」。娘と共に過ごしていたり、幼稚園の子ども達を見ていると本当にそう思います。

”愛情”という不確かな罠愛情って言葉ほど、不確かで曖昧でうつり気で、しかも主観的な言葉もない。1,000年も昔から読まれている数々の詩や歌も、その不確かさや曖昧さを表現した

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「自分らしさとはなにか」中高生と対話をしてみた。

「自分らしさとはなにか」中高生と対話をしてみた。

福岡県みやこ町で行われている「三四郎の学校」に参加してきた。ここは、中学生・高校生が、答えのない「問い」に向かって、話し合う対話の場だ。

毎回テーマが変わるんだけれど、今回は、「ワタシらしさと、アナタらしさと。」だった。ゲストは田崎智咲斗さん。性的マイノリティとして、ひとりの人間として「自分とはなにか?」に向き合ってきた田崎さんのお話を伺うことで、私たちはどう変容していくのだろう。

■対話の

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noteが自身のアーカイブの場になったから僕は墜落しないと気がついた。

noteが自身のアーカイブの場になったから僕は墜落しないと気がついた。

ふと思い返せば、僕はこの1年おおむね心穏やかな日々を送っている。
大変なことや、シンドいことはある。別にいいことばかりが起こっているわけでも、ない。
だけど、この1年の感情の波を心電図で表せば、グラフの上下がほとんどない凪のような表示になるだろう。

今日の昼、妻とのランチ中にちょうどそれに繋がる話になった。

***

今日は”体調不良スパイラル”最後の被害者である妻の体調も、だいぶ良くなってき

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ボケるのもギフト

ボケるのもギフト

そう。「神様からのギフト」だと思っている。

「おばあちゃんが最近ボケてきたの。どうしよう。嫌だわぁ」
と、母からたびたび電話が入る。
祖母の話題になると、必ずこのセリフをオウムのように繰り返すので、こちらこそ母が心配になるが、私もその度にオウム返す。
「私だったら、ボケたいよ。死の恐怖なんて考えなくていいのだもの。きっと『認知症』は、頑張って生きてきたっていう神さまからのギフトだと思うよ」と。

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自分を信じられますか?

自分を信じられますか?

こう問うと、ふと「自信」って言葉を連想しますよね。自信がある/ないはすなわち自分を信じられるかどうかということ・・・

noteを継続する上でも出来るだけ毎日書くようにしているし、トレーニングもやると決めたらほぼ毎日欠かさず続けます。事情がある場合はしょうがないのですが、ちょっとしんどいな・・・という感覚で穴を開けるとどうも途切れそうな不安感があるんですよね。

ストイックという言葉に置き換えれば

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雑文|どっちか迷ったら笑っといてくださいよ

雑文|どっちか迷ったら笑っといてくださいよ

「どっちか迷ったら笑っといてくださいよ」とは、芸人・濱田祐太郎さんの名言にして金言である。

濱田さんは自分の体験をネタにして喋るタイプの漫談家で、2018年の「R-1グランプリ」(ピン芸人のお笑い大会)では王者に輝いた。ちなみにほとんど目が見えていないそうだ。

R-1の舞台に登場した濱田さんは、付き添いの人に支えられ、白杖片手にマイクの前へ。なんとなく固い雰囲気になる客席。それでもしっかり拍手

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縁を大切にして、面白さの閾値を超えるまで、つきあってみればよい。

note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。

 あることを学び始めて、面白くないなあと思っても、しばらく我慢してやっていると、だんだん点と点がつながて、線となり、面となり、やがて「面白さの閾値」を超えることがある。

 ここを超えればしめたもので、あとは、勝手に脳が興味を持って学び始めてくれる。
 自転車と同じで、漕ぎ始めがいちばん大変で、スピードがつく

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「飽き」のススメ

「飽き」のススメ

私はドがつくほどの飽き性だ。

ヒトもコトもモノも、分別なく飽きる。飽きたら無理せず距離を取る。残念ながら飽き性はすこぶる評判が悪い。

ただここでひとつ断っておきたい。

飽き性は「飽きっぽい」「飽きを感じやすい」「堪え性がない」とどうにもネガティブとらえられがちだが、私の考えはちょっと違う。

飽きはみなに分け隔てなく降り注ぐものであり、飽き雨前線は季節を問わず年中発生しては消えていく。誰ひと

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「うまく言えないこと」と連れ合う必要性。

うまく言えないこと。眼前に出されたチャーハンの旨さを、言葉でちゃんと表現できない。コンビニの店員、釣り銭を上からジャラッと落としてきたのは一体何の表現だったんだ。好きな子の舌にピアス穴が空いているのを知った時、どうしよう。ガトーショコラの、あの「モッサリ感」と言うか、「ギッチリ感」と言うか、あれを何と呼べば的確なのか、てんで分からん。

それぞれ、この世には「うまく言えないこと」というのがあります

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共感と違和感を経験することで、熱せられ、冷やされ、

note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。

 他人は自分を映す鏡になるわけだが、その際は共感と違和感の両方が必要である。

 共感では、お互いの資質が共鳴して、増幅して、ピークが立ち上がるというか、ある閾値を超えて天上の世界に至ることがある。

 好きなアーティストのコンサートに行って楽曲に共感して感動するような場合である。
 
 一方、違和感の方は、

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”叱る”コマンドの使用を減らす方法 その②

”叱る”コマンドの使用を減らす方法 その②

昨日の”叱る”コマンドの使用を減らす方法の続きです。

”叱る”を因数分解してみると”伝える”と”教える”と”注意する”の3つに分けられるんじゃないかと思います。
これらの出来事に対して、全部”叱る”というアクションをとってしまうのは、もしかしたら違うかもなと。

昨日は”伝える”についてでしたが、今日は”教える”と”注意する”について。

叱るコマンド→「教える」コマンドへついつい叱っちゃう時っ

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「自分の言葉」ってなんだろう

「自分の言葉」ってなんだろう

すごく大切なことを考えている素直な子だと思った。

この感覚は、たぶん誰もが経験したことがあるものだ。「自分の言葉」ってなんだろう?自分の表現ってなんだろう?

絵を描くとき、写真を撮るとき。あるいは音楽をつくるとき。

だれかの真似をして描く。同じ構図で撮る。同じ色味を出して、同じポーズを取る。聴きなれたメロディライン、わかりやすいコード進行を選ぶ。

そうすると、みんな「上手いね」と褒めてくれ

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