茂木健一郎

脳科学者。作家。ブロードキャスター。

茂木健一郎

脳科学者。作家。ブロードキャスター。

最近の記事

ウィンストン・チャーチルのような人間性がにじみ出る

 世界が乱れていて、その中で戦略論とかいろいろ言う人が出てきているけれども、中途半端に考えるのならば、それは、ナイーヴな平和主義よりも悪いと思う。  技術論やインテリジェンスを積み重ねていったその先に、ウィンストン・チャーチルのような人間性がにじみ出るそんな論者、政治家がもしいたら、その人のことは信用する気になるのだが。  今地政学とか軍事論に夢中になっている人の言説からは、円熟よりもむしろ偏った人間性を感じることが多い。

    • 過去は、発芽を待つ一つの「種」である。

      note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。  過去は育てることができる。  自分の脳に植え付けられた痕跡を、ときどき振り返って結びつけたりマッサージしたりすることで、再びよみがえり成長させることができる。  過去は、発芽を待つ一つの「種」である。  注意や回顧という行為が、種を芽生えさせて成長させる「太陽」や「水」や「養分」となる。  だから、時々、自分の過去を振り返るのが良い。 とりあえずこうやってメモしておきます。

      • プロジェクト型学習はそのまま実践力になる。

        note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。  これから必要なのは、「プロジェクト型」学習である。  子どもから、大人まで。  ペーパーテストで高い点数をとるというのも一つの「プロジェクト」ではある。  しかし、そこには有機的な構造と力学が欠けている。  いわば、生命体がばらばらになったようなものだ。  プロジェクトは、本来、もっと奥行きがあって深いのがいい。  たとえば、落ち葉の活用法をいろいろ探ってみるとか。  強い将

        • システムとぶつかり稽古をするのがいい。

          note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。  ネットを見ていると、他罰的な人が多い。  何かというと、他人に文句を言ったり、欠点を指摘したり、揶揄したりする。  ぼくは、できるだけ、個人の批判はしない方がいいように思う。  批判するならば、システムや仕組みを批判する方がいい。  システムは巨大だ。だからぶつかり甲斐がある。ぶつかり稽古で自分が鍛えられる。    個人は、社会的な地位があったり権威があったりする人でも、実

        ウィンストン・チャーチルのような人間性がにじみ出る

          どれくらいさまざまな自分のアウトプットの手段を手に入れることができるか。

          note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。  昨年の10月以来、一年以上ぶりに書きます。  レッジオ・エミリアの幼児教育の特徴は、とにかく子どもたちにできるだけ多彩な表現法を与えることだと言われている。    お絵かき、積み木、泥遊び、身体表現、叩く、鳴らす、吹く、奏でる、踊る、伏せる、呼吸する。    異なるモードを使うことで、脳の回路がさまざまなかたちで耕されていく。  今の時代はデジタルデヴァイスが全盛だが、それが悪いの

          どれくらいさまざまな自分のアウトプットの手段を手に入れることができるか。

          キャスティングを真剣にやる癖をつけること

          note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。  映画は、やはりキャスティングを真剣にやらなくてはならない。  新人、無名の俳優を含めて真剣にキャスティングをした作品は信用できる。  単に有名だからとか、その俳優で客が呼べるからというだけで配役している映画はダメである。  キャスティングも一つの専門性で、アメリカにはCasting Society of America(CSA)がある。  映画のエンディングで、よく、名前とCSAと

          キャスティングを真剣にやる癖をつけること

          セレンディピティの驚きは、自分の内側からも出てくる。

          note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。  偶然の幸運に出会うセレンディピティは、外からくるだけでなく、自分の内側にもある。  ある環境に置かれたとき、ある人に出会ったときに、自分の中の何かが、触発されて動き出すということがあるのだ。  だから、未知のもの、予想できないものは、外界にあるだけでなく、自分の中にもある。  セレンディピティの驚きは、自分の内側からも出てくる。 とりあえずこうやってメモしておきます。

          セレンディピティの驚きは、自分の内側からも出てくる。

          重力の勾配がそこにあると、そもそもスポーツが成立しない。

          note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。  コミュニケーションの本質は対等性にあって、年齢とか性別とか職業とか地位とか関係なく、フラットに対等にしゃべることができたときにもっとも効率よく実質的な情報交換ができる。  どちらかが自動的に偉いことになったり、遠慮したり、油断したりすると、それだけコミュニケーションの質は下がる。  同じ高さだからこそ、たのしく球を打ち合うことができる。重力の勾配がそこにあると、そもそもスポーツが成

          重力の勾配がそこにあると、そもそもスポーツが成立しない。

          少しずつ、自分の構成の風景を変えていく

          note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。   人間には自由意志はない。あるとすればそれは幻想である。  自然は飛躍しない。人間も飛躍しない。  自分を変えようと思ったら、自分を構成しているパラメータを徐々に、粘り強く、変えていくしかない。  そのためには、毎日の経験の配合、処方、そして自分の行動の選択、スペクトラムを通して、少しずつ、自分の構成の風景を変えていくしかない。 とりあえずこうやってメモしておきます。

          少しずつ、自分の構成の風景を変えていく

          差し色としての希望

          note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。  良いときも、悪いときも、人生というのは決してひとつの色ではないわけで、自分の人生の景色を注意深く見ると、必ずそこにはさまざまな色がある。  だから、悪い時も、自分の人生が悪い一色ではないということをちゃんと見ればいい。必ず差し色としての希望がある。  逆に良いときも、風景のどこかに黒雲があるかもしれない。そのような不安の差し色も人生をぴりりと締めてくれるスパイスとなる。 とりあえ

          差し色としての希望

          人生という草むらの中に投げ込んでおいた方がいい。

          note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。  何かが完璧にできないときに、それでいやになってしまうのではなくて、むしろ中途半端でもやるだけやった方がいい。  途中までしかできなくても、その途中までやったことが、後にジグソーパズルのピースになる。  人生というジグソーパズルは、絵ができるかどうかわからないけれども、気づかないうちにきれいな絵ができている場合もある。  だから、たとえ中途半端でも、パズルのピースをたくさんつくって

          人生という草むらの中に投げ込んでおいた方がいい。

          ずっとこともなげに始め続ければ、晴天の下で活動できる

          note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。 始める前には、ついいろいいろと考えてしまいがちだけれども、始めて見ると、結局集中している時間があるだけで、案外スムーズに時間が経ってしまったりする。 始める前にどうしようこうしようと心配する中で、暗黒が膨張してしまうところがある。 こともなげに始めてしまうことで、暗黒の膨張をふせぐことができる。 ずっとこともなげに始め続ければ、晴天の下で活動できるのだ。 とりあえずこうやってメモ

          ずっとこともなげに始め続ければ、晴天の下で活動できる

          根拠のない自信は、偶有性の海に飛び込むジャンプ台

          note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。  根拠のない自信を持て。  それを裏付ける努力をせよ。  すべての子どもは、根拠のない自信を持っている。そして、さまざまなチャレンジをしていく。いきなり飛び込んでいく。  大人になって、根拠のない自信を持っている人がときどき失敗するのは、それを裏付ける努力、チャレンジをしないからだ。  根拠のない自信は、偶有性の海に飛び込むジャンプ台である。  ジャンプ台の上に立って、あれこれと

          根拠のない自信は、偶有性の海に飛び込むジャンプ台

          魂の自発的呼吸の一つの徴表

          note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。  自分だけの言葉を持っている人は強い。  文章でも、公の場での発言でも、その人が咀嚼して、その人の体を通ってきた、その人だけの言葉は強い。  逆に、ただ他から来たものをトラップしてパスしただけの、あるいは受け売りの、または権威や大勢に従った言葉は虚しい。  自分だけの言葉を持つことができているかどうかは、その人の魂の自発的呼吸の一つの徴表である。  とりあえずこうやってメモしてお

          魂の自発的呼吸の一つの徴表

          常に景色が変化する旅

          note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。  わかりやすい「多様性」という概念にとらわれている限り、本当の多様性にはたどり着けない。  多様性とは、ほんとうは、かすかな差異であり、深堀りすべきものであり、探求しなければならないからだ。  自分の中にも多様性の層がある。そして、それは必ずしも自明ではない。  むしろ、ラベルに基づく多様性は、本当に深い層に到達する上での邪魔になることが多い。  多様性とは、常に景色が変化する旅

          常に景色が変化する旅

          粘り強く、犀の角のように、うんうんと続ける

          note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。  持続するということはとても大切なことで、そのことで自分の中に多様性が育つ機械が生まれる。  生態系が長く続けば続くほど、その中にさまざまな種が分化していくように、続くこと、継続すること自体が価値である。  だから、粘り強く、犀の角のように、うんうんと続けるのだ。続けた分、色とりどりの花が咲く。 とりあえずこうやってメモしておきます。

          粘り強く、犀の角のように、うんうんと続ける