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noteが自身のアーカイブの場になったから僕は墜落しないと気がついた。

ふと思い返せば、僕はこの1年おおむね心穏やかな日々を送っている。
大変なことや、シンドいことはある。別にいいことばかりが起こっているわけでも、ない。
だけど、この1年の感情の波を心電図で表せば、グラフの上下がほとんどない凪のような表示になるだろう。

今日の昼、妻とのランチ中にちょうどそれに繋がる話になった。

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今日は”体調不良スパイラル”最後の被害者である妻の体調も、だいぶ良くなってきていた。そこで久しぶりに少し外で食事でもしよう、ということになり近所のファミレスへ。

この数日間、妻は自宅療養していたので家にはいたが、食事もほとんどできなかったため、久しぶりにしっかりと会話を楽しむことができた。
家族の体調不良が続くと、日々の食事が何を食べるかよりも、誰と食べるかがどれだけ大切なのかを実感することになる。

久しぶりののんびりとした夫婦の会話は多岐にわたった。

その中でも印象的だったのが、僕自身の仕事との付き合い方についてだった。

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僕は自分の仕事の関係性が、ここのところ変わってきていることを感じている。先日、「9時〜17時は仕事の時間」を辞めて「自分の人生を活きる時間」と再定義してみた、と書いたのだけどこの「自分の人生を活きる」という感覚が強くなっているのを感じるのだ。

これまでは、「仕事=自分」と捉えている部分があった。
それは言ってみれば、肩書や名刺が自分自身を表しているような感覚だった。

「あなたは何者ですか?」と聞かれたら「ぼくはインテリアコーディネーターです」のように、仕事がまるで自分の化身かのように思い込んでいたのだ。

その肩書は、付け替え可能なものではあるが、それを身に着けている時は僕は僕ではなくて、「インテリアコーディネーター」がアイデンティティになる。

それがいまは、「自分」という中心に色んなプロジェクトが繋がっている感覚になっている。仕事は自分自身のアイデンティティではなくて、自分に繋がっているプロジェクトのひとつ。
それはコーディネーターの仕事や、家事シェアを広める活動や、学校をつくる活動、育児も色んなNPOやコミュニティとの関わりも、すべてが同列で繋がっている。

そして、それをはっきりと確信として感じられるようになったのが、noteをはじめてから。

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noteは、僕にとって自分自身のアーカイブのような場所になっている。
ここには、立場や役割、テーマにしばられない自分自身がいる。

例えば、NPOのブログには活動に関することしか書かない。学校づくりや教育や趣味については、書けなくはないが「書いても仕方がない」という気持ちになる。

だけど、noteが僕自身のいまの想いや活動、学びのアーカイブだとするなら、ここにはすべてをストックしておくことができるのだ。

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「この仕事しか僕にはないんだ」というプレッシャーはほとんどなくなった。それは、僕の人生においては1プロジェクトに過ぎないのだ。この立場や役割、仕事が上手く行かなくなった所で僕自身がすべてダメになってしまうわけではない。

この気持ちはまるで”気球”のようだなと思った。

これまでは、自分は大きな気球に乗っていると思っていたのだけど、実はいくつもの風船がついた風船気球に乗っていたのだと気がついたのだ。
風船に大小は当然あるけれど、1つか2つ割れたって、僕自身が墜落はしない。

僕はこれまでずっとずっと、気球に乗りながら「落ちないように」と地上ばかりを見下ろしていた。
だけどある日ふと空を見上げて見たら、1つだと思っていた風船は、いくつもいくつもあり僕をしっかりと空へと導いてくれているのが見えたのだ。

だから僕は、心穏やかに過ごすことができているのだと思う。

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これはきっと僕だけの話じゃない。
自分にはこの場所しかない、この仕事しかない、この会社しかないと無意識に思っていても、勇気を持って空を見上げたらたくさんの風船があなたを羽ばたかせてくれていることに気がつくかもしれない。

人はきっと、何かをいくつか失っても簡単には墜落しないし、少しずつ回復していくことができる。
それを信じるためには、勇気を持って自分の気球と空を見上げて見る必要があるのかもしれない。

noteが僕自身のアーカイブになっていることで、それに気づかせてくれた。


今日も、見に来てくれてありがとうございました。
久々の妻とのランチは、色々と話がはずみました。改めて、僕たちは夫婦である前に”親友”だったのだなと思います。
ぜひ、また見に来て下さい。

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