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自分史

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昔の私から今の私を紐解く出来事を綴ります。昔の私を知る人は、「何かあったの?」と聞くことでしょう。そして、今の私を知る人は「何があったの?」と聞くことでしょう。自分で自分をもっと…
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虹のふもとで会えたなら

虹のふもとで会えたなら

 多分あれは小学校2年生くらいの夏だったと思う。我が家は毎年九十九里へ海水浴に出かけたのだが、その年は熱海へ旅行に行った。祖父母や叔父叔母、従妹もいた。有名なホテルに宿泊して・・・プールでも泳いだっけ。

ハマグリとビール 九十九里の海水浴場と記憶が混ざっていたら申し訳ないのだが、海水浴場には海の家があって、ハマグリやらサザエやらの魚介類が食べられた。私はハマグリが大好きで、父に焼いてもらってはパ

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認められたい

認められたい

※イニシャルでは分かりづらいというご意見がありましたので、登場人物は全て仮名にて書かせていただきます。ご了承くださいませ。

 記憶は定かではないが、小学1年生か2年生の頃だったと思う。季節は冬。雪こそ降らなかったものの、寒い日が続いていたように思う。

 私は小学校生活にも徐々に慣れ、相変わらずの人見知りではあったが、話せる友達がクラスの半分を越えていたと思う。幼稚園時代のトラウマがあったので、

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「Yくん」

「Yくん」

 これは、私が小学校1年生の時の話だ。クラスには、大体30名程度の子ども達が在籍しており、座席は男女が並んで2人ずつで座る形になっていた。

 私の隣は、Yくんという子だった。7歳という年齢から考えたらとても大人っぽい子。お父様が牧師だったこともあり、Yくん自身もキリスト教徒だった。街の大きな教会に住んでいた。

当時、はやっていた遊びの中で Yくんは博愛主義者というか、生きとし生けるものに愛を注

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桜の中で

桜の中で

 桜を見ると思い出す。荒川の水門を越えたところに咲いていた桜。何本も植えられていたように思うが、そんなことはどうでも良い。私の中に今でも咲き続けているのは、1本の大きな桜の木だけなのだから。

バイクの後ろに乗せられて 父は深い緑色の自動車の他にも、オレンジ色のバイクを所有していた。車種などは分からない。それほど大きなものではなかった。

 天気の良い日は、よくバイクの後ろに乗せられたものだ。向か

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「後悔先に立たず」で生きている人にこそ読んでもらいたい。行動する前に考えるのは「後悔」ではなく、「逃げ」!思考を変えて、自分の人生を楽しもうよ!

「後悔先に立たず」で生きている人にこそ読んでもらいたい。行動する前に考えるのは「後悔」ではなく、「逃げ」!思考を変えて、自分の人生を楽しもうよ!

 先日、「出る杭はどこまでも出続けろ」という話を書いたが、伝えたいことが何も伝えられていないことに気付き······猛省。そこで、何回かに渡り、自分の経験を通して感じたことや得たもの、変化したことなどを、具体的に書いてみることにした。

夫の教え「やりたいことはとことんやれ!」 父からの教えについては、前回の話の中に書いたので省略する。代わりに夫からの教えを伝えたい。

 我が家の子ども達への教育

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泣くことを止めて人を見ることを覚えた幼少期……本当はありのままの自分を受け止めてくれる人を求めていたのだと。

泣くことを止めて人を見ることを覚えた幼少期……本当はありのままの自分を受け止めてくれる人を求めていたのだと。

 小学1年生の時の記憶。入学式翌日だったと思う。私の後ろの席にいた女の子に、「あなた○○君の妹でしょ?」と言われた。○○君とはもちろん兄の名前で間違いない。が、私はその女の子のことを知らなかった。

 「私、△△の妹。お兄ちゃんのこと、知ってるでしょ?」と、その女の子はお兄さんの名前を教えてくれた。申し訳ないが、何も知らない。

 私は、物心ついた時から人見知りが激しく、自分から話しかけることもな

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マンホール事件とお姉さん

マンホール事件とお姉さん

 もう断片的にしか思い出せない。それをつなぎ合わせると、こんな感じだ。確か、3歳か4歳か、そのくらいの頃だったように思う。

 私はある日、マンホールに落ちた。一瞬耳を疑ってしまうようなこの出来事。そうそう無いことだろう。皆さんの中に、マンホールに落ちたことがある方は、どのくらいいるのだろうか。経験された方は、ぜひコメントをください。

後ろスキップ その日は、幼馴染のようこちゃんと、ようこちゃん

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オオカミなんか怖くない

オオカミなんか怖くない

 地獄のひよこクラブには、どの程度の頻度で通っていたのかは覚えていない。しかし、マット運動のみならず、ボール遊びやお絵かきなど、体も手先も使った遊びを何度もさせられていたのを覚えている。そして、一番覚えているのは、「オオカミさん、今何時?」(確かこんな感じの名前)というゲームだ。

アブラハム体操 その日、準備運動としてやらされたのは「アブラハム体操」だった。

 私はこの体操が大嫌いだった。何が

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ガラス事件

ガラス事件

 父と荒川の土手へ散歩に行くことは、しょっちゅうだった。子どもの足で歩いて行ける距離に住んでいたことが大きかったかもしれないが、自然に親しませたいと思っていたこともあったようだ。

 その日は、父と兄と私の3人で出かけた。荒川の土手にあるゴーカート乗り場へ遊びに行ったのだ。コスモスが咲き乱れる時期で、風も涼しくなってきたころだったように記憶している。

赤いゴーカート ゴーカートは、当時の年齢では

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地獄のひよこクラブ~3歳頃~

地獄のひよこクラブ~3歳頃~

 あれは確か、満3歳になったくらいかそのちょっと前のことだったと思う。私は、母に連れられて、児童館に連れていかれた。その児童館では、「ひよこクラブ」というサークルが保育活動を行っていた。先生と呼ばれる大人が3人ほどいたし、10名以上の母子もいたことを覚えている。

 その日、私は何も知らされていなかった。自転車の前の椅子に乗せられ、どこに行くかも告げられず、ただ自転車で運ばれていた。風を切って走る

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遠い遠い記憶の片隅で

遠い遠い記憶の片隅で

 昼寝をしすぎた。頭がぼーっとしていて、何も考えられないし、何もやる気が起きない。景色も霞んで見える。その中で、うっすらと、さっき見た夢の記憶がよみがえる。そしてその夢は、幼いころに実際に見た光景だということに気付く。

父42歳、私3歳頃の記憶 母に確認したので間違いない。この出来事は実際にあったとのこと。私が断片的に覚えている光景と、母の話を組み合わせて書いてみようと思う。

 どこか知らない

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