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泣くことを止めて人を見ることを覚えた幼少期……本当はありのままの自分を受け止めてくれる人を求めていたのだと。

 小学1年生の時の記憶。入学式翌日だったと思う。私の後ろの席にいた女の子に、「あなた○○君の妹でしょ?」と言われた。○○君とはもちろん兄の名前で間違いない。が、私はその女の子のことを知らなかった。

 「私、△△の妹。お兄ちゃんのこと、知ってるでしょ?」と、その女の子はお兄さんの名前を教えてくれた。申し訳ないが、何も知らない。

 私は、物心ついた時から人見知りが激しく、自分から話しかけることもなければ、自分を主張することも・・・まぁ、外ではなかったと思う。だから、その時も話しかけられるまでクラスの誰とも話さなかったし、話しかけられた後もその話題についていけず、ただフリーズするしかなかったのだ。

 その後も女の子は、私の兄が遊びに来た時の話を一生懸命話してくれた。一緒に遊んでもらって楽しかったこと、面白かったこと等々。それはそれは流暢に話す。

 私は、女の子のことはもちろん、お兄さんのことも知らなかった。だが、それを言えない。なぜか、そういう時、決まって言えないのだ。知ったかぶりというよりは、何となく空気を読んでしまう子。6歳にして、空気を読む技を習得していた。だから、その時も、まるで会ったことがあるかのように、「あぁ、△△君の妹ね!」と話を合わせたのを覚えている。そんな何気ない光景を、35年経った今でも覚えている。

女の世界は幼稚園から始まる

 3歳頃の話「地獄のひよこクラブ」を読んでいただければわかると思うが、私は本当に人見知りが激しく、自分からコンタクトをとるようなことはほとんどなかった。

 だから、幼稚園に入園してからもそのスタンスは変わることなく、コンタクトを取りに来てくれる子としか遊べない子だった。でも、比較的男の子とは遊べていたと思う。兄がいたことも影響していると思うが、女の子よりも男の子といる方が楽だった。チェンジマンごっこが好きだった。

 年中も年長もクラス替えのない幼稚園だったから、本当に最悪だった。嫌だと思った相手と、2年間ずっと同じクラスで過ごさなければならないのだから。今思い返すと、よく耐えたなぁと感心してしまう。

 クラスメイトにYちゃんという女の子がいた。私の偏見だけで書かせてもらうと、とてもおしゃれで、いつも女の子を数人従えていて、お金持ちで、エレクトーンを習っていて、一人っ子で、世界は自分を中心に回っていると思い込んでいるような、我がままを絵に描いたような子だった。意地が悪くて、いつも誰かを泣かせては、「あの子ってすぐに泣くよね~」と言っていた。取り巻きの女の子達は、一緒になって悪口を言っていたが、YちゃんがいないときはYちゃんの悪口を言っていた。私は、幼稚園時代に女の世界を知ってしまった。

 私はすぐ泣く子だった。何かあると、いや何もなくても、とにかくすぐに感極まって泣き出す子だった。そして、母がいつも言った。「すぐに泣くんじゃない。泣くなら家で泣け。」と。これはきっと幼稚園に入ってすぐに言われたと思う。「泣けば面白がって、もっとやられるんだから。外では絶対に泣くんじゃないよ。」と。私はその言葉を守り、外で泣くことを止めた。記憶に間違いがないとすれば、父が亡くなる日まで、外で泣くことがあったとしても、人前で泣くことはなかったと思う。

 さて。そんなYちゃん達の標的として、私が選ばれないわけがない。自分を出さない子、言われっぱなしで、目に涙を浮かべても、何も言い返さないしやり返さない変な子。

 やり口は巧妙だった。「一緒に遊ぼう」と、Yちゃん達は誘ってくれる。嬉しくなった私は、言われるがままに行動を共にする。しかし、最終的には私だけ一人ぼっちになるように仕組まれているのである。私が悲しい顔をして園庭に佇んでいるのを見て、園舎の影から笑ってこっちを見ているのだった。


担任の先生

 それでも私は泣かなかったし、先生に言いつけることもしなかった。なぜだろう?きっと、話せば助けてくれたかもしれない。でも、話さなかった。先生に憧れは持っていたけれど、信用はしていなかったのだと思う。うん、信用していなかった。

 なぜなら、「Yちゃんは人気者だね!いつも周りにお友達がいて素敵ね!」なんて言っている先生だったから。何も見えていないし、何もわかっちゃいない。先生なんて、この程度かと思った。

 そう。私はその先生に憧れを持っていた。きれいなサラサラの髪の毛、きれいな顔立ち、上手なピアノ。完璧な人だと思っていた。けれど、この一言で幻滅し、信用しなくなり、距離を置いたのだった。

 先生は、クラスメイトのHちゃんとSちゃんをとにかく可愛がっていた。この2人だけは、「重い~」と言いながら、抱っこもおんぶもした。見るからに可愛がっていた。この二人は従妹で、後から知ったのだが、Sちゃんはその幼稚園で主任をしていた人の娘だった。だからだろう、とにかくこの2人を可愛がっていた。


大人ってこんなものか

 ある時、HちゃんとSちゃんとYちゃんと私の4人だけ、教室に入るのが遅れてしまったことがあった。HちゃんとSちゃんの理由は知らないが、私はYちゃんにトイレに閉じ込められるという意地悪をされたことが原因だった。もちろん、閉じ込めていたYちゃんも遅刻したわけだが。

 教室の前で、いつになく厳しい口調で叱られた。でも、私は理由を話さなかった。先生も聞いてはくれなかった。Yちゃんは、驚いたことに泣いて謝っていた。HちゃんとSちゃんはと言えば、「ごめんなさい」も言わずに口を尖らせるだけ。先生は、「反省しているなら良し」というようなことを言って、全員を入室させてくれた。謝ったのはYちゃんだけ。先生という大人に、心から落胆したのを覚えている。そして、私はますます幼稚園で自分を出さない子になった。

 いや、「この人の前では出しても大丈夫かな?」と、人を見る子になったのだと思う。そして、残念なことに、その幼稚園には私を素直に出せる大人は見つけられなかった。


幼馴染のフミ君

 でも、私も一人ぼっちだったわけじゃない。あいちゃんとちはるちゃんという女の子は仲良くしてくれたし、お弁当も一緒に食べてくれた。幼稚園が終わった後も一緒に遊んでくれた。女の子の友達も、2年間でこの2人だけだったけど、いたことには間違いない。

 そして、私には最強の幼馴染、フミ君がいた。別にガキ大将でもないし、人気者でもないし、頼れるタイプでもない。だけど、いつも仏様のような笑顔で接してくれる子だった。眉間にほくろがあって、本当に仏様の分身なのではないかと疑ってしまうくらい素敵な子だった。3人兄弟の2番目。とても賢い子で、一緒に遊ぶと色々なことを教えてくれた。

 そういえば、フミ君の家でお泊り会をした時があった。私は母と寝ないと眠れない子だったから、フミ君の家で、フミ君兄弟と一緒に寝ることに不安があり、なかなか眠れなかった。そして、淋しくなって、布団の中でこっそり泣いた。

 その時、寝ていると思っていたフミ君が、そっと私の手を握ってくれた。直後、私は号泣して泊まれなくなり、結局夜中に帰宅した。

 今となっては、手を握られた時に号泣した理由が分かる。両親以外、誰からも受け止めてもらえないと思っていた自分を、ちゃんと見ていてくれた友達がいたこと、そして泣いている私をフミ君が受け止めてくれたことが、心から嬉しかったのだ。あの時の、フミ君の優しさを、決して忘れはしない。


受け止められる幸せを知ったはずの私が、母親になり、まさか我が子の心を傷つけるなんて・・・。

 これについては、またいつかゆっくり書くとしよう。。。

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