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「後悔先に立たず」で生きている人にこそ読んでもらいたい。行動する前に考えるのは「後悔」ではなく、「逃げ」!思考を変えて、自分の人生を楽しもうよ!

 先日、「出る杭はどこまでも出続けろ」という話を書いたが、伝えたいことが何も伝えられていないことに気付き······猛省。そこで、何回かに渡り、自分の経験を通して感じたことや得たもの、変化したことなどを、具体的に書いてみることにした。


夫の教え「やりたいことはとことんやれ!」

 父からの教えについては、前回の話の中に書いたので省略する。代わりに夫からの教えを伝えたい。

 我が家の子ども達への教育の基盤にあるのが、「やりたいことはとことんやれ!」である。それをするために必要となってくるのが、「出る杭はどこまでも出続けろ!」の精神というわけなのだが。(ちなみに、夫は精神論が嫌い。)

 あなたの思考は、次の項目にいくつ当てはまるだろうか?
 
 自分にやりたいことがある時、

①世間体が気になって仕方がない

②失敗が怖くて仕方がない

③何らかのやらない理由を探してしまう

等々の結果、結局行動に移さない。これは、きっとほとんどの人に当てはまることではないかと思う。

 誤解しないでほしい。保身を考えることは悪いことではないと思う。守るべきものがある時、自分が突き進むことで周囲に迷惑をかけてしまうこともあると思うから。

 でも、周囲のせいにして「やらないことを正当化する」のはやめようよって話で。実際、私がこれで30年以上も自分を殺して(?)生きてきたのだけれど、結果として言えたことは「やっときゃ良かった」という後悔が残るということ。付け加えるならば、やらせてもらえなかった(まぁ、やらないことを選択したのは自分なんだけど)という恨みも生まれて、自分も周囲も悲惨だよということなので。


「後悔先に立たず」だから、やるんだよ!

 何かの本で知ったのだけど、「やらなきゃ良かった」と「やっときゃ良かった」の後悔は、圧倒的に「やっときゃ良かった」が多いんだって。つまり、やって後悔するのではなく、やらずに後悔している人が多いということが分かる。これって、幼少期の成功体験とか、失敗したときに周囲からどう関わってもらったかという経験が影響してくるのではないかと思う。後悔することへの考え方が変わってくると考えると、子ども達に関わる大人の役目ってかなり大きいのではないかと思う。

 「やりたいと思った→やってみる→失敗する→後悔する→もうやらない」なのか、「やりたいと思った→やってみる→失敗する→そこから次を考える(またはその方法を教えてもらう)→もう一度方法を変えてやってみる」なのか。前者はこの経験から、「やって後悔するするくらいならやらない方が良い」と考え、後者は「やらなきゃ後悔するからやってみる」と考える。

 やったことがマイナスの記憶で止まっているのか、それとも次につながる思考で終わっているのかで、次の一歩を踏み出せるか否かが決まる。自分は30年以上ずっと前者だったから、後者の思考回路を獲得するのには、とてもつもない努力と苦悩と、それ以上に勇気が要った。

 これはもう、自分で自分に言い聞かせ、周囲からも言い聞かせてもらうことで、自分を奮い立たせるしか方法はない。そうやって、自分の思考を少しずつ変えていくの。だって、この「やってみる」という行動は、ものすごく「怖いこと」だから。文字にしたらたったの五文字だけど、それを実行する勇気は計り知れないほどの量が必要だから。

 でも、もう後悔したくないんでしょ?こんな人生、もう嫌だって思ってるんでしょ?

 なら、今から変わろうよ!!


まずは「自分の気持ち」を口に出してみる

 ここで1つ、経験談を書こうと思う。私が初めて、自分の人生を歩み始めた時の話。

 私が高校3年生の時、父が病気で倒れた。と言っても、ずーっと前から入退院を繰り返していて、「今回で何度目だ?」ってくらいだったから、あまり気にしていなかった。でも、母親は今回だけは違った。「大学進学を諦めて、就職してほしい。そして、家庭にお金を入れてほしい。」と。

 私には兄がいた。4年くらい離れて暮らしていたと思う。兄のことについては、また次の機会で書きたいと思うが、兄もまた、両親の意向に沿った人生を歩んでいた。

 私はそれを知っていたし、兄の苦悩も知っていた。だから、「私もか……」と落胆し、両親を恨んだ。でも、これもこの家に生まれてしまったから仕方がないことだと、葛藤はあったけれど、最終的には受け入れて就職した。

 私には「小学校教諭になりたい」という夢があった。その気持ちは、就職してからも治まることはなく、理想と現実のギャップに苦しんだ。そして、両親を恨んだ。さらには、夢もないまま「親が行けって言ったから」と言って進学した友人達を恨んだ。本当に、心が腐っていた。

 就職して3年目の夏(友人達は大学3年生の夏)、苦しすぎて私は泣いた。高校時代からの親友に、きっと初めて泣き言を……いや、両親や友人達への憎しみ、怒りの感情を話した。自分には夢があること、進学を諦めたこと、就職したけど夢が諦められないこと等々、ぶちまけた。

「いつまでも甘ったれてんじゃねーよ。やりたきゃ、やればいーじゃん。」

 温厚な親友のブチギレた言葉に、私は泣くのも忘れてしまった。何してるんだろ、私。怒らせちゃった。ただ、聞いてほしかっただけだったのに。

 そのことを夫(当時は彼氏)に電話で話した。そして、「もう、やりたいことやったら?」と言われた。

 夫には、常々「あなたは教育関係に進むべきだ」とか「進学しなさい」とかいうようなことを言われていたが、その度に私がキレて喧嘩になった。「こっちには、事情ってもんがあるんだよ!分かったようなこと言いやがって!」みたいな。自分の殻に閉じこもるために。

 両親にも、自分の気持ちを素直に話してみることにした。すると、母から言われた言葉は「お父さん、あと1年もないかもしれないって。だから、傍にいてあげて。」だった。

 兄にも話してみた。すると、「やりたいことを、お前にはやってほしい。後はオレが何とかするから。」という言葉が返ってきた。

 叔父や叔母にも話してみた。いろいろなことを言われた。これ以上、傷付けないよというくらい。

 でも、分かったことがあった。自分の気持ちを口に出してみると、それが本当にしたいことなのか、それともそんなに望んでいないことなのか、はっきりと分かる。だから、何度も何度も口に出してみた。馬鹿にされようと、貶されようと、何度でも何度でも口に出してみた。すると、心底分かった。

「私、やっぱり進学して、資格を取って、教育の分野で働きたい!」


「後悔」は行動した先にあった。そして、それは「行動を止めた時」に訪れることを知った。同時に、行動し続ければ「道は開ける」ことを知った。

 父親が1年後に亡くなるかもしれないと言われた。それを待ってから進学しても良いのではないかとも言われた。でも、人の死を待つなんておかしいと思った。だから私は、就職して4年目を待たずに、進学することにした。

 進学した年の暮れ、12月下旬に父は亡くなった。本当に、亡くなった。1年も持たずに。

 誰も私を責めなかった。だからだと思うけど、私はすごく後悔した。本当に1年しか生きられなかったのなら、1年間傍にいてあげれば良かったと。後悔してもしきれないくらい泣いて、泣いて泣いて泣いて、後悔した。なんて馬鹿な娘なんだと。

 でも、数日経って、ふと思った。これって、結果論であって。あの時に分かっていたことではない。もしかしたら、父が1年以上生きながらえて、逆に父を恨んでいたかもしれない。こればっかりは、分からないことだったんだって。(兄にも同じことを言われた。)

 じゃぁ、後悔していても仕方がない。この「進学」という道が「後悔の道」にならないために、「今、自分にできることは何か」を考えることにしよう。

 父が亡くなる1週間前、父と2人きりで病室で会話した時間があった。「アイツ(夫)と結婚するなら、仕方がないから応援するよ。」とか「運転には気をつけなさい。」とか「自分のお金で進学したのだから、しっかり勉強しなさい。」とか。(そうそう、私は自分で貯めた資金で進学した。)

 それを思い出したとき、私の道は開けた。そうだ、私が選んだこの道が「後悔の道」にならないために、自分の道をしっかり歩もうと。まずは、卒業する。そして、資格を取る。最後は、資格を生かして働く。これらを実行することで、私は自分で選んだ道が正しかったと言えるようにしようと思った。父に、誓った。

 自分の選んだ道を後悔して歩みを止めた時、それは本当に「後悔」で終わってしまう。そこから「今できること」を考え、それに「取り組む」ことで、「未来は切り開かれる」ということを、身をもって知った。

 どんなことでも、恐れているだけではダメなんだ。どんなことにも、少しの勇気と、それを上回る行動力があれば道は開ける!


人は、簡単には変わらない。でも、必ず変われる!

 「人はなかなか変われない」という人がいる。でも、私は身をもって経験したから分かる。人は、必ず変われる。

 でも、そのスピードは人それぞれだよねって思う。今まで自分を懲り固めてきたものの強さだったり、周囲の働きかけの内容であったり、思考の癖だったり、皆それぞれ違っているわけで。今から変わります、はい、今変わりました~みたいに変われる人は、まずいないと思うから。

 少しずつでいいと思う。無理はせず。無理すると、自分を形成しているすべてを否定してしまうことにもつながって苦しくなるから。いろいろな角度から、さまざまな視点を持って、少しずつ見直してみると良いのではないかな。ポジティブな言葉のシャワーを一杯浴びせてくれる人が傍にいたら最強なんだけど、それが叶わないなら、自分で自分に浴びせてみて。少しずつ変われるはず。

 いつ終わるかなんて分からないんだからさ、自分の人生、楽しもうよ!


◎追記◎

 こちらを合わせてお読みいただくと、なぜこんなことを言い出したのかがお分かりいただけるかと。


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