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「Yくん」

 これは、私が小学校1年生の時の話だ。クラスには、大体30名程度の子ども達が在籍しており、座席は男女が並んで2人ずつで座る形になっていた。

 私の隣は、Yくんという子だった。7歳という年齢から考えたらとても大人っぽい子。お父様が牧師だったこともあり、Yくん自身もキリスト教徒だった。街の大きな教会に住んでいた。


当時、はやっていた遊びの中で

 Yくんは博愛主義者というか、生きとし生けるものに愛を注ぐ人で、クラスの男子たちが「ダンゴムシ爆弾」などという遊び(たくさん握りしめたダンゴムシを相手にぶつける遊び)を目撃したときは、「可哀そうだからやめてあげて!」と、心を痛めていたのを覚えている。

 また、学校の池で飼っている鯉を釣るという遊びをする人がいた時も心を痛めていた。なぜなら、釣った鯉はその場に放置され、翌朝死んだ状態で発見されていたからである。いつ、誰がどうやって悪戯しているのか分からないが、校長先生が月曜日の朝礼の時に「悲しい」と嘆き、私達児童にすぐに止めるよう訴えかけていた姿が忘れられない。そんな時も、Yくんは目を潤ませながら悲しんでいた。


土曜日の教室で

 一番窓側の最前列が私の席だった。目の前にはテレビがあり、授業で教育番組を見るときは特等席となるところだった。

 Kちゃんは私の席の真裏に座っていた。入学式の時に話しかけてきた、あのKちゃんである。それ以来、多少は話せる仲になったが、私の人見知りっぷりは相変わらずで、クラスの5分の1程度しか話す相手はいなかった。

 幸い、私の席の隣はYくんだった。よくおしゃべりをした。そして、Yくんという人の優しさを知った。人としてどうあるべきか、教えてもらった。

 あれは、いつかの土曜日の2時間目だった。私が子供の頃は、月曜日から土曜日まで学校があり、水曜日と土曜日は午前中で下校するシステムだった。その日は3時間授業の日だった。

 授業を受けていると、私の机から前方に向かって、床の上を流れていく液体がある。あれ?これは一体なんだろう?

 しばらく考えて、Yくんに相談した。

「なんだか水があるの。」

「・・・・・・」

Yくんは、そっと後ろを振り返った。そして、Kちゃんの足元を確認すると、頷いた。私は何のことか分からず、とりあえず振り向き、Kちゃんを見た。Kちゃんは顔を真っ赤にして、目を潤ませながら私を見返した。

 私ははっとた。そして、Kちゃんの足元に目をやった。Kちゃんは、おもらしをしていた。


Yくんの気遣い

 Yくんは、そっと小さく手を挙げて先生を呼んだ。そして、何も言わずにそっとKちゃんの足元を指さし、おもらしの存在を伝えた。

 先生は、何を指さしたのか分からず、私の席の下から覗こうとしゃがんだ。そして、私の足元の水たまりを発見し、私に「もらしちゃったのか」と声をかけた。その声は、先生にとっては小さいものだったかもしれないが、クラス中がこちらを見るくらい大きな声だった。

 クラスの子ども達は、ほぼ全員立ち上がり、

「なになに?」

「え?もらしたの?」

と騒ぎ出した。

 私は、自分がもらしたと思われていたのを否定するために、首を大きく横に振った。そして、先生に事の真実を伝えるため、Kちゃんの方を振り返って足元を指さした。先生はようやくもらしてしまった子がKちゃんであることを理解した。


や~い、おもらし!

 時すでに遅し。クラス中が、おもらしに気付きはやし立てた。

「え~、1年生なのにおもらしした人いるの~?」

「や~い、おもらし!」

 私は、どうしたらよいのか分からず、Kちゃんを見ていた。Kちゃんは、ボロボロ泣き出していた。先生は、慌てる様子もなくモップを持ってきて、私に机を除けるように言った。私は言われた通り、机を除け、窓際に立っていた。

 何人かの男子は、私がおもらししたと勘違いをし、私に向かって叫んだ。

「信じらんない!おもらししてやんの!」

「や~い、おもらし!」

先生はその言葉を止めることなく、もくもくと処理をしている。Kちゃんは相変わらず泣いている。私は誤解されたままなすすべもなく、立ち尽くす。


仕方がないじゃん!

 そんな時、Yくんが立ち上がり、大声で叫んだ。

「仕方がないじゃん!」

 あたりは静まり返った。Yくんは続けた。

「我慢できなかったんだから、仕方がないじゃん!それを馬鹿にするなんて酷いよ!」

 皆静かに聞いていた。が、一人の男子が突然叫んだ。

「もしかして、Kのこと好きなんじゃないの~?」

すると、クラス中がどよめき、合唱が始まった。

「好き、好き、好き、好き……」

 Yくんは、怒った表情で着席した。私はそれを、ただただ窓際で眺めることしかできなかった。


人として

 その後、処理を終えた先生がKちゃんに帰宅するように話し、Kちゃんは泣きながら帰宅した。

 騒ぎ立てた子ども達(ほぼクラス全員)のことを先生は叱った。私はそっと席を元に戻し、Yくんに声をかけた。

「大丈夫?」

「人としてさ……」

Yくんは何かを言おうとして、途中でやめた。私はその続きが聞きたくて、聞き返した。

「何?人として、何?」

Yくんは下を向いたまま、怒りと悲しみが混ざったような表情で、

「人としてさ、失敗を笑うことは間違っているよね。」

「……うん。」

「困っている人を見たら助けるのが当たり前なのに、それを皆バカにするなんて。僕はからかわれても良いけど、おもらししちゃったことをからかったことは許せない。とても残念だよ。」

「……うん。」


思いやり

 私は、初めて「人を思いやる人」に出会った気がした。幼稚園時代から、人を罠にはめて嘲笑うクラスメイトや、自分の利益ばかりを考える大人たちを見てきたから。だから、自分の家族以外の人が、人に対して「思いやり」を持っていることに驚いた。

 それと同時に、「人を思う心」に年齢はないことを知った。残酷な遊びや愚かな行いをするクラスメイト達を見ては、私はどこかで、「まだ子どもだから」と思っていた。(自分も子どもだったのに。)その意識を、Yくんは覆したのだ。彼に対しては、尊敬の念しかない。

 結果としては、YくんはKちゃんを守れなかったかもしれない。けれど、Kちゃんの心にはその「思いやり」が届いていただろうし、少なからずKちゃんは救われたのではないかと思う。

 Yくんの「思いやり」を、私は決して忘れない。


~追記~

Kちゃんのこと、幼稚園の女子達のことは次の話に載っています。


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