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マンホール事件とお姉さん

 もう断片的にしか思い出せない。それをつなぎ合わせると、こんな感じだ。確か、3歳か4歳か、そのくらいの頃だったように思う。

 私はある日、マンホールに落ちた。一瞬耳を疑ってしまうようなこの出来事。そうそう無いことだろう。皆さんの中に、マンホールに落ちたことがある方は、どのくらいいるのだろうか。経験された方は、ぜひコメントをください。

後ろスキップ

 その日は、幼馴染のようこちゃんと、ようこちゃんのお母さんとおやつを食べた。クッキーを数枚と甘いミルク。多分ミルクセーキのようなものだったのではないだろうか。

 我が家のミルクは甘くしてもらえなかったので、とても美味しくてお替りしたことは鮮明に覚えている。ようこちゃんと競って飲んだ。

 お腹も満たされたことだし、ちょっとお散歩に出かけようかということになり、ようこちゃんと私は靴を履いて外へ出た。

 家の前の道を、2人で手を繋ぎ、スキップしながら公園へと向かう。ようこちゃんのお母さんは、後からゆっくりついて来た。子どもの足で5分程度の道のり。「走らないで行きますよ」の言葉に、はやる気持ちを抑えて、それでも抑えきれずスキップをして先を急いだ。

 3つ目の曲がり角を曲がって500メートルほど行くと、公園は左側にある。住宅街の中の小さな公園だ。ようこちゃんと私は、3つ目の曲がり角を曲がると同時に、スキップをやめた。そして、❝後ろスキップ❞に変更した。

 後ろスキップとは、その名の通り、後ろを向いた状態で、そのまま後方にスキップして進むものである。子どもにとってこれを習得しているかどうかは、ちょっとしたカースト制度のトップに上がれるかどうかを決めるものであった。更に、その後ろスキップができるだけではなく、そのスピードも重要視されていた。

おじさん、ありがとう

 後ろスキップで、公園の入り口へ向かって進む。ぐんぐん進む。ようこちゃんと並んでいたけれど、そのうち私の方が早くなり、ちょっと得意げに手などを振りながら進んでいった。

 やっと3つ目の曲がり角を、ようこちゃんのお母さんが曲がってきたのが見えた。そして、大声で叫ぶのが聞こえた。

「危ない!」

 私に向けられた言葉だと気づいた時には、もう遅かった。私は後ろを向いたまま、カラーコーンを蹴飛ばし、蓋の空いたマンホールにそのまま落ちていったのだった。

 そこからは記憶があまりない。確かおじさんがいた。私を抱きかかえて、壁に取り付けられた梯子を上ってくれた。マンホールから顔を出すと、ようこちゃんのお母さんが真っ青な顔で私を見ていた(と思う)。

脳へのダメージ

 話によると、救急車で運ばれたらしい。全く覚えていない。私が覚えているのは、真っ赤なライトだらけの、それはそれはとても狭い部屋に閉じ込められたことだ。頭や胸などにコードというコードをたくさん装着され、

「動かないでね」

と大人の女性に言われた。外の様子が分からず怖いと感じていたのは覚えている。しかし、泣き虫だったはずの私が泣かなかったというのだから大したものだ。(母談)

 どのくらい入院したのだろうか。(母に聞いても覚えていないという。本当に困った人だ。まぁ、35年以上も前のことだから仕方がないことだが。)

 覚えているのは、退院の日のことだけだ。

隣のベッドのお姉さん

 私が入院していた部屋に、お姉さんが入院してきた。何のために入院してきたのかは分からないが、社交的な母はすぐに仲良くなっていた。退院は昼食後だったはずなので、午前中のほんの少しの時間だけのおしゃべりだったと思う。

 私はと言えば、恥ずかしがってカーテンを閉め、一人で掛け布団をかぶり、ベッドに潜っていた。けれど、お姉さんの存在は気になる。だから、そーっとカーテンを開けてお姉さんを覗いてみた。

 お姉さんは私に気付くと、すぐに声をかけてくれた。

「おうちが近いんだって。今度遊びに来てね。」


 まさか、本当にそんな日が来るとは思わなかった。私は母に連れられて、自宅から自転車ですぐのお宅にお邪魔することとなる。

 そう。あのお姉さんの家だ。そして、お姉さんは私を覚えていてくれて、一緒にお絵描きや折り紙をして遊んでくれた。このお姉さんは、「とっても素敵な大人だ」と思ったのを覚えている。

 母の話では、その後お姉さんは引っ越してしまい、なかなか会わなくなったとのことだった。しかし、引っ越すまでは何度か遊んでくれたとのこと。

 私は、優しい人達に囲まれて過ごしていたことに、今さらながら気付いた。皆さん、本当にありがとう。私は後遺症もなく(?)元気です。

◎あとがき◎

 「マンホールに落ちたことがある」と話すと、決まって言われる言葉が、「嘘だ~!」である。その度に私は説明をしていた。なぜその話題を使うかと言えば、めったに経験した人はいないだろうと思っていたし、一発で私を覚えてもらえると確信していたからだ。

 人見知りが激しかった私。自分をどうにか覚えてもらえないと、「誰?」ってなことになる。だから、一発でインパクトを残すためにこの話をしていた。そう言えば、最近は使っていないことに今気づいた。きっと、そんなことを話さなくても覚えてもらえるという自信が付いたのだろう。

 脳には一応異常はない。友人からは、「異常だらけでしょう」と笑われるが。とりあえず、元気に過ごせている。助けてくれたおじさんとようこちゃんのお母さん、病院の関係者の皆さん、そして仲良くしてくださったお姉さんに感謝を伝えたい。心から、ありがとうございました。

もしもあなたの琴線に触れることがあれば、ぜひサポートをお願いいたします(*^^*)将来の夢への資金として、大切に使わせていただきます。