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虹のふもとで会えたなら

 多分あれは小学校2年生くらいの夏だったと思う。我が家は毎年九十九里へ海水浴に出かけたのだが、その年は熱海へ旅行に行った。祖父母や叔父叔母、従妹もいた。有名なホテルに宿泊して・・・プールでも泳いだっけ。


ハマグリとビール

 九十九里の海水浴場と記憶が混ざっていたら申し訳ないのだが、海水浴場には海の家があって、ハマグリやらサザエやらの魚介類が食べられた。私はハマグリが大好きで、父に焼いてもらってはパクパク食べた。父もハマグリが大好物だったが、私が欲しがると「よく食べるなぁ。ほれ。」と言って食べさせてくれた。その代わり、父はたらふくビールを飲んでいた。泊りがけだったため運転する予定がなかった。だから、ここぞとばかりに飲み、母に「いい加減にして」と叱られていた。兄は魚介が苦手だったので、一口も食べなかった。その分は、もちろん私のお腹の中に納まったっけ。


大波でぐるりと回って・・・

 従妹と泳いでいた。父も母も浜辺に腰を下ろし、こちらに手を振っている。叔父と叔母も座っていた。

 私達は浮き輪を1つしか持っていなかった。だから、交代で使って遊んだ。もちろん、通常の使い方などしない。テレビで見た使い方に憧れて、中央の輪の中にお尻をすっぽりはめて、浮き輪の上から脚と上半身を出して使っていた。波が押し寄せると、自分も浮き輪ごと浜辺へと打ち上げられる。とても楽しかった。

 それを何度か繰り返していた時、今までにない大きな波が押し寄せた。浮き輪の上には私。勢い余って、そのままひっくり返ってしまった。浮き輪から抜け出た体は、波に揉まれて思うように動かせない。水中で何回転しただろう。上下も分からない。目も開けられない。息もできない。苦しい。

 その時だった。私の体が海から引き上げられた。私はやっと息を吸うことができた。少し海水を飲んでしまっていたので、せき込んだ。そんな私の耳には笑い声。

 父だった。溺れている私の元へ駆けつけ、助け出してくれたのだ。そして、笑いながら、

「何やってんだ~」

と言った。私はほっとして、父にしがみついた。そして、ちょっとだけ泣いた。ほんのちょっとだけ。


 それからほどなくして、夕立が来た。パラソルの下へ避難して、雨が止むのを待った。止むまでに、それほど時間はかからなかったと思う。

 「あれ見て!」

頭にタオルをかぶせたまま、従妹が立ち上がって叫んだ。彼女の指さす方向を見ると、水平線のかなたに虹がある。

 人生で初めて見た虹だった。テレビや絵本や紙芝居などで何度となく目にしていた虹。本物はどれほどきれいなのだろうかと、ずっと見たくてたまらなかった虹。その虹が、今、目の前に見える。

「お父さん、虹のふもとまで行ってみようよ。」

私はとっさにお願いした。物語の主人公がするように、本当に虹を渡ることができるのか確かめたかったからだ。すると、兄が笑いながら言った。

「渡れないよ。光だから。」

「分からないじゃん。渡ったことあるの?」

「ないけど、分かるでしょ。」

「・・・・・・お父さ~ん。」

その会話を面白そうに眺めていた父が、私をそっと抱き寄せて言った。

「虹のふもとへ行けるのは、天国へ行くときだけだ。」


虹のふもとへ行けたなら

 父が亡くなってから、約20年。虹を見るたびに思うことがある。

 もしも虹のふもとまで行くことができたなら、父に会えるのではないかと。天国から「元気にしてるか~」と降りてきて、「酒くれや~」とニヤニヤしながら言い出すのではないかと。

 酒を飲んだ父は好きではない。だけど、私が虹のふもとへ行くときは、手土産に酒を用意しようと思っている。

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