見出し画像

認められたい

※イニシャルでは分かりづらいというご意見がありましたので、登場人物は全て仮名にて書かせていただきます。ご了承くださいませ。

 記憶は定かではないが、小学1年生か2年生の頃だったと思う。季節は冬。雪こそ降らなかったものの、寒い日が続いていたように思う。

 私は小学校生活にも徐々に慣れ、相変わらずの人見知りではあったが、話せる友達がクラスの半分を越えていたと思う。幼稚園時代のトラウマがあったので、女児に対しては警戒心が強かったものの、それでも5人くらいは女子の友達ができていた。


2人の先生

 先生の名前は小山先生。男性で、定年退職を控えていた。児童を孫のようにかわいがってくれる先生だった。相撲連盟か何かに所属していたようで、体育の時間、なぜか相撲を取らされることもあった。ダジャレが大好きで、ちょっとだけ面白い先生。声が大きくて、怒った時はもっと大きな声になって、とても怖かったのを覚えている。

 私はそんな先生が大好きだった。大好きだったのには理由があった。私を可愛がってくれたからだ。

 幼稚園時代の担任の先生は根本先生。女性だった。とてもきれいで、ピアノがうまくて、優しくて、本当に素敵な人だった。ずっと憧れていた。けれど、私のことは見てくれなかった。主任の子とその従妹のことばかり可愛がっていたことは、誰が見ても間違いなかった。

 今思えば、私はその友達に嫉妬していた。だから、その先生が2人ばかり可愛がる姿に失望したのだと思う。本当は失望したのではない。私も可愛がって欲しかっただけだった。


幸せいっぱいの雑用係

 私は、小山先生から「まめ」と言われて可愛がられた。可愛がられていたのは私だけではなかったが、それでも私は幸せだった。クラスで話せる子が半数しかいなくても、学校が楽しかった。

 何かにつけては、「おい、まめ、ちっと来い。」と呼ばれた。そして、肩揉みをしたり、黒板を消したり、職員室までプリントを取りいにったり。本当に雑用として使われていた。けれど、それでも楽しかった。頼られているようで、幸せだった。


張り子づくりの下絵

 話を出だしに戻そう。その日の図工の時間のこと。童話や童謡の中から好きな動物を選んで、「張り子」を作ることになった。

 「張り子」作りはとても簡単な作業だが、根気の要る作業でもあった。工作用紙を筒状にしたものの上に、膨らませた風船を置く。そこに、水で薄めた糊に浸した新聞紙を貼り付ける。何層にも重ねて貼り付ける。そして、今度は障子紙を貼り付けていく。これも、何層にも重ねて貼り付ける。最後に色を塗り、ニスを塗って完成だった。

 私は「森のくまさん」から、「くま」を選んだ。まず、出来上がりの図を紙に描いて小山先生に提出する。

「お、いいじゃないか。上手く描けてる。」

先生に褒められて有頂天で作業を開始した。


張り子づくり

 その作業は本当に大変だった。気が遠くなる作業。1時間で終えるものではなく、来る日も来る日も同じ作業を繰り返し、おそらく45分を2コマ、これを4週かけて作ったと思う。 

 だから、最初の頃はずっと新聞紙を貼り付けるだけの作業で、クラスメイトの中にはすぐに飽きてしまう子もいた。中には、他の子の張り子にいたずらをする子もいた。私はと言えば、人並外れた集中力で、夢中になって作業していた。

 私の隣には、カオちゃんがいて、「ぶた」を作っていた。「3匹の子ぶた」から選んだのだそうだ。お互い、完成したところを想像しながら、まだまだ新聞紙お化けの状態の張り子に、ペタペタと貼り付けていた。


ライバル

 いつしか、私とカオちゃんはお互いをライバル視するようになった。張り子づくりの作業が、私達2人だけ圧倒的に早かったのだ。そして、それを小山先生が褒めてくれるのだ。しかも、2人平等に。

 以前の私は、何人か可愛がられる児童のうちの1人で構わなかった。けれど、張り子づくりの時ばかりは違った。私は、先生に私だけを褒めてもらいたかった。なぜだかは分からない。きっと、先生の愛情を独り占めしたいと思ったのだと思う。

 もしかしたら、ほとんどの子は、作成のスピードを競って友達をライバル視するかもしれない。しかし、カオちゃんは私にとって、作成のスピードを競う相手ではなく、小山先生の愛情を受け取る相手として競っていたのだった。

 

皆の先生

 結局、カオちゃんと私は同じスピードで作り、ほぼ同時に作業を終えた。出来栄えも良く、他のクラスから先生方が見に来て褒めるくらいの出来だった。カオちゃんと私は、お互いの努力をたたえ合った。が、私は素直に喜べなかった。なぜなら、小山先生は平等に褒めたからだった。しかも、クラス全員。

 当たり前のことだと思う。担任をしていれば、クラスの全員を褒めるに決まっている。でなければ、幼稚園の時の根元先生のようなことになってしまう。だから、小山先生の行いは間違っていなかった。

 けれど、私は拗ねた。心の中で拗ねた。先生には、私だけを見て欲しかったのにな・・・悲しい気持ちになった。

 

独占欲と承認欲求?

 人には、「独占欲」があって当たり前だと思う。これが行き過ぎた時は問題行動となるけれど、幼少期はこれが強い傾向にあるのではないだろうか。

 また、私の場合は、過度な心配性や強い不安感、強い人見知りなどがあったため、心を許した人には認めてもらいたいという「承認欲求」もあったと思う。

 今の私は、恐らくこれらが緩和してきていると思うが、あの頃の私は非常に強かったと思う。それを相談できる相手もいなかったため、一人で悩み苦しんだ時期は長かった。それについては、また後日書きたいと思う。

 何が言いたかったのかと言えば、誰しも様々な欲求があって当たり前で、けれど、それとどう上手く付き合っていくかが大切だよな・・・という話。

 様々な人との出会いで、今の私が形成されているのは間違いない。嫌な思いをさせられても、可愛がってくれても、どちらも私には必要な人だったと思う。

 出会えたことに感謝。ありがとうございます。

もしもあなたの琴線に触れることがあれば、ぜひサポートをお願いいたします(*^^*)将来の夢への資金として、大切に使わせていただきます。