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遠い遠い記憶の片隅で
昼寝をしすぎた。頭がぼーっとしていて、何も考えられないし、何もやる気が起きない。景色も霞んで見える。その中で、うっすらと、さっき見た夢の記憶がよみがえる。そしてその夢は、幼いころに実際に見た光景だということに気付く。
父42歳、私3歳頃の記憶
母に確認したので間違いない。この出来事は実際にあったとのこと。私が断片的に覚えている光景と、母の話を組み合わせて書いてみようと思う。
どこか知らない場所ー掘っ立て小屋のようなチープな造りの建物ーの中で、大勢の大人が酒を酌み交わす。
ビール、焼酎、ウィスキー。
室内は、アルコールの匂いとたばこの煙でむせ返るほど、子どもにとっては劣悪な環境。私の父は、ウィスキーを飲んでいたように記憶している。私は瓶のオレンジジュースをもらい、大人に混ざってぐびぐびっとグラスを空ける。母の姿はない。
父たちの会話を思い出してみた。当時の政治の話だっただろうか、とても難しい話をしていたような気がする。だから、私は退屈で仕方がなかった。
父に外へ行くことを告げ、表へ出てみると夜だった。街灯がなく、真っ暗。カエルの鳴き声だけが響いている。きっと近くに田んぼがあったのだろう。
母が近づいてきた。
「どうしたの?」
「煙で苦しい。」
ここで記憶は一度途絶える。
母によると、母の叔父の家で何かお祝い事のような集会が開かれたことがあったとのこと。その時の記憶だろうと話してくれた。
嫌だけど嬉しかったこと
私は❝お父さん子❞だったらしい。父が39歳の時に生まれたー遅くできた子どもーということもあり、また父の念願であった女児であったことも重なり、とても可愛がってくれたようだ。何かにつけては、
「まみ、ちょっと来~ぃ。」
と呼ばれては、膝の上に乗せられていた。そして、父の酒のつまみー刺身やピーナッツなどーをもらっては、父の膝の上で食べていた。
そんな時、酔っぱらった父が必ずしてきたことがあった。それは、夜になって伸びてきたひげで、私の頬をじょりじょりと擦ることだった。痛がる私に、
「何で逃げるんだ?ほれ~!」
と言いながら、何度も何度も繰り返して擦りつけるのだ。
最初のうちは嬉しいのだが、仕舞いに私は痛みとしつこさに嫌気がさして、いつも母に助けを求めるのだった。今思えば、厳格で不器用な父の愛情表現であり、お酒の力を借りないとできないことだったのかもしれない。
父とお酒は切っても切れない。そのことについては、追い追い書いていこうと思う。今日は、久しぶりに見た父の夢と母の昔話で一杯やるとしよう。
◎あとがき◎
そうだ、私はお父さん子だったのだ。懐かしい記憶。何かにつけて私を連れ出し(連れまわし?)ていた父との思い出・・・だから、母や兄がいることは少なかった。いや、もしかしたらいたのかもしれない。けれど、私は父しか見ていなかったのだろう。
私には4歳年上の兄がいる。運動音痴ではあったが、とても優秀な人だ。私は兄が大好きだし、尊敬もしている。と同時に、兄には申し訳ないと感じているのも事実だ。父は兄に厳しかった。だから、きっと私が違う形の愛情を受けているのを見て、いやな気持をしていただろう。
大切な母と大好きな兄についても、追い追い書いていこうと思う。
というわけで、今日は惜しい酒が飲めそうだ。と書きながらすでに飲んでいるあたりが、父に似ていると思う。
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