見出し画像

地獄のひよこクラブ~3歳頃~

 あれは確か、満3歳になったくらいかそのちょっと前のことだったと思う。私は、母に連れられて、児童館に連れていかれた。その児童館では、「ひよこクラブ」というサークルが保育活動を行っていた。先生と呼ばれる大人が3人ほどいたし、10名以上の母子もいたことを覚えている。

 その日、私は何も知らされていなかった。自転車の前の椅子に乗せられ、どこに行くかも告げられず、ただ自転車で運ばれていた。風を切って走る自転車。天気が良く、とてもが気持ちよかったことを覚えている。

「ひよこクラブ」は恐ろしい・・・

 児童館に到着すると、駐輪場で降ろされて手をつながれた。少し引っ張られ気味に歩いた様な気がする。「どこに行くの?」と聞く私に、母は優しく「きっと楽しいよ」と答えた。答えになっていない。

 靴を脱いで上がり、一室のドアを開けた。すると、大勢の母子と先生と思われる大人たちが一斉にこちらを振り返った。一瞬にして、私はフリーズした。そう、私は極度の人見知りだったのだ。

 母の後ろ、いやお尻に隠れた私は、一言も発することができずに一生懸命にドアの方向へ母を引っ張った。帰りたくて仕方がなかった。なぜこんな地獄のようなところに連れてきたのだと、怒りと悲しみで一杯だった。そんな私をよそに、先生らしき大人と母が話を始めた。

「こんな感じなんです」と、母。

「そうなんですね。ゆっくり見ていきましょうね。」と先生。

 私はすぐに察した。母は、極度な人見知りの私を心配し、児童館へ連れてきたのだと。そして、この地獄は今回限りではなく、何度も繰り返されるのだと。悲しくて悲しくて、涙が止まらなかった。

 一人の男の子が近づいてきた。一緒に遊ぼうというようなことを言っている。ふざけるな。誰が遊ぶものか。私は今、とても悲しいのだ。そんなことを考えていたように記憶している。

 母のお尻に隠れたまま、足の隙間から様子を窺った。母子は楽しそうに笑いながら、マット運動らしきことをして遊んでいる。「お芋になって転がろう」などと先生が言っている。芋は自分では転がらない。人が転がすから転がるんだ。そう思って見ていた気がする。子ども達は皆横たわり、両手を頭上で合わせて芋になりきり、マットの上を笑いながら転がっていた。私にとっては、とても不思議な光景だった。

 どのくらいの時間が過ぎただろう。やっと帰れる時刻となったらしい。先生が、「また来てね」と言いに来た。絶対に来るものか!と心の中で叫んだ。

困った子・・・

 夜。父が帰宅し、夕食の時間になった。今日の出来事を母が話し始めた。児童館へ行ったこと、お尻の後ろに隠れていたこと、何も参加しなかったことなどなど、母の話は止まらない。

「楽しかったか?」と、父。即座に首を振る私。それを見た母が言った。「本当に困ったものだよ、まみには」

その言葉が、幼い私の心に鋭く突き刺さった。そうか、私は困った子なんだ。困った子だから連れていかれたんだ。お母さん、困ってたんだ。

それからというもの、私はこの「困った子」という自分への解釈がなかなか変えられず、何年も苦しむこととなった・・・。

◎あとがき◎

 誤解しないでほしい。私は母を恨んでいない。母もこの時は「困った子」とは言っていないと記憶している。ただ、困っているという言葉を、私が勝手に「困った子」として解釈しただけだ。けれど、私は自分で作り出したこの言葉に何年も苦しめられることとなったのだけは覚えている。と同時に、「どうせ私は困った子だし・・・」と自分をさげすんでいたことも思い出した。マイナスな言葉は、マイナスしか生まないことに気づいたのは大分大人になってからのことで。今の私なら、あの時の母も、あの時の自分自身も「大丈夫だよ」と抱きしめてあげられたのに・・・と今、書きながら思った。

 自分が母となり、母の気持ちがよくわかるし、母が取った行動も理解できる。我が子のために必要なことを取り入れていこう、欠けている部分を補ってやろうと思うのが、親なのだと思う。だから、母を責める気は毛頭ない。むしろ、感謝の気持ちで一杯である。

 あの時は、心配ばかりかけてごめんね。大丈夫。私は図太くなりました。

もしもあなたの琴線に触れることがあれば、ぜひサポートをお願いいたします(*^^*)将来の夢への資金として、大切に使わせていただきます。