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ガラス事件

 父と荒川の土手へ散歩に行くことは、しょっちゅうだった。子どもの足で歩いて行ける距離に住んでいたことが大きかったかもしれないが、自然に親しませたいと思っていたこともあったようだ。

 その日は、父と兄と私の3人で出かけた。荒川の土手にあるゴーカート乗り場へ遊びに行ったのだ。コスモスが咲き乱れる時期で、風も涼しくなってきたころだったように記憶している。

赤いゴーカート

 ゴーカートは、当時の年齢では無料で乗れた。大人とある程度の年齢の子ども(もう忘れてしまったが)は100円だった。私は何度も何度もチケットの販売所へ走り、何度も何度もお気に入りの赤いゴーカートに乗った。青や黄色もあったのだが、赤いゴーカートが良いと言って順番を譲ることもあった。なかなか乗れない時は、泣いて係員を困らせたこともあったようだ。係員だけではなく、順番待ちをしている年上の子やその保護者の方に譲ってもらった記憶もある。とても面倒な子供だったと、今になって思う。

 ゴーカートのコースは2種類あった。近道コースと通常コース。私はもちろん長く乗っていたかったから、通常コースを走る。すると、どこからか父が現れ、写真を撮ってくれる。(大人になってアルバムを見返してみた。真剣な眼差しで乗っている写真ばかりのため、ほぼ笑っていない。もともとあまり笑わない子だったと兄は言うが。)

ブランコと泣き虫

 コースの端々には、芝生の広場や遊具が設置されている場所があった。決まってブランコに乗り、兄と高く乗れるのどちらかと競ったものだ。兄とは4歳離れていたので、負けることは目に見えていたのだが、当時の私は勝つことに真剣だった。本気で勝とうと思って挑んでいた。そして、負けるたびに大泣きして父と兄を困らせた。

 そして、いつまでも泣き止まない私に向かい、最後に決まって言われるのが、

「や~い、泣き虫~!」

「泣き虫毛虫、挟んで捨てろ!」

 お決まりの調子に乗せて、この言葉を浴びせてくる父と兄。人差し指を出し、虫が動くようにその指を動かしながら言うのだ。

 この時ばかりは腹を立て、2人を叩いて怒ったものだ。今となっては懐かしい思い出だが、当時は本当に嫌だった。そして、本当に泣き虫だった。どうでも良いことでよく泣いていた、そんな気がする。

ガラス事件

 帰り道、私は父の自転車の前かごに乗った。何かのアニメで見たと思うのだが、前かごにちょこんと乗る動物の姿を思い出し、自分もそうしてみたいとごねたのだ。泣き虫だった私をこれ以上泣かすのも面倒だと思った(に違いない)父が、前かごに乗せてくれた。そして、自転車で土手を走っていく。

 途中、道路の下(高速道路なのかただの橋なのかは覚えていない)をくぐるのだが、その時に事件は起きた。

 普段から砂利やガラス片が散らばっている危険ゾーンだったまさにその場所で、父がバランスを崩し、自転車が横倒しになったのだ。その拍子に私は前かごから放り出され、道端へ転げ落ちた。

 人間というものはすごい反射能力があるものだ。顔を打つ前に、きちんと両手が出る。そして、まんまとその両手にガラス片が刺さった。実に痛かった。

 泣き叫ぶ私に父が駆け寄り、ガラス片を取ってくれた。

「ごめんごめん。おー、痛かったなぁ。」

兄も心配そうに駆け寄ってきた。

「家に帰って消毒してやるから、もう泣くな。」

 そんな言葉をよそに、掌から止め処なく流れてくる自分の血を眺めながら、ひたすら泣いたのを覚えている。


 後日談だが、兄から聞いた話によると、父は母に激しく叱られていたらしい。威厳のあった父が小さくなって叱られている姿に、兄は驚いたと話していた。

 消毒だけで済まされたのか、病院へ行って処置を受けたのかまでは記憶がないが、今でも小さく傷は残っている。とても懐かしい思い出の傷。。。

◎あとがき◎

 兄から見たら、いつも怖い父親だったらしい。その父が、母に怒られて小さくなっている姿は、本当に驚く光景だったそうだ。

 そりゃそうだ。可愛い娘に怪我を(しかも、前かごに乗せるという危険を冒した結果起きている事故で)させて帰宅したのだから、母も怒るだろう。

 私も小さくなっていた父を見ているはずなのにそこを覚えていないところが実にもどかしい。きっと、父は覚えてないことを喜んでいると思うが。

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