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我々は、既に死んでいる!


567は、コロナだから!4後から8の無限のソラまでと!
子路名・固路名・古路名(コロナ)しな
2019年我々は、槇原敬之デビュー30周年に時を、合わせたかの様な麻薬所持の逮捕劇と共に報道された乗船拒否のニュースが流されてそれが発端でコロナが流行り長期化も懸念されたが、致命傷にいたらずに2024年今日は6月20日を迎えている。


悪いが、少し時間を止めて置いてくれ!
※「ある」故にないはない!※
わたしが、この世界がある、と言う事に、間違いを見つけたのは、小学5年生の時だったと思う。
近所に住むよしたけにーちゃんから、この宇宙が、無限永遠だと聞かされた時だった。はじめも、おわりもないなんて、おかしな世界だなあと思い夜空をみあげ、これがなかったら、完璧だったのに!
と考えたが、だからと言ってどうしようもなく、その問題は、忘れ去って行った。
また、わたしを直撃したひとつは、母から、神様がいつも見ているねんで、と、聞かされて、だれもいない背後から、見られている、視線を感じ、嫌な思いを受けた事が、あった事と、学校の先生が、漏らした「こんな世界誰が作ったか知らんけど」と言う発言に、チンプンカンプンな、疑問を感じた事である。



とにかく、「ある」と言う事が、如何に、展開しても、絶対的であり、なぜなら、あると言う事実が死んで無に帰せても、合ったと言う事実が、存在に引き戻してしまうからである。
念の為に述べておくと、「ない」というのがあったなら、それは、あったのだから、無いとは言えないでしょうと言う事である。
存在を知らされている我々存在は、いかに傷つこうとも、苦しもうとも、おのれを消せる「ない」に成れる方法があるにはあるが、しかし、それは、真にないのではなく、せぬ、やらぬ、できぬ、しぬの「ぬ」、と、最初のわれである吾「あ」である、われの吾(あ)と、意味、意思の「意」である「ぬ・吾・意」の「ぬあい」を、マッハを超えて「ない」に成る意思として可能は可能だと言うに過ぎない。ひとつ無駄話をするが、「し」は、死より先にあったのであり、「し」は、しなさい。
それし、あれし、そうし、の様に、「する」の意が、元で、その「し」を、せぬを、イントネーションは違うが、「しぬ」と成りアクセントを変えて、死ぬ(しぬ)が転じて死を意味しだした。
 



※さて現在に戻ろう!
コロナは、流行り病がその本質ではない。
コロナの語呂合わせは、567であり、4後から8までである。
つまり、死後から無限末広がりの、八色人の世界までの、路のり(みちのり)の名をコロナで表し、子路名・固路名・古路名(コロナ)
と綴る(つづる)そして、神仏の子の歩む路のりの名であり、
固まりである肉体の霊的進化の路のりの名であり、最終的には、内観だけで事足りる生命への路のりの名であり。
はたまた、古き良き時代を復旧する路のりの名であるのだ。
そして、567は、釈迦が、預言した、56億7千万年後に弥勒が下生(げしょう)し、地上天国を気付くと言った、その567でもあるのだ。
実は、40年ほど前に、私は、訳もわからず、技術の時間で作った、仏の面と、般若の面をもっていたのであるが、仏の面を顔に付け「かーみのみろくじゃあ」と口走った事があり、弥勒(みろく)を知らない私は、神の魅力と言ったのだろうと、思っていた。
ところが、弥勒と言う菩薩がおり、釈迦が預言した事を知り、驚いた訳であった。


ここに来て、一体何からどう書けば筋道が立つかであるが、これを言うとキチガイの戯言かと思われるので嫌なのであるが、そうした我々の生き様を蔑視する奴らは、生きてはいるが、気にしなければ死んでいる奴らであるので、ほっとくとして、話をつづけるが、わたしは、精神障害者になって久しいが、2019年頃から、私は、意識の次元の旅とでもいう他に適切な表現が、見つからないのであるが、その旅に流されて、ほとんど、退院が、即入院で、現在2024年の6月だから、5年あるいは、6年かの間、転々と入院している。
とにかく、精神病院ほど理不尽なところはない。
ベット固定に1か月縛られて見ろ、まともな者でも気が狂うと言うモノだ!
私は、還暦を迎えて人が変わった!
この屈辱とも言えるこの病の自分への慰謝料に、最低でも、1兆稼がねば、死ぬに死ねない。むろん私が死ねない事は、弥生(やよい)プログラムが働き、あまねく生きる事が、聖書においても、死が逃げて行くとされており、コロナ道を歩む者は、人とは死別し、他人の死は、見うけられるものの、自己の死には巡り会えないからである。




それが証拠に「しらきみのる」の2度目の訃報を、今年か去年に耳にした。
たとえば、太陽コロナは、太陽を覆う幕であり、これは、時代の終焉をあらわす暗号指令567であるのだ!
そして、コロナは、元々、ウソが元のお芝居だったのであるが、歴史は、既に、密約で、筋道が決められており、世界の要人たちは、コロナを芝居として、日本に天皇を復権させ、その芝居の中で、貴族たちが、活躍し、民主主義を撤廃し、貴族院の様な、正しい差別ある世界へ、戻し、乱れた風紀や、正しく位のある世界に返す事をもくろんで、始めたお芝居コロナが、本当の火事である事に、当のトランプ氏が、幕引き係である中国の失態で、本当のコロナを自身にあびて、中国を非難していたと言うのが、潜在意識下で起こっている現実だったのである。
また、これは、現実に載っていた情報ですが、北朝鮮は、孤立などしておらず、別のルートで行くとリゾートの北朝鮮に巡り合うらしい。
とにかく、私の妄想は、関係妄想であるのだが、この関係妄想は、実に、妄想に都合の良い現実を運んで来て、思考は現実化する、ならぬ、妄想も現実化すると出来そうである。



ただ、そもそもの原因は、世界があってしまった為である。
時あった故にすべてが、生じてしまった。
なぜなら、時とは、物理的時間と違い
一方的に過行く、変化であるからである。
変化がなければ、感じると言う変化が起きない故に、ないに等しい
つまり、すべての根本原因は、時である。
それゆえ、時と言う字を解説しよう。
時の造りは日と寺である。最初に日(ひ)が照らす、テラスの露壇(ロダンつまり、考える人)から始まった。
ロ(ろ)というのは、ハ長調の最上段のシ音であり、エルサレム(シオン)の意味を含む音程であり、日(ひ)が日(にち)に成る前の口(カタカナのろであり、くちであった)
日(ひ)が照らす、テラス(寺素)の左にありし日の素は、ロダン(露壇=テラス)ゆえの、シオン・ロ音の元々のロ型
この口(くち)の真横に中央左端から右端までを、一路邁進(いちロまいしん)する光がござった。



このひかり、左端から右の端まで、達成すると、新たに上下にロ型が生じ、2つのロ地(ろち)の日型、二地(にち)のひ、煮ろのぶ、どっち取る。
日露(にちろ)戦争にち勝ちて、ひのもと、ひのくに、日の本(にちのもと)、あらため日本(ニホン)と呼びし事と成り申す。
時(とき)の左で日(ひ)もゆるとき、秘密の抜け穴通り抜け、現れたるは、右の天空十字の上で、十字架背負いし、天界の地を合わせた大地を土で通智(つち)と読み申す。
土の下、ちょっとを意味する寸の字(すんのじ)が、この世の大地で、ありんして、天に捧げた身義(みぎ)を悔い、後悔の悔いを右(みぎ)よりに、杭を大地に突き刺して、身義を頼りに眠る時、奈落の底まで落ちてはね、パッと浮かんだ土中の豆に(どちゅうのまめに)、ソラの実じゃった死炉(シロ)知らずの6音階10音を思い出しては、なつかしく、ソ絶って(ソだって)しまって人間ならば音子(おとこ)でありたが、天に召されて神の音名(おとな)と成り果てて、音名(おんな)と呼ばれし、切り巣をメスで切って付け、聖域守る、家巣の切り巣に戸を設け、切り巣戸(キリスト)達の、家好きリストに名を連ね、いいえ、好きです、イエスキリスト。と申したり。
6音階10音じゃったは、音楽史にもちゃんとあり、第8、第9に、ト音、嬰ト音の2音加わえ、7音階12音で、ト音と言えば、葉に穂へ十色の十音であってハ長調ならソの音で、十音(トおん)の十(ト)とは、キリストで、ソ音言うたら、先祖祖先の祖の意味で、十と祖に重荷のリック背負わせ、加えたリックの加十リック(カトリック)に、加祖リック(カソリック)として秘密を開くはコロナであるから。十字架の架にも同じ加えた十を第八音の八加えた文字が木であって、木を加えた、そのトリックを隠した架の字でもありたぞなー。
半音上げるを嬰(えい)としたのは、第九音も8とする為、嬰ト音でエイトの8の意味に成るから。半音下げしを変としたのは、お遍路さんの変ロの音を入れる為。


ひととは、非十を意味し、九までであり、十は、獣(じゅう)である、ライオンが治し、世界で、ハ長調で10番目の音程はラであり、音名は、イである。すなわち、ライ音である。そして、イエスも、天10(テン)など望まなければ、シとし死知らずでありたのに、10(テン)を望んだばっかりに、シし死合わせた天上界第12番目の最上階ロ音までの道のりを知りし事と成り申す。
非十(ひと)を超えて(十)テンと成りし時、それは、誰が天(テン)かを競う時、ナイト(無い十)達が、みなも、「ナイン・イエス」を白状しだし、「はい、ありません。
ナインです。」と言いだし、イエスが天と成り申そうかと成りし時、ふいに、NOテンより、あらあらわれし天皇(テンNO)が、アイム・サーティーン!私が13キング《可座理(かざり)》だと言う声がし、ジーザスジャックにクィーンエリザベスに、天上界の招きに会い、まずは、ジーザスジャックに、天においては、非途(ひと)でもある為、色即是空、空即是色の心頭滅却すれば、火もまた涼しい、を体得しておらねばならないとして、イエスの世界を地獄絵巻と変えられ。



その地獄絵巻の壮絶さに、聖母マリアの銅像が、血の涙を流して、世界が仰天した記録が記(しる)されている。非十を超えし世界である為、明日を地球とする、アースのイギリスは、血で血を洗う、歴史を持つ事となった。日本は、おとな(音名)である音名(おんな)の世界に現れし、朕(ちん)の世界であった音子(おとこ)ゆえ、子どもであるが、実音シャープな存在であり、音固(おとこ)であって、おんなの子宮(しきゅう)に玉を放射する音の固まり「朕(ちん)固(こ)」を持って生まれた、差のある存在で、その差を担当するサタン(差担)を付けて、「ひのくに」日本を蛇パンとして「へびのパン」でガードした。












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