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それから30年の時が流れた
10歳の頃のある日の記憶。
そのとき私の母は40歳を迎えようとしていて、誕生日のお祝いに母の友人が近くにいた。
彼女は母に向かって『人生の折り返し地点に来た感想はどうですか?』と、どこかニヤニヤとした顔で訊いた。
母は何かしら普通に答えていたと思うけど、私はその時なんだか『感じ悪いな』と思っていた。
その時の母とほぼ同じ年齢になった今も時々思い出す。
当時はどうして自分が『不快な気持ち』にな
推しに対する重めの感情を持て余すとき、おそらく伝えることのないアーティストへの愛を顧みる
推しの女性声優さんがいる。
定期的に手紙を書いたり、プレゼントを送ったり積極的にイベントに行ったりする。
私にとって星の光のような存在であり、力をくれる人だ。
だから私も何かを返したいと願ってしまうし、僅かながらでも力になりたい。
善良で品行方正なファンでありたいと思いながら、時々レスをもらえれば心から幸せだし、もっと欲しいと思ってしまう。
ましてや、その人が男性と結婚のご報告……なんてことに
水を飲むのがつらかった
「一日に水を〇リットル飲みなさい」的なことを、メディア等々でかれこれ20年くらいは耳にしている気がするけれど、私は水が苦手です。
味噌汁ならそれなりに飲める。コーラも飲めるよ。
梅昆布茶も飲めるし、お茶は……そんなに飲めないけど。
タンブラーに朝入れた200mlくらいのコーヒーは終業時間まで残っている
冷蔵庫のお茶のペットボトルもなかなかなくならないし
つまり、日ごろから水分摂取が得意ではな
なんだか悲しいって思うとき、原因は心の中にないのかも。
半年くらい前、朝目が覚めた瞬間悲しい気持ちになることがあった。
起き抜けの体温が上がりきらない、頭も働かない状態で、なぜか心だけがスンと寒い感じ。
なおかつそういうときって、直近で起きたちょっと嫌なことや、心配事が胸に入り込んでくるもので。
働かない脳は素直にジャッジしてしまうのだ。
『ああ、直近で起きたあれのせいで私は今悲しいのね……』と。
そうなるともう、それは確定事項となって『あれのせい
私はまだ、言葉がいらない世界に到達できていない
いわゆる障がい児と呼ばれる子どもたちと関わっている。
言葉を話さない子もいるけれど、日々接していると決して『言葉を話す能力がない』という雰囲気ではない。
むしろ、言葉というツールを使うことを必要としていないというか、敢えてそれを選択しているように思えることさえある。
一般的に、なにか完成された形があって、そこから能力が損なわれた状態が『障がい』と呼ばれている。
でもそれは本当だろうか。
『完
乳酸菌とワンチームになった日
私は乳酸菌を信頼している。
同僚も乳酸菌と同盟を結んでいるらしく、職場のデスクにでかいビオフェルミンの瓶を常備している。
先日、なにやら悪い顔でビオフェルミンを手に取ると、「本当は1回3錠なんだけどね……私は4錠飲むよ。オーバードーズ」と言っていた。
平和な職場だと思う。
ちなみに私も、ビオフェルミンとロイテリ菌を愛用している。
ロイテリ菌は口内などに定着して、歯周病や虫歯リスクを減らしてく