私はまだ、言葉がいらない世界に到達できていない
いわゆる障がい児と呼ばれる子どもたちと関わっている。
言葉を話さない子もいるけれど、日々接していると決して『言葉を話す能力がない』という雰囲気ではない。
むしろ、言葉というツールを使うことを必要としていないというか、敢えてそれを選択しているように思えることさえある。
一般的に、なにか完成された形があって、そこから能力が損なわれた状態が『障がい』と呼ばれている。
でもそれは本当だろうか。
『完成された形』という前提そのものが、正解ではないという可能性はないだろうか?
人は生まれて数年すると、大半は言葉を使い始める。
コミュニケーションの手段として、それは有効な手段だと思う。
しかし言葉は不完全だ。
思っていることを、1ミリのズレもなく的確に言語化できる人は少ない(いない、と言っても過言ではないかもしれない)
そしてさらに、例えそれができたとしても、それを聞く側の受け取りが適切でなければ、やはり正しく伝わらない。
言葉を使わないと意思疎通ができないというのは、なんと手間のかかることだろう。
だから、時々『言葉を用いずに生きる彼ら』を見て思う。
本当は、テレパシーが使えるんじゃない?
言葉なんていらない、生き物として最先端の能力があるんでしょう?
私はまだそれができないから、あなたの思いを上手に汲んであげられてないけれど。
そんな風に問いかけてみることもある。
正解なんてわからない。
でも、私にとって彼らの隣は居心地がいい。
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