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表現と創作をして生きるすべての人たちへ

私は自分の表現するもので、誰かをちょっと幸せにしたいと思っている。

たとえば文章で。
たとえば歌で。
言葉で、拙いぬくもりで。

私が表現するものはほんの一握りの人たちの目に触れる程度だけれど、感想を頂いたり、いいね的なものをもらえるとすごく嬉しい。

文章は私が書きたいから書いているし、基本的には私が読みたいものを書いているけど、それでも『無人島のような誰もいない世界に行ったとして、同じように文章を書くだろうか?』と言われたら、多分私は書かない。
少なからず、読んでくれる誰かのために書いている。

それが承認欲求だと言われればそうなのかもしれないけど、どちらかといえば『私の表現するもので、誰かがほんの少し楽しい気持ちになったり、せつなくなったり、ドキドキしたり、日々の彩になれたらいいな』ということを思っている。

人を幸せにしたい欲求、かもしれない。

ところで、最近まで私は自分の中のこの気持ちとかなり深く向き合って、少し悩んだ。

『私の表現って、誰かを幸せにできているんだろうか?』
『本当は誰の目にも触れていなくて、誰の心にも届いていないんじゃないだろうか?』
みたいなことを延々と考えた。

昨年末に、ふとこれを親友に話してみたところ、彼女は『それはもちろん幸せにできている』と断言した。
理由は?と言うと、『いいなと思ってくれる人が、見えるところに1人いたら、見えないところには30人いる。ゴキブリと同じ』と言われた。

突如降ってわいたG。
台無しだ。
でも、感覚としては理解できた。

彼女は自分が受け取る創作やエンタメに対して日々幸せを感じているけれど、創作者や演者に対してコメントをしたり、いいねをすることはほとんどないと言った。
けれど、書いてくれてありがとう、描いてくれてありがとう、これを生み出してくれてありがとう、という気持ちを常に持っている。

焼肉屋で牛タンを焼きながら、そう語る彼女は幸せそうだった。
だから私も、『見えないけれど、私の表現するものは誰かを幸せにしているのかも』と素直に思えた。

これを読んでいるすべての表現者さんたちへ。

あなたのことを褒めてくれる人が1人いたら、本当のあなたのファンは30倍います。
誰かと比べて落ち込む夜もあるかもしれないけれど、あなたの表現を心から愛している人、それでもあなたにそれを伝えられない人がきっと見えないところにたくさんいて、あなたの表現を心待ちにしています。
あなたが幸せにしている人の数は、数字では測れないとしても。

あなたが表現してくれていることに、心から感謝します。

1/30のGより愛を込めて

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