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エッセイ・感想文

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自身のエッセイ(モドキ)、読書感想文・コンサート感想文などをまとめました。
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#スキしてみて

【エッセイ】感受性を殺してでも生きるべきか 

【エッセイ】感受性を殺してでも生きるべきか 

日課で新聞を取りに行く。冷たい風に当たり、私は過去に引き戻された。

抑うつなどの症状が出たのは16の時だ。原因は「記憶があふれる」。今のこの空気は1年前の何月何日、何をしている時、3年前の…4年前の…7年前の…といった具合だ。空気に限らない。音、におい、見るものなど感覚に訴えてくるものはみな対象だ。記憶は毎日積み重なってゆくから、当然、年を重ねるごと、苦しくなってくる。学校に行くにも、とにかく道

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【感想文】ドビュッシーとラヴェル@芸術劇場4.13(前半)

【感想文】ドビュッシーとラヴェル@芸術劇場4.13(前半)

先日、久しぶりに、一人でクラシック・コンサートに行ってきた。大学生の頃あたりは、かなり頻繁に様々な芸術に触れていたものだが、大学院に進んだ頃から、勉強で忙しくなり、いつの間にか遠のいてしまった。クラシック音楽だけでなく、クラシックバレエ、現代バレエ、絵画展、彫刻展、演劇など、古典・前衛問わず、場所も、色々な所に行った。
最近、またクラシック音楽を聴きに行きたくなり、詳しい友達から情報を得て、一人で

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心理学と現象学について~心理学批判その2~

心理学と現象学について~心理学批判その2~

前回は心理学と法律学の共通点について述べた。今回は『精神分析入門』のメモの中の一つ、現象学とのかかわりについて述べよう。

前回「現象学の始まりが記述的心理学であったのはうなずける」と書いたが、記述的心理学とは、フッサール初期において、あくまで直観にとどまって、そこに与えられるがままの心的諸体験という事象そのものを純粋に記述していこうとする「理論の前段階」としての「純粋記述」であった。

だが中期

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【エッセイ】ふるさと、そして、未来

【エッセイ】ふるさと、そして、未来

初めに、このエッセイを投稿するにあたりまして、今回の地震で、故郷へ帰省する際に被害に遭われた方、故郷にて被害に遭われた方、また、災害のために帰省を断念された方々も含め、被災された全ての方々に、心より、お見舞い申し上げます。
          まどろみ天使

 私たちは時間の流れの中で生きている。ふるさとと未来は、それぞれ時間のどこに位置するのだろうか。とりわけふるさとを場所でなく、時間に於いて捉

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【エッセイ】死、そしてロゴスについて

【エッセイ】死、そしてロゴスについて

プラトン『パイドン』におけるソクラテスの死に対する考え方は、何かを純粋に知ろうとするならば、肉体から離れて、魂そのものによって事柄そのものを見なければならない。その時とは、肉体と魂が分離する、つまり我々が死んだ時である。それ故、ソクラテスには、これまでの人生においてその為に大きな勤勉さをもって追求してきたそのものを十分に獲得するという、死んだ後の世界への希望があった。私はこの考えに準じない。

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【エッセイ】芸術についての走り書き

【エッセイ】芸術についての走り書き

芸術受容の態度は、その目指すものが美的対象そのものであるべきであり、そのときにおいてのみ、作品の真の評価が可能となる。享受の対象が感情である場合(我々は気づかぬうちにこのような態度=ディレッタンティズムをとっている場合が多い)、芸術は享楽の刺激物として、作品は芸術以外の感情喚起ないし陶酔手段と異ならない。

私は真正なる芸術体験とはセンチメンタリズムと主知論の間にあるものであると考える。

ところ

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【エッセイ】夢の中のひと

【エッセイ】夢の中のひと

あなたが戻ってきた。

私たちは毎日会って、会うたびに何度もキスをして、会うたびに何度も抱き合った。
そうして6年間、私たちは狂ったように愛し合った。

別れは突然だった。
なぜだったのか分からない。
愛しているまま、別れた。

あなたは昔と変わらず、面白くて、とびきり優しかった。
二人で、海を見ていた。

あなたが帰らなければならない時、私が目覚めるのだと思った。これが夢だと分かっている夢を見た

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【エッセイ】死の否定と生の肯定

【エッセイ】死の否定と生の肯定

死の否定と生の肯定は、必ずしも同一ではない。
私はようやく死を否定できるに至ったが、果たして生を肯定しているかとなると甚だ疑問だ。

宅建の勉強の時から疑問を抱いていた。毎日新しい知識を身に着ける私は、同時に日々馬鹿になっていっているのではないか。退化しているのではないか。

新たなことを知る、新しいことをする、またはできるようになる、それらがいかに大きなことであっても(例えば仕事であっても、人助

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【エッセイ】桜を見て死にたくなってしまう君へ

【エッセイ】桜を見て死にたくなってしまう君へ

梶井基次郎の『檸檬』(短編集)を久しぶりに再読。
最近は読むペースが格段に落ちたことに加え、つい軽めの本に流されている。久々に文学作品に触れたよろこびは大きい。
最後に「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」という冒頭で有名な『桜の樹の下には』が収録されている。

私は主に10代から30代前半、詩を書くことで生き延びてきた部分もあったが、桜という題(あるいはモチーフ)で詩を書きたいと思いながら結局書

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【エッセイ】見つめる先にあるもの

【エッセイ】見つめる先にあるもの

 手のひらを見つめるとき、そこには存在の蓋然性を認めずに済む。つまり、猜疑の余地なく、生きていることを再確認できる。
 しかし鏡の中に認めるものは異なる。鏡の中では、私はこの肉体を自分の一部あるいは自分自身だと思えない。顔を見るのは尚更危険である。私の瞳は私の瞳を映しているではないか。なぜに自分の瞳を自分で見る必要があろう。

 人と人も向き合うべきか。しかし幾度も瞳の交換をして何を得るのだろうか

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