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【エッセイ】死の否定と生の肯定

死の否定と生の肯定は、必ずしも同一ではない。
私はようやく死を否定できるに至ったが、果たして生を肯定しているかとなると甚だ疑問だ。

宅建の勉強の時から疑問を抱いていた。毎日新しい知識を身に着ける私は、同時に日々馬鹿になっていっているのではないか。退化しているのではないか。

新たなことを知る、新しいことをする、またはできるようになる、それらがいかに大きなことであっても(例えば仕事であっても、人助けであっても)、そのこと自体は実に些末なことだ。要は自分という人間の生を俯瞰したときに、いかに本当の意味での進化なることがらの少ないことか、と私は思う。そしていかに毎日が進化の連続だなどという誤謬に入り浸って満足していることか。

哲学はすなわち生きることだと、今は自分の中でだけ思っている(学に敷衍するところまではいかない)。生の肯定が揺らいでいるということは、哲学そのものに対する帰依に似た精神も揺らいでいるということか。依って立つ地盤が脆弱なままでは、真の進化は得られないだろう。

だが、重要な点は案外身近にあるのではないかとも思っている。過去にしてきた落し物を一つ一つ拾う作業は終わった今、かといって未来を見つめるのでもなく、ただ現在を見据えて生きてゆこうと思っている。

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