akiyoshi_suzuki

音楽映像作家。プランナー。 「seed of song」「THE PAPER」プロデュ…

akiyoshi_suzuki

音楽映像作家。プランナー。 「seed of song」「THE PAPER」プロデューサー。 旅すること、食べること、生きることが好き。 その時ぼくはどんな最期を迎えるのだろう?

マガジン

  • 音楽映像作家の創作イメージまとめ

  • ぼくが何者だったのか考えてみた

    ぼくの半世紀のキャリア(反省期)の半生記、のようなものです。 関わって来た仕事やアーティストについても少し語ったりします。

記事一覧

ZARD ライブを観て…

ZARD What a beautiful memory ~軌跡~ ZARD30周年の締め括りに相応しい、 素晴らしいライブでした。 ご縁あって、大阪公演・東京公演ともに、 観ることが叶いました。 …

7

ひさしぶり

やはりnoteに向き合う時間、 ちゃんと作ろう。

気付けば2021年1月も今日で一区切り。
まもなく節分だね。
今年のnoteはちゃんとやろう。
SNS全般の使い方を改めて見直してみて
いろいろ思うとこあって。
そんなわけでnote再開するよ。

+1

THE PAPER展2020、開催決定!

5

アート新聞つくっています

noteでの投稿はちょっと久しぶり。 コロナ禍の影響、各地大雨災害、連日の猛暑…。 もう日本は… どうなっちゃってんだよ…とも言いたくなる昨今。 いかがお過ごしですか…

5

ぼくは何者だったのか考えてみた⑪

気が付けば前回の記事からひと月近く経ってるね。 まずは少しばかり近況を。 コロナ禍の影響で、2月末から5月いっぱい、 現場の仕事(ライブやイベント)が ほぼ100%飛ん…

4

ぼくは何者だったのか考えてみた⑩

このシリーズ、久々に。 大学入って2年も3年も うだつが上がらないまま過ごしてしまいました。 今となっては後悔しないまでも反省はしている。 学校に通っている人は、 …

7

ぼくは何者だったのか考えてみた⑨

大学時代って、想像してたのとちょっと違ったんだよね。 日芸(日大の芸術学部)に入れたのはよかった。とは、思ってる。 同級生には「宮藤官九郎」「テツandトモ」もいる…

3

ぼくは何者だったのか考えてみた⑧

中高(割と暗黒)時代をどうにかやり過ごして、 アイドル応援活動(←)を経て、音楽活動をもう一度やってみようかと なんとなく模索していた予備校時代。 ここで初めての…

2

ぼくは何者だったのか考えてみた⑦

予備校時代にジャズを少しかじったにも関わらず深掘りすることなく、 アイドルちゃんのバックアップパーティーに参加するわけなんだけど、 これがまた運命を左右することに…

ぼくは何者だったのか考えてみた⑥

大学受験(一度目)を終えて、通うことになったのは… 駿台予備校。(予備学校?)だった。 第一志望は、ゆずれない。 いや、個人的には「第一志望は、無理しない」だった…

2

ぼくは何者だったのか考えてみた⑤

“その後”の人生に大きく影響を与えたであろう1985年86年のバンド活動。 それと並行して時代の流れもあって、非常に個人的ではあるけれど、 音楽に関わる時間が莫大に増え…

5

ぼくは何者だったのか考えてみた④

1985年とか86年あたり、 レーガンやゴルバチョフ、アキノなど新たなリーダーの台頭、 航空機の事故が相次いだり…。つくば万博。 エンタメ界では、マリオの登場や16連射や…

2

ぼくは何者だったのか考えてみた③

結局さ、何者かどうかはどうでも良いのよ、自分が。 でね。誰が読もうが読まなかろうが、それも。 noteを始めた理由はもっと“その先に”ある。 それが少しだけ、ほんの少…

2

ぼくは何者だったのか考えてみた②

真っ黒な高校時代は忘れようとしても思い出せない。 当時抱えていた問題を考えると朝も起きられません。 いや、朝は起きろよ。そもそも忘れようとしても思い出せないってな…

5

ぼくは何者だったのか考えてみた①

音楽は小さいころから好きだった。 最初に音楽に触れたのは父親のクラシックギターだったと思う。 父親の弾くギターではなく、クラシックギターそのもの。 おもちゃ感覚だ…

5
ZARD ライブを観て…

ZARD ライブを観て…

ZARD What a beautiful memory ~軌跡~

ZARD30周年の締め括りに相応しい、
素晴らしいライブでした。
ご縁あって、大阪公演・東京公演ともに、
観ることが叶いました。

非常に個人的な事情感情による
“揺れる想い”を綴ります。

2月10日で
31年という歴史を刻んだわけですが…

思えばぼくがBeingに入社したのが
1992年のこと。

今回のステージには

もっとみる

ひさしぶり

やはりnoteに向き合う時間、

ちゃんと作ろう。

気付けば2021年1月も今日で一区切り。
まもなく節分だね。
今年のnoteはちゃんとやろう。
SNS全般の使い方を改めて見直してみて
いろいろ思うとこあって。
そんなわけでnote再開するよ。

アート新聞つくっています

アート新聞つくっています

noteでの投稿はちょっと久しぶり。
コロナ禍の影響、各地大雨災害、連日の猛暑…。

もう日本は…
どうなっちゃってんだよ…とも言いたくなる昨今。
いかがお過ごしですか?

最近は
「ぼくが何者なのか考えてみた」なんて
シリーズを連投していました。
これもまだまだ続くのですが、
今日は久しぶりにいまやっている仕事の記事を。

ぼくは、尊敬するアーティストの先輩方と一緒に、
そして我々が「良いなぁ」

もっとみる

ぼくは何者だったのか考えてみた⑪

気が付けば前回の記事からひと月近く経ってるね。
まずは少しばかり近況を。

コロナ禍の影響で、2月末から5月いっぱい、
現場の仕事(ライブやイベント)が
ほぼ100%飛んでしまいました。
こればかりは、影響受けているのは、
ぼくだけじゃナイので…愚痴ってばかりはいられません。

けれど、やはり…
想定していた仕事がこれだけ無くなってしまうと、
日々の暮らしはもちろん、
今後の心配もしたくはなるよね

もっとみる

ぼくは何者だったのか考えてみた⑩

このシリーズ、久々に。

大学入って2年も3年も
うだつが上がらないまま過ごしてしまいました。
今となっては後悔しないまでも反省はしている。

学校に通っている人は、
その限られた時間だけでも、その与えられた環境の中では、
せめて有意義に過ごす工夫や
周りの環境に惑わされない方法も編み出しながら
「卒業」はする努力くらいはした方が良いね。

中退したこと自体、後悔はしていませんが、
たかだか4年間

もっとみる

ぼくは何者だったのか考えてみた⑨

大学時代って、想像してたのとちょっと違ったんだよね。
日芸(日大の芸術学部)に入れたのはよかった。とは、思ってる。
同級生には「宮藤官九郎」「テツandトモ」もいる世代。
このあたりはぼくが語るまでも無い大活躍だよね。
面白いひとが集まっていたもんだ。その意味では刺激的だったけど。

冒頭から話が逸れているのは御愛嬌。
気付けば時代は“平成”になっていて。
平成とともに始まったぼくのめちゃくちゃな

もっとみる

ぼくは何者だったのか考えてみた⑧

中高(割と暗黒)時代をどうにかやり過ごして、
アイドル応援活動(←)を経て、音楽活動をもう一度やってみようかと
なんとなく模索していた予備校時代。
ここで初めての同人誌体験をしていた。

同人誌って面白いよね。
そのあと仕事でも雑誌の制作に関わることがいくつかあるんだけど、
この時の衝動だったのかなぁ、いまにして思えば。
誌面作りのエピソードは後日、
仕事に関して紹介するときにしっかり書いてみます

もっとみる

ぼくは何者だったのか考えてみた⑦

予備校時代にジャズを少しかじったにも関わらず深掘りすることなく、
アイドルちゃんのバックアップパーティーに参加するわけなんだけど、
これがまた運命を左右することになっていく。←大袈裟

この予備校時代にさ、当然考えるべきは次の大学受験だよ。
アイドルじゃなくて。
いやしかし、そこが人生の面白いところでもあって。

このアイドル応援活動のキッカケになったカメヤマくんが
目指していたのが、日本大学芸術

もっとみる

ぼくは何者だったのか考えてみた⑥

大学受験(一度目)を終えて、通うことになったのは…
駿台予備校。(予備学校?)だった。
第一志望は、ゆずれない。
いや、個人的には「第一志望は、無理しない」だった。
無理しないっていうのは、一年目に受験したところは、
本当に行きたい学科ではなかったから。
どうしてか、というと…やりたかったのは「音楽」だったんだけど、
音楽を勉強したことはなく…いわゆる“なんちゃって”だったので、
そんな学校に行け

もっとみる

ぼくは何者だったのか考えてみた⑤

“その後”の人生に大きく影響を与えたであろう1985年86年のバンド活動。
それと並行して時代の流れもあって、非常に個人的ではあるけれど、
音楽に関わる時間が莫大に増えて行った時期。

時代の流れっていうのは、主に(前に挙げた)MTVでした。
洋楽はもちろん、邦楽でもいわゆるMV、
ミュージックビデオが表現方法として台頭してきた。
音楽を、ミュージシャンを、
プロモーションするためのビデオクリップ

もっとみる

ぼくは何者だったのか考えてみた④

1985年とか86年あたり、
レーガンやゴルバチョフ、アキノなど新たなリーダーの台頭、
航空機の事故が相次いだり…。つくば万博。
エンタメ界では、マリオの登場や16連射やキャラバン、
そしてバックトゥザフューチャーが話題となった。
TVでも加トちゃんケンちゃんだったり、バカ殿だったり、
たけし城だったりおニャン子だったり。
音楽界もこの85年86年は、
あらゆるジャンルがそれぞれの分野で盛り上がっ

もっとみる

ぼくは何者だったのか考えてみた③

結局さ、何者かどうかはどうでも良いのよ、自分が。
でね。誰が読もうが読まなかろうが、それも。
noteを始めた理由はもっと“その先に”ある。
それが少しだけ、ほんの少しだけ見えているからなんだよね。
さ、閑話休題。←それはさておき

前回「SMILE COMPANY」ってバンドを組んだ話をしました。
これが後の、つまり、いまの、
ぼくを作る原点の一つだったことは間違いなくて。
いまのぼくっていうの

もっとみる

ぼくは何者だったのか考えてみた②

真っ黒な高校時代は忘れようとしても思い出せない。
当時抱えていた問題を考えると朝も起きられません。
いや、朝は起きろよ。そもそも忘れようとしても思い出せないってなんだ。
空席以外は満席か。

ちゃんと早起きして← 起きられるようになりました。
この記事を書いてます。どうでもいいか。

さて前回、「すべてのはじまり」ともいえると書きました。
高校時代、中3くらいからだから4年間近くかな。
実はほとん

もっとみる

ぼくは何者だったのか考えてみた①

音楽は小さいころから好きだった。
最初に音楽に触れたのは父親のクラシックギターだったと思う。
父親の弾くギターではなく、クラシックギターそのもの。
おもちゃ感覚だったんだろうな。触ると音が出るから。

それで見様見真似で、きれいな音が出る場所を押さえる練習をしてました。
つまり、コードだよね。
そしたらちゃんとコード譜や歌本が存在するって聞いて、
それを見ながら弾けばいいらしい、と知る。

ただそ

もっとみる