ぼくは何者だったのか考えてみた④

1985年とか86年あたり、
レーガンやゴルバチョフ、アキノなど新たなリーダーの台頭、
航空機の事故が相次いだり…。つくば万博。
エンタメ界では、マリオの登場や16連射やキャラバン、
そしてバックトゥザフューチャーが話題となった。
TVでも加トちゃんケンちゃんだったり、バカ殿だったり、
たけし城だったりおニャン子だったり。
音楽界もこの85年86年は、
あらゆるジャンルがそれぞれの分野で盛り上がっていた。

時代背景もあったんだろうね。
これまで書いて来た、ぼくの「好きだったモノ」の中でも
いくつかのトピックスに出会う時期だったのがこの85年86年。

最も衝撃を受けたのは、「MTV」かもしれない。
その少し前からチャンネルは開設されていたんだけど、
出会ったのはまさにこのころ。
音楽に映像が付いているというか…どういうことなのかを知りたくなった。

だってそれまではTVで歌手やアイドルが歌っている姿しか
見ていなかった気がしてるから…ね。

そんな時代にまるで映画のような舞台のようなコンサートのような、
魅力的な映像が音楽に寄り添っている、ということに気付くことになる。

ひょっとするとね、ぼくが映像をやることになる、
最初の動機はMTVだったのかなって思うこともあるよ。
知り合いのみんなは、そう思っていても不思議じゃない。
確かに間違いではないよね。音楽映像作家になっていくんだし。
だけど、本当のキッカケはもう少しだけ前の時期に遡るんだ。
それについては、後日改めて、もう少し話が進んでから触れてみたい。

前回書いていた「SMILE COMPANY」での活動は、
当時のFANKS仲間でもあったメンバーと話し合って、
やはり女性Vo.でやっていくよりちゃんと男性Vo.を探した方が良いのでは?
という空気感も抱えたまま、惰性で続けていたような状態だった。

少しばかりの倦怠期のような時期を経て、
御多分に漏れずバンドは自然消滅。
ただ、この時にバンドメンバーのB.クボタくんとKey.タナカくんは、
FANKS男組としてラジオにも参加しつつ、
当時FANKSの間でも人気者になっていく、
スミヨシくんという人物に出会う。

そして、
テッちゃんこと「小室哲哉」さん初のロンドン行きに少し絡んでいく。

「SMILE COMPANY」での活動は停滞していたものの、
この時期、特にタナカくんと、コーラス参加していた子とは、
特にウマが合ったのか、バンドでの活動とは別に、
小室サウンドの真似事に夢中になっていた記憶。

当時バンドではDX7をタナカくんが持っていたんだけど、
機材を追加したとかなんかで自宅に遊びに行くと、
まさかのMIDIシーケンサー、カモンミュージック。そしてDX7Ⅱ。
こりゃあすごいってなって、使い方もわからないのに、
早速打ち込んでみる…と。

そこで「SMILE COMPANY」のクセが強めに出てしまい、
せっかく最初の打ち込みの機会なのに、TMじゃなくて、
渡辺美里の嵐々丘って曲のイントロを作っちゃうんだよ。
ま、仕方ないよね。Key.+Gt.+Cho.の3人なんだもん。
なんだかんだ言って、なかなかこのメンバーではTM出来ないね。

そんなこともあって、自然消滅した「SMILE COMPANY」は、
よく会うメンバー同士でなんとなく別プロジェクトが始まったりするんだ。
その頃には、Drs.とVo.のおふたりには会わなくなっていたんだろうな。
その後の記憶もほとんどない。元気にしているかなぁ。

それで、
ぼくはまた別ラインで知り合っていた何人かのミュージシャンを加えて、Cho.の子とKey,タナカくんに手伝ってもらって、
オリジナル曲を作り始める。
そのプロジェクトの延長線上に、
クラブチッタで行われたオーディションにも参加していったりするんだ。

そして、Key.タナカくんとB.クボタくんは、
先に挙げたFANKS男組のスミヨシくんを中心にした仲間たちと、
念願のTMのコピーバンドを始めることになった。

それぞれ別々に活動する中でも仲は良かったので、
度々ライブやイベント、特に楽器フェアとかかな。
誘い合って一緒に行ったんだよ。
ちなみにぼくはこの時期、めちゃくちゃライブを観ていて、
年間100本近く行っていたこともあった。
何故なら前に書いた、
通っていた高校での居心地の悪さから逃れようとしていたんだと思う。

好きなバンドや音楽仲間のライブはもちろん、
各イベンターやそれこそ「ぴあ」のメンバーズ、会員だよね。
に、なって、いわゆる新人さんのお披露目ライブやフリーライブには
呼ばれたらほぼ100%行ってたもんね。
応募制のものにも積極的にエントリーして。
大きなイベンターさんだけでも、3~4社入ってたし、かなりの本数。

その中で、後のぼくの活動に大きな大きな影響を与えることになる、
FENCE OF DEFENSEとの出会いがある。

時は既に1987年6月。
TMのサポートやレコーディングに参加していたメンバーが
新たにバンドを結成する、という話を聞いて、
いてもたってもいられずタナカくんとクボタくんと一緒に
チケット握りしめて当時のインクスティック芝浦という会場に足を運んだ。

それは生涯でも特に忘れられない日になった。

ぼくのことを知っている人には、
この時代に“起きていたこと”がどれほど大きな出来事だったか、
わかってもらえると思う。

1985年というのも、後の人生を決定づけるエピソードにとても縁がある。
いや結果的にそうなっていくんだけど、
さらに1987年のこのライブ、いま思うと実に感慨深い。

そして、これまでに書いてきたエピソードが少しずつ絡み合ってくるんだ。
だから人生は面白い。

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