ぼくは何者だったのか考えてみた②

真っ黒な高校時代は忘れようとしても思い出せない。
当時抱えていた問題を考えると朝も起きられません。
いや、朝は起きろよ。そもそも忘れようとしても思い出せないってなんだ。
空席以外は満席か。

ちゃんと早起きして← 起きられるようになりました。
この記事を書いてます。どうでもいいか。

さて前回、「すべてのはじまり」ともいえると書きました。
高校時代、中3くらいからだから4年間近くかな。
実はほとんど記憶らしい記憶がありません。
正確には「通っていた高校」での思い出、という意味ですが。
いやもっと言えば、少しは思えています。
カッコ悪いほどスケベでカッコ悪いほどカッコつけててイケスカナイ。
授業中に●●●●はするわ、体育祭や文化祭でもでしゃばるけど役立たず、
自分のダサさに気付くこともないままにだんだんトモダチも居なくなって。
自業自得なんだけど、とにかく自分の醸しだす空気感が最悪だった時期。
自覚はあったんだけどどうしようもなかった。
とにかく無節操にいきり立ってた。感情も欲望もすべて苛立ちのもとに。

じゃあナニがはじまったのか?

いまの活動に繋がる原点ともいえる出来事が高校2年生の頃、ありました。
バンド、です。

あれ?こないだ「THE SELECTION」の話してたじゃん?
いやあれはかなり変わっていて、確かにある意味原点なんだけどね。
あ、ちなみに「THE SELECTION」でのライブが2本くらいあったかも。
「The Good-Bye」「THE ALFEE」「44MAGNUM」「R.C.サクセション」「M.S.G.」「DEEP PURPLE」「KISS」…
なんていうメチャクチャなセットリストだったような気がする。
それはさておき。

この暗黒時代にひとつ救いだったのは、
この頃組んだバンドだった。

当時「ぴあ」という雑誌があって。
そのページの外枠に、はみだしYouとぴあってコーナーがあったんだよ。
そこにメン募、いわゆる「メンバー募集」の読者記事が結構載っていて。
なんとなくだけど、ぴあは隅から隅まで読み倒していたから…
はみだしにも当時かなり目を配っていたんだろうなぁ。

いや、それでね。なんでメン募だったのか、というと
この時期、少し音楽性に変化が表れていたんだ。

「通っていた高校」のトモダチに
少しリッチな暮らしをしているサイトウくん、という人物が居たのね。
オーディオセットとかすごいの持ってた。
それでレコードからダビングしてくれたんだよ。
確か高校2年くらいかな。「カセットテープ」をくれたんだ。
流行っていたよね、マイベストみたいなの。
FMステーションのカセットレーベルにレタリングシールで曲順貼って。

それ。
それをくれたんだ。

そこに収録されていたのは、
「佐野元春」「白井貴子」「尾崎豊」「小比類巻かほる」
「THE MODS」「THE STREET SLIDERS」
「大江千里」「岡村靖幸」「松岡英明」「渡辺美里」「TM NETWORK」など
当時のEPIC SONYのアーティストたち。

それまで、間違った認識(自己流、アリスのくだり見てね)のフォークと
ハードロック、ヘビーメタルという極端な嗜好で、
音楽に接していたぼくには、とてもとても斬新なサウンドだったんだよね。
なにせピアノはやっていたけどシンセなんて知らなかったからね。
とは言え、少し前に「キーボード」の枠でオルガンとかは聴いていたわけ。
シンセ、は驚いたよね。

実はテレビなんかでは「YMO」や「喜多郎」さん、観てたし聴いてたけど、
シンセサイザーって楽器、ちゃんと認識してなかったもんなぁ。

いや、それでね。何が起きたかというと、
そのカセットに入っていたアーティストの曲を
アルバムまで買い漁って聴き込むんだよ。

そしたら「小室哲哉」という人に
めちゃくちゃ興味を惹かれるようになるわけ。
聴けば聴くほど。

で、学校ではまったくスケベなことと教師に対する反発以外興味なかった
腐った性根のヤツが、急に「TM NETWORK」を聴き出すわけ。
金色の夢、な。急に。「尾崎豊」ではなかったのが不思議。
ちなみに、岡村ちゃんにはちゃんと反応した。

フォークやメタルの歌詞から、急に方向転換。
佐野さんや尾崎さん、THE STREET SLIDERS、THE MODSの
尖がった感じも大好きだったんだけど、
どういうわけか、
大江千里さんや小室さんの描く歌詞世界にハマってしまった。
なんだろう、今思うと無いものねだりの憧れだったのか…。

後々、「佐野元春」の凄さを思い知ることになるんだけど、
この頃はまだわからかなった。

他のアーティストさんについては、追って書きます。

前置きが長くなったね。それでメン募。
ある日のぴあに
「TM NETWORK」のコピーバンドやりませんかって記事を見つけた。

え!? TMなんてコピーできるの?? って思った。最初。
だってシンセ、すごいじゃん。
打ち込みっていうかコンピューター使うんでしょ?って。

だけどその時居ても立ってもいられなくてさ。
すぐ応募しちゃった。

そしたら、ありがたいことにメンバーの方から返信頂いて。
これがね。年上なの。

ぼくが当時17歳の頃に、19歳や21歳のセンパイ方。
大学生だったなぁ、みんな。
同じ歳の女の子がコーラスとして居た。

で、会いましょう!ってことになってさ。
渋谷のハチ公前で待ち合わせしたんだ。
メン募掲載誌のぴあを表紙全面に打ち出しての待ち合わせ。

そしたら、現れたのがなんと女性の方で。
他にキーボード(シンセ)とベースの方がいらっしゃったなぁ。
その女性の方がボーカルなんだって。

ん?
TMのコピーやるなら男性ボーカルじゃないのかなぁなんて思ったんだけど。
この人がきっかけで実はバンドのカタチが変わっていくんだよね。

真っ黒で真っ暗闇な高校時代に光が射した出来事。

このバンド、2年くらいやったんだけど、
いろいろあったなぁ。

とにかくぼくは楽しかった。
高校では同級生たちに馴染めず、
性的な(ただのスケベゴコロ)暴力的な(プチ反抗期)
衝動←かわいいもんだ
しか記憶に無かった。
そんなぼくが活動に夢中になれて、
その後の人生を左右する出会いをすることになるなんて。

ちなみに、そのバンドは「SMILE COMPANY」と名付けられた。
メンバーのキーボーディスト、タナカくんの笑顔が素敵過ぎたから。
それでスマイルって呼ばれてた。
そのスマイルさんの仲間たちってこと。
山下達郎さんのプロダクションとは一切関係ございません。。。
あまりにも畏れ多くて…いまならそんなバンド名、付けないよね、きっと。

「SMILE COMPANY」は西武池袋線の桜台だったかな。銀の笛。
GFスタジオ、スタジオ銀の笛、が拠点だった。
リハーサルに入るんだけど、リハよりもぞの前後のミーテイングが
とにかく楽しかった思い出があるなぁ。

その楽しかったミーティングが、
バンドの方向性を大きく変えていくことになるんだ。

そして、だんだん、ぼくの「いま」をカタチ作る土台に繋がっていく。
御縁と時代がシンクしていく、まさに「すべてのはじまり」の出来事。

当時はだれも気付いていなかった、
「SMILE COMPANY」が起こしていた奇跡は、また次回にでも。

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